2019年9月の「水産振興ONLINE」開設以来、『水産振興』は印刷冊子およびウェブ版で皆様にご愛読いただいてまいりましたが、第635号の刊行を以て印刷冊子は終了し、第636号以降はウェブ版のみの公開とさせていただきます。つきましては、今後、新刊情報を電子メールでお知らせしてまいりますので、「メール配信登録」よりご登録いただき、引き続き「水産振興ONLINE」で『水産振興』をご覧ください。
メール配信登録へ
東京・豊洲市場は、水産業界で中核となる存在だ。国内外から日々送り込まれてくる水産物の圧倒的物量や魚種の多種多様さは、魚好きはもちろん業界人さえ魅了する。都内の飲食店・小売店にとっての便利な仕入れ場として、各地の生産者にとって頼れる出荷先として高く評価されている。ただ、初見だとどこかハードルが高くないだろうか。新連載「初めての『豊洲市場活用マニュアル』」では、豊洲市場の世界に初めて足を踏み入れる人を想定し、さまざまな使い方の基礎基本を解説する。第1回は基本情報をまとめた「はじめに」編。
つづきを読む3月7日、浮体式洋上風力発電を進めようという企業が主催する Floating Wind Japan 2023 にパネリストとして参加してきました。会議は、内閣府総合海洋政策推進事務局、経産省資源エネルギー庁、国交省港湾局及び海事局、環境省の方たちの基調講演から始まり、その後3つのパネルディスカッションが行われましたが、私は、そのうちの国内編なるパネルに登壇し、洋上風力発電の沖合展開についての問題点をお話ししました。具体的には、「洋上風力発電の動向が気になっている」番外編その2に書いたもので、沖合漁業者にとっては、風車の魚礁効果や施設の保守点検のための雇用といった沿岸漁業には通用した協調策が魅力を持たず、また、今後どれだけの案件と調整が必要になるか示されないままに判断を求められても無理な相談であることをお話ししました。
つづきを読む泉澤裕介1983年生まれ、40歳。仲卸「カネ重」の5代目である。
後継者がいないため、閉店に至った仲卸は少なくない。そんななか、泉澤さんは、10年余りのサラリーマン生活を経て、父の跡を継いだ。
昨年の11月には、国連気候変動枠組条約の締約国会議COP27がエジプトで開かれ、「地球の気温上昇を産業革命前の1.5°C以内に抑える」目標に向けて、温暖化ガス排出量をさらに削減する新しい目標が示されましたが、ウクライナでの戦争でいきなり足元をすくわれ、その対応は後手を踏んでいます。残念ながら、温暖化の影響はより深刻化することを覚悟しなければなりません。
つづきを読む2011年4月29日、下関の南風泊(はえどまり)市場で下関ふく供養祭が行なわれた。広い場内の奥に祭壇が設けられ、両サイドの長い壁には全国各地のフグ関係者による花輪がずらりと並び、その様は圧巻である。下関における初のフグ供養祭は、1930(昭和5)年3月16日に関門ふく交友会の面々により、壇之浦そばの料亭魚百合で執り行われ、祭壇を設けた大広間には、関門ふく交友会はじめ下関の関係者のほか、東京や大阪方面から駆けつけたフグ料理関係者が集まったという。それ以来、下関では毎年フグ漁の終わるころにフグの供養祭が行われ、戦争中に中断するものの1950(昭和25)年には復活し、今年で72回目のフグ供養祭を迎えた。
つづきを読むタイといえば、お祝いの席のお頭つきだけでなく、タイを抱えたエビス様や、タイを模った図画や飾り、郷土玩具からタイ焼きに至るまで、私たちの暮らしの様々な場面でタイが登場する。“めでたい” タイの代表はマダイであり、マダイは水深30~150mの岩礁や砂礫底付近にすむ魚で、日本の広い範囲で獲れる近海魚である。また、タイはスズキ目スズキ亜目タイ科の魚の総称で、マダイの他にチダイ、キダイ、クロダイなどがあるが、体形または体色などが似ていて白身をもつタイ科以外の魚のなかにも○○ダイと名のつくものが多く、それらは200種以上もいるという。海に陸にと色々なタイがいることからも、日本人がいかにタイを特別視してきたのかがわかるだろう。
つづきを読む新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の大流行は、我が国の水産物供給において重要な役割を担う中央卸売市場に大きな影響をもたらした。効果的な対策のためには事実(ファクト)に基づいた判断が不可欠であるが、情報化の進展によって研究現場におけるファクトへのアプローチ方法が急速に変化しつつある。本稿では、伝統的な社会調査と新たなデータサイエンスの観点から2つの研究を紹介することで現在明らかになっているファクトと望まれる対策を示すとともに、今後の研究現場を展望する。
つづきを読む静岡県富士宮市は富士山の湧水に恵まれ、富士の裾野に位置する富士養鱒場には、1990年代に建てられた「虹鱒供養塔」がある。
ニジマスはもともと日本にいなかった魚である。1877(明治10)年に、米国カリフォルニアからニジマスの卵が移入され、ふ化飼育されたことから国内でのニジマス養殖が始まった。当初は湖沼への放流が行われていたが、明治後半に国内で飼育した親魚から採卵するようになり、以後は国産卵によるニジマス養殖が行われるようになった。1926年(大正15年)「水産増殖奨励規則」の公布によって、全国にふ化場や養殖場ができ、さらに昭和に入ると養鱒の事業化が進む。国内各地でニジマスの内水面養殖が盛んになる時期、1936年(昭和11年)に、静岡県水産試験場富士養鱒場※が竣工。
洋上風力発電については、2018年12月に成立した再エネ海域利用法に基づき検討が本格化し、21年10月に閣議決定された第6次エネルギー基本計画における2030年までに10GWの案件形成をという目標に対し、これまでに秋田県、新潟県、千葉県、長崎県において約3.5GWの案件がまとまってきました。
つづきを読む業界紙記者として築地市場移転問題を追ってきた成果などを元に、本体を失ったことで岐路に立つ築地場外市場の活性化の道を考察する。「商品コンセプト理論」を商店街分析に転用し、築地場外市場から来場者が享受可能なベネフィット(利便性・満足感)が「プロ向けの食材・道具が手に入る(楽しめる)」点にあると示す。築地市場の移転先の豊洲市場、築地跡地、周辺エリアの動向などの背景を整理したうえで、活性化には旧築地市場の機能を補完する施設「築地魚河岸」を中核として運営することを前提に、①プロの小口客を増やす ②食の外部化に対応する ③「食のまち」以外の魅力を深耕する—3つの方向性があると示唆。関係者間でベネフィットを認識共有し、それに基づいた活性化策に取り組むよう提案する。
つづきを読む鈴木眞弥子。1974年生まれ。水産仲卸「東京鈴木屋」の社長である。
コロナ禍以来、水産仲卸の店じまいは早くなり、10時過ぎにはシャッターをおろす店も見かけるほどだ。そんななか、「東京鈴木屋」は飲食店が喜びそうな魚介類を豊富に並べて10時過ぎても営業、買出人にとって得難い店となっている。客の応対からお代のやり取りまでそつなくこなす鈴木さん、以前を知っているだけに、私は少々の感慨をこめてその姿を眺めている。
金子和嘉、1998年生まれ。東海大学海洋学部卒業後の21年、豊洲市場の水産卸会社、第一水産㏍に入社。1年後に東京都の競り人試験にパスし、現在、ほやほや若葉マークの競り人である。
金子さんの仕事場は、水産卸5社の水槽がならぶ活魚の競り場である。豊洲市場は閉鎖型の施設が自慢だが、ここは真向に風が吹きさらす場所。11月も終わりの深夜、寒さは尋常ではない。
本号は、2022年8月24日に第24回ジャパンインターナショナルシーフードショーにおいて水産研究 教育機構の講演会「水産研究125周年記念講演会」の記録を編集し掲載したものです。水産研究・教育機構は、1897年の農商務省水産検査場水産講習所試験研究部が設置されたことを起点に数えると本年で125周年を迎えます。世界の水産を見まわしてみても規模、歴史とともにまれに見る水産に特化した研究・教育、そして社会実証まで行う機関です。これを記念し、水産研究125年のあゆみ、水産資源研究の125年、水産物の安全・安心のための取組、水産大学校の沿革と人材育成の推進について講演いたしました。
つづきを読むコラムも最後の連載となりました。この最終回まで全15回、行政、研究者、漁業者、企業など多方面から寄稿していただいたおかげで、いまや不可避となった温暖化対策について、海辺ではどのようにブルーカーボンを展開していけるか、展開していく上での問題点は何か、包括的に考えることができました。本コラム全体の内容をまとめると、行政では、各省庁が脱炭素社会の構築にむけて、ブルーカーボン吸収源の制度化と海藻バイオマス活用の推進を目指していました。それを受けて、地方自治体が浜と一緒になって運用試験を開始していました。浜でも、漁業者が独自に取り組んできた藻場再生や磯焼け対策に加えて、気候変動対策という大きな目標をやりがいに変えて、よりいっそう活動を発展させようとする気概を感じることができました。このような動きに企業が賛同し、自社の社会への責任だけでなく、地球環境と人間社会の持続可能性を向上させるべく、熱意をもってSDGsの達成や気候変動対策に取り組む姿を垣間見ることができました。
つづきを読む今年も寒い冬がやって来た。秋に比べて一段と冷たくなった風が肌に刺さると、意識が一気に冬へと向かう。寒さでピンと張り詰めた空気から感じる匂いも何だか冬っぽい。道行く人もマフラーにコートにと厚着になっていく。忙しない師走の雰囲気を感じるたび「もう今年終わっちゃうの?!」と毎年心の中で呟くのは私だけではないだろう。木々は葉を落とし、空の色も淡くなる。いつも見る景色が慎ましい色彩になると、みんなの感性がなんとなく豊かになって普段は気付かないことに気付いたりする。そんな季節の移ろいが日本人の細やかさを育んでいるのかもしれない。
つづきを読む現在、私は東京海洋大学大学院に在籍している博士前期課程の学生です。本コラムの第1回目を担当した堀正和先生に指導を仰ぎながら、ブルーカーボンの研究を進めています。具体的には、ワカメ養殖とコンブ養殖を対象に、それらが吸収しているCO2量を詳細に数値化する研究をしています。
つづきを読む南の海の話が続いてしまったので本州最北端、青森の話を。1981年の冬のことである。水族館の飼育係になってまだ3年しか経っていない僕に、陸奥湾の湾奥部にある青森市の浅虫地区に新しい水族館を建てる計画があるので手伝わないか、というお誘いが舞い込んできた。当時浅虫には、東北大学の臨海実験所に付属した小さな水族館があった。“浅虫の水族館” と多くの県民に慕われていた施設だったのだが、臨海実験所の建て替えに伴い取り壊してしまうことになった。そこで青森県は新たに県営の水族館の建設を計画したのだ。以上の経緯については、連載第3回目でも書かせていただいたが、今回はその続編である。
つづきを読む5か月余の隔週連載を続けてきた連載・アンケートにみる「豊洲市場の現在地」の最終回では、一般社団法人豊洲市場協会(伊藤裕康会長)と一般財団法人東京水産振興会(渥美雅也会長)による3つの共同調査アンケートの検討委員会座長を務めた、婁小波東京海洋大学副学長が全体を総括する。場内にある複数団体の協力で予想を上回る数を集められた回答からみえてきたものは何か。
つづきを読む魚離れ、海離れがすすんでいる。我々、東京湾再生官民連携フォーラムの江戸前ブランド育成プロジェクトチームは、魚食普及を通じて、東京湾と各家庭の食卓との繋がりをとりもどす活動をおこなっている。東京湾は古代から人々が食料を調達してきた場であり、江戸時代には独自の食文化も育んできたが、特に戦後はその生態系が大きく損なわれてしまった。本稿では、現在官民が連携して進めている東京湾再生にむけたプロジェクトのなかで、水産業関係者が行っている様々な活動を紹介する。そして、官民が連携して東京湾再生を進めるうえで、「おいしい水産物」が有するアピール力の大きさや、食文化の重要性を議論する。
つづきを読む水産振興ONLINEの『水産振興ウェブ版』並びに『水産振興コラム』の新刊情報をメールで配信してお知らせします。ご希望のかたはお名前とE-mailアドレスをご登録ください。