水産振興ONLINE
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2024年11月

「漁業管理制度問題」懇談会記録
—明治漁業法と戦後の漁業制度改革について—

高橋泰彦 松元威雄 小沼勇 赤井雄次(水産経営技術研究所) 長谷成人(水産庁) 黒萩真悟(水産庁) 梶脇利彦(水産庁) (所属は1998年時)

[別添]質問事項

※「  」内の発言は、「漁業改革はどういう順序で行われるか」(高橋)、「農林水産省百年史回顧座談会」、「卯の花の匂う」、「漁業情勢の変化と制度面に関する研究(佐竹元長官執筆部分)」におけるそれぞれの方の発言であり、質問との関係でここに記した。出典は、それぞれ「改革」、「座談」、「卯の花」、「研究」と表記した。

1. 明治漁業法と当時の実態について

⑴ 総論

明治漁業法と現行制度との違い
「法制としては旧法の方がずっと筋も通っているし、構成もしっかりしている。」(久宗:研究)

⑵ 各論

• 専用漁業権

「海草貝類に限られて200mぐらいのものから、1万mに及びあらゆる魚を対象にあらゆる漁具漁法がその内容となっているものまであった。」(高橋:改革)
→地域によって、全く千差万別だったのか、ある程度、地域的な傾向があったのか。

• 明治漁業法下における新規免許の取扱いについて

明治漁業法では、専用漁業権は大臣、その他の漁業権は知事が免許する規定になっており、慣行による以外、漁業組合でない者は専用漁業の免許を受けられないこととなっていた。また、既存の免許については更新主義、新規漁場については先願主義を基本としていたと聞く。
ついては、専用漁業の内容となるであろう新規未開発漁場を発見した者が免許申請を行った場合、当時の水産行政当局はどのような処理を行っていたのか?

現在から見た妥当な処理方法として、

  • 発見者との調整を図りつつ、漁場から近隣に在る関係漁業組合に呼びかけて申請させ、その専用漁業権を共有させる方法や、
  • 取締規則等による許可制度、禁止区域等の運用によって発見者の利益を損なわないように取り扱うこと等が考えられるが、現実には、
  • 専用漁業として免許されるべきものが、第3種区画漁業として知事から発見者の利益関係者に免許された事例もあると聞く。

千葉県の事例で、外房沖に未開発のアワビ漁場(器械根)を発見した者が大臣に免許出願したが許されず、その後、発見者は法人を設立し、幼貝の移植程度を行うことによって第3種区画漁業(地まき式アワビ養殖)として知事の免許を受けた。このことが周辺沿岸漁民に知れ、数十年にわたる大紛争が発生したとの記録がある。

• 特別漁業権

「徳川時代、多数入り会ってできない漁法ができ、網元層ができ、それが特別漁業権へとなっていった。一方、飼付、しいらづけは、ほとんど組合有で組合員の共同利用」(高橋:改革)
→経営者免許と組合管理的なものの比率は、それぞれの漁業権ごとにどのようなものだったのか。

• 区画漁業の分類

明治漁業法において3種区画漁業をあえて厳密に定義せず、1種及び2種に該当しない一定の区域内で行う養殖業としたのは、

  • 以後の技術革新による展開を予想したこと
  • とりあえず全面的に禁止する必要性があったこと

が理由として想像されるがどうなのか?
3種区画漁業は専用漁業とすべき内容を組合以外の者に免許する便法として用いられたことが多かったのではないか。
大正10年にはこの分類は不明瞭なので見直すべきとの指摘(水産事務協議会)がなされているがどの様な対処がされたのか?また、漁業制度改革時には同様の議論はなかったのか?

• 定置漁業の分類

定置漁業権の免許を受けなければならない定置漁業は7種類に限定されることから、区画漁業とは異なり7種以外は免許を受けなくても為し得たということなのか?その理由は行政上の便宜だけからか?

• 沖合漁業との調整

「トロール漁業の操業区域を沿岸から離して、こっちを禁止区域にするんです。昭和7年に機船底曳網漁業取締規則の改正、大臣許可へ。隻数制限。」(高橋:座談)
→禁止区域の設定は、現状追認だったのか?

• 漁業取締

明治漁業法では海軍艦艇乗組将校、警察官吏及び漁業監督公務員に加え、港務官吏、税関官吏をも漁業警察の執行機関として位置づけ、今よりはるかに機能的で充実した取締体制にあったように思えるが、実際はどの程度機能していたものなのか?

• 昭和8年改正

(漁協の広域合併と漁協の性格の2面性から生じる問題に関連して)
「産業組合と漁業組合との分離論(漁業組合には経済機能は与えてはいけない)と漁業組合の協同組合化運動の両方をやらされたが、いまだにどっちが正しいのかよくわからない。」(高橋:座談)
→漁業制度改革の際、漁民公会案がつぶれたことも踏まえて何か見解を。

• 漁業税

(国内の構造調整を進めるには、資源を利用するものの受益者負担システムが必要ではないかとの問題意識に関連して)
戦後の、免許料撤廃運動の際に、全国海苔貝類漁連の抗議の記録の中に「従来の漁業権税の十倍に近い負担を余儀なくされ」反対という記述を見つけたが、戦前の漁業権税とはどのようなものだったのか。

• 漁業権を物権とみなしたことについて

漁業権を物権とみなした理由とされている担保性の設定はどの程度の効果があったのか?

• 一漁業権一漁業種類について

明治漁業法、現行漁業法にかかわらず、つい最近まで「一漁業権一漁業種類」にこだわってきた運用の歴史がある(例えば、「たい小割式養殖業」、「ぶり定置漁業」のごとく)が、これは漁業権を物権とみなしたことに関係があるのか、あるいは単なる漁業政策上の理由によるものなのか。

2. 漁業制度改革について

⑴ 総論(改革の歴史的意義、役割、限界について)

  • 仮に制度改革が行われず、明治漁業法が継続していたとすれば、どのような展開となっていたと思われるか?

「あの当時は、占領下の非常事態の中で如何にしてわが国漁業の再建のメドをつかむか。また国民経済が自律性を喪失した中で、各セクターの恣意の横行からいかに漁業を守るか。それが第一義に重要で、その為には、資本を再投下することが不可欠であった。だから理屈抜きに旧漁業法は「封建的」で悪いということにして、これを質に入れてあの180億円という彪大な資金にかえてしまった訳だ。だから、新法はこの一連の戦略戦術の為の芝居の筋書きのようなもの」(久宗:研究)
「漁業権の整理を始めは無償だったのを有償とし、それを漁業権証券で交付して後でそれを資金化し、それを漁業の産業としての確立の梃子とする、そしてその財源として差額地代の理論によって免許料、許可料を徴収するとしておいて、後にそれを廃止するという一連の構想と進め方はまさに久宗流」(松元:卯の花)
→1次案では、漁業権消滅は無償だったが、途中から、漁業権の補償のための資金を許可漁業者にも負担させたところなど、わざと反対運動を誘発させたようにも思えるが?

⑵ 各論

• 優先順位

(地方分権と今回の制度見直しについて説明した上で)
「1次案の考え方から変貌していったのは、司令部との調整を図りつつ具体化したもの。免許、適格性、優先順位のようにこれまでの法文からすると随分とぎこちない」(松元:卯の花)
→以前、松元さんから、優先順位の規定は、1次案がGHQに否定されたための苦肉の策だったという話を伺い、藤田巌さんも「そういう仕組みに最後はなってしまった。」(座談)と表現されておられるが、その辺の話を詳しく聞きたい。

• 漁業調整委員会

同じく、漁協によるすべての漁業権の管理という1次案が否定されたことから漁業調整委員会制度が生まれてきた経緯について。市町村、都道府県の2層制が郡単位の1層制になった背景など。漁業の民主化の手段として、委員の公選制を導入されたが、その評価は?

• 特別漁業権

(佐々木輝夫さん等、2種から4種の共同漁業権は、許可制としてはという意見があるのを踏まえ)
経営者免許も多かった特別漁業権を、共同漁業権としたのは、

  • 個人免許は、許可漁業とすればよいという考えが強かったのか。
  • 1次案の漁業権の漁協への集中の考え方の名残と考えた方がよいのか。
• 共同漁業権

「共同漁業権は組合で自営することは勿論他の規定に反しない限りやることができますが、原則としては自営という形でなく、組合員が各自これを行使することができるのです。」(高橋:改革)
→「一定の水面を共同に利用して営む」という共同漁業権の定義と組合自営は矛盾するのではないか。


注:別添中の参考資料

  • 「漁業改革はどういう順序で行われるか」高橋泰彦著 昭和24年 水産経済新聞社
  • 「農林水産省百年史回顧座談会」小沼勇著「漁業政策百年」から 昭和63年 社団法人 農山漁村文化協会
    (昭和54年から56年にかけて刊行された「農林水産省百年史」上中下三巻(「明治編」「大正・昭和戦前編」「昭和戦後編」)のそれぞれから、回顧座談会・漁政の部を取り出したものが本書に収録されている。小沼さんはこの座談会においてまとめ役を務めた。また、高橋さんも座談会に参加されている。)
  • 「卯の花の匂うー久宗高の追憶」平成3年 「卯の花の匂うー久宗高の追憶」編集委員会 非売品
  • 「漁業情勢の変化と制度面に関する研究」(平成5年度水産業総合研究事業)平成6年3月 社団法人 大日本水産会