まえがき
旧日韓漁業協定の終了通告がなされた1998年1月23日の直後の25日、寒い日曜日、戦後の漁業制度改革に直接携わった先輩たちからお話を伺う機会を得ました。場所は大手町の全漁連の一室。戦後の漁業制度改革からTAC法までの通達類をまとめた「漁業制度例規集」(大成出版)を編集した水産庁職員が、日々の業務や本の編集過程で様々な疑問、問題意識を持つ中で、当時、水産経営技術研究所所長であった水産庁の先輩、赤井雄次さんのお計らいによるものでした。
お話を伺った先輩たちは、高橋泰彦さん、小沼勇さん、松本威雄さんの3名。戦後の漁業制度の改革案づくりのために設けられた企画室において、初代塩見友之助室長、2代目久宗高室長の下で実行部隊として実務を担った方たちです。
昭和6年に農林省に入った高橋さんは、水産庁の元次長で技官の大先輩。明治43年の漁業法(明治漁業法)下で農林大臣免許だった専用漁業権について、関東大震災時の火災で焼けてしまった水産局の漁業権免許登録原簿の復活のために水中眼鏡を持って各地の調査に入った話など、まさに明治漁業法の実務の生き字引といえる存在でした。(私ごとながら、懇談後に高橋さんからいただいた「理想と現実の間でさぞご苦労なこととは存じますがガンバッテ下さい。」と書かれたはがきは、いつも執務机の横にあり、期せずして長官として平成の漁業法改正に取り組んだ時にも私を励ましてくれました。)
小沼さんは、大学で経済学を専攻されたバックグランドを持ち、経済的な視点を持ちながら漁業制度改革案作りに取り組まれた方であり、退職後も長く水産研究会の会長として水産政策への提言などをされた方でした。この懇談の以前から、伊豆の網代で開かれた水産研究会の合宿研究会(赤井さんも一緒でした。)に参加させていただいたりして、種々ご指導を受ける存在でもありました。
松元さんは、GHQとの交渉を担った久宗室長の「翻訳官」として条文づくりを担当されたとお話しされましたが、国会提出した漁業法の改正法案の国会における逐条での条文審査においては、入省間もない年齢で政府委員として答弁に立たれた方であり(今の国会では考えられません)、昭和漁業法の解説書である水産庁経済課編「漁業制度の改革」(日本経済新聞社)を久宗さんとともに執筆された方でした。
皆さんすでに故人となられました。2018年の平成の漁業法改正からでもすでに6年が経過し、戦後の漁業制度改革、さらにはその前の明治漁業法は、実務上遠い昔の話になりました。この記録については、これまでも、水産庁の後輩たちには伝えてきたものではありますが、今に至る漁業制度を知る上で、そして将来の漁業制度を考える上でも貴重な情報が含まれていると感じるところ、今回、このような形でより広い関係者がアクセスできる記録として残すことにしたものです。
なお、記録に登場するのは、上記の高橋、松元、小沼、赤井の4氏のほか、黒萩真悟さん(現 (一社) 漁業情報サービスセンター会長)、梶脇利彦さん(現農林水産政策研究所上席主任研究官)と私になります。
懇談は、末尾に収録した、質問などを記したメモを事前にお送りし、先輩方に目を通していただいた上で、そのメモに沿って進行しました。
2024年11月29日
(一財) 東京水産振興会理事 長谷 成人