水産振興ONLINE
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2020年7月

漁業の取締りの歴史—漁業の取締りの変化を中心に—

末永芳美(元東京海洋大学大学院 教授)

第9章 国家間の緊張関係で左右される漁業取締現場

漁業取締船と漁業監督官、漁業監督吏員の生い立ちから現代までの歴史を辿ってきた。既に江戸時代から藩により漁業の規則が作られ違反する者へは摘発・処罰が行われた。だが、漁業取締船を駆使して、また専門の取締官を任命して洋上遠く取締りを行うようになったのは、1910(明治43)の改正明治漁業法による。農林省水産局(常設時)が取締りを始めてから110年がたった。漁船の機船化、更には鋼船化が進められ、漁船の漁獲能力が高まり漁業者間紛争が起きるとともに、水産資源の乱獲により資源保存に危険が生じてきたためである。特に強力な漁業に対し多数の零細沿岸漁業との間で熾烈な摩擦が生じ漁業紛争が頻発してきたためでもある。1994(平成6)年に国連海洋法条約が発効し、沿岸国に排他的経済水域(EEZ)の主権的権利が制度化されてから取締りの質と対応が大きく変わった。外国漁船への対処が求められるようになり、国際関係も絡むようになってきた。国際問題化しかねない外国漁船への対応は、取締り技術の高度化を求められるとともに危険性も増し、対応への難易度も高くなった。対応の高度化も求められるようになってきた。

しかしながら、110年の漁業取りの歴史の中で、摩擦が高まるのは国家間の立場の違い、国家間の対立が深まったときである。戦前においてはソ連との間で領海幅主張を巡って、対立していた。ソ連による日本漁船の「被拿捕で、農林省が監視船による警戒監視をおこなっていたほか、大正12年以来海軍が駆逐艦を派遣していた」(井上彰朗 2018 P13)とされるが、双方の国の領海主権の主張が異なっていたための摩擦であった。

一方、「昭和14年4月対ソ関係の悪化(5月にはノモンハン事件始まる)、ソ連国境警備船の武装整備を受け、日本漁船の保護取締りのため、(農林省の)快鳳丸と俊鶻丸用に陸軍の重機関銃と実包の購入を請求するに至った。」(井上彰朗 2018 P13)ように、対抗して農林省漁業取締船も武装化している。終戦後は韓国との間での一方的な李承晩ラインの設定とそれを認めない日本の狭間で、多数の日本の漁船の拿捕、漁船員の抑留、そして漁船員の命が奪われてきた。この間、水産庁の漁業監視船が拿捕され、海上保安庁巡視船が韓国警備艇に連行されるという不幸な事件も起こっている。これを機に火砲の搭載等を抑制してきた巡視船も小型砲、機銃の装備を準備するようになっていく。

緊張関係がエスカレートしていくのは、国同士の対話や交流が円滑にいかなくなった場合であろう。現場の一線に立つ漁業監督官や海上保安官の身体が危険にさらされないようにするのは現場ではなく、為政者の高い倫理観と責務であろう。