第1章 はじめに
わが国では、明治末期の1911(明治44年)に漁業法が改正されるまでは、どのような官吏が漁業を監督するのか定められていなかった。明文化された漁業法に初めて「海軍艦艇乗組将校、警察官吏、港務官吏、税關官吏又は漁業監督吏員が漁業を監督する」と定められた。その官吏の中でも戦前においては、海軍、警察そして漁業監督吏員が漁業取締りの任務を主に担ってきた。そして、実際上、洋上での取締りは船舶が必須であったことから海軍艦艇と農林省漁業取締船が主力となって洋上での取締りに当たってきた。
しかし、海軍は太平洋戦争の敗戦により終戦とともに解体された。また、農林省の漁業取締船もその大半が被弾・沈没し、終戦後に漁業取締船わずか 2隻が残存したのみであった。
終戦後の飢えに悩まされる国民の需要を背景に漁業活動は急速に拡大していった。混乱する漁業秩序を安定化し、水産資源保護を図るためには、漁業取締に当たる船舶は大幅に不足し、漁業取締りに空白が生じる事態となった。
農林省水産局は、戦後の1948(昭和23)年7月に水産庁へと再編され組織強化が図られた。また、海軍が解体されたため、海軍に替わる海上治安組織が不在となったため、これに替わる海上での救難や捜査・鎮圧を担う新たな組織として1948(昭和23)年5月に海上保安庁が新設された。その結果、戦後の漁業取締りは、海上保安庁、警察とともに水産庁並びに都道府県の水産主務部局がその任を担うこととなった。
これまで漁業取締り体制の変遷や漁業取締りの実態・任務について包括的に述べた論文や記録は稀である。漁業取締りの主体が、海上における業務であり国民の視線から遠く離れている点や、その取締りという職務上の性質もあり、漁業取締りについて国民の知るところは少ない。
特に1994年の国連海洋法条約発効後、沿岸国としての日本にとって、外国漁船による漁業法令違反に対する漁業取締りの重要性は格段と大きくなってきた。
我が国の治安組織として、警察組織は29万余の人員、海上警備救難組織である海上保安庁は約1万4千人。それに比して水産資源の保存管理を主管する水産庁は1千人(水産研究所が切り離される前は2千人余)足らずの組織である。その少ない人数の組織の中で、外国漁船拿捕を含めた取締りを担う漁業取締船と漁業監督官はわずか数百人の陣容である。
マトリと呼ばれる厚生労働省の「麻薬取締官は約300名が存在している。」「おそらく世界最小の捜査機関である。」(瀬戸晴海2020 P9)とされているが、薬物使用の芸能人の検挙等で国民にとってその知名度は高い。片や、同様の小さな組織である漁業取締船と漁業監督官についてその実態について知る者は多くないであろう。
そこでこれら漁業取締りの歴史を俯瞰しつつその業務にあたる漁業取締船や漁業監督官について少しでも理解を深められればと思い筆を執ることとした。
なお、沿岸漁業を主体に法令順守の責務を担っている全国の沿海都道府県にはかなりの数の漁業取締船艇と漁業監督吏員の存在がある。その活動についても紙幅の許す範囲内で概説してみたい。
なお、本原稿の執筆に関しては筆者個人の意見であり、政府や水産庁の見解や意見とは一切関係がないことを予め記しておきたい。

末永芳美すえなが よしみ
【略歴】
▷1950年 福岡県生まれ。九州大学農学部水産学科卒業。水産庁入庁後沖合課、国際課、外務省経済協力局、在米国アンカレッジ総領事館領事、遠洋課、沿岸課資源管理推進官、指導監督室長、九州漁業調整事務所長、漁場資源課長、研究指導課長、水産庁審議官、東京海洋大学大学院教授(統合海洋政策学)を歴任。水産庁にて漁業監督官に任命され、北西太平洋、オホーツク海、わが国 200海里にて漁業取締りに従事経験。日ロ漁業交渉、日豪漁業交渉 NPAFC(北太平洋溯河性魚類委員会)等で日本政府代表を務めた。
現在漁業経済学会、地域漁業学会理事、農林水産省農林水産政策研究所客員研究員。
主な著書
「食材魚貝大百科別巻1 マグロのすべて」(共著)平凡社 2007
「食材魚貝大百科別巻2 サケ・マスのすべて」(共著)平凡社 2007
「水産物の名称表示―止まらない偽装表示と規制の強化」(単著)東京水産振興会第512号 Vol.44 No.8 2010
「最新 水産ハンドブック」(編著)講談社 2012
「二〇〇海里漁業戦争をいかに戦ったか 30人の証言。その時に」(編著)農林統計出版 2020.3発行