水産振興ONLINE
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2024年11月

「漁業管理制度問題」懇談会記録
—明治漁業法と戦後の漁業制度改革について—

高橋泰彦 松元威雄 小沼勇 赤井雄次(水産経営技術研究所) 長谷成人(水産庁) 黒萩真悟(水産庁) 梶脇利彦(水産庁) (所属は1998年時)

2. 漁業制度改革について

⑵ 各論

専用漁業権について

小沼 耕作するものが所有するんだというのと同じ考え方を司令部は持ったんですよ。

高橋 そうだったね。あれにはまいったなあ。それを全部書けっていわれてね。

松元 そうですよ。弱っちゃってね。

高橋 明治漁業法は書いてないもんな。

松元 書いてないですよ。極めて簡単。

長谷 あのままであれば、県レベルで免許の方針を決めて、それに従って免許できたわけです。

松元 方針を決めるっていっても今はうるさいからね。勝手に決めるのかと言われるから。今は司令部のかわりに民主的要望が強いから。

長谷 まあ、委員会に諮った上で、公示して免許するんでしょうけどね。でだしは今法律に書いてあるとおりから始まるかもしれないですけど、先進県における創意工夫の余地が出てくるのではないかと思うのですが。

高橋 そうすると、優先順位というのは県にやってもいいという考えですね。

長谷 個人的にはそう思います。調整みたいなことは国がやらなければいけないけれど、誰に免許するのかみたいな話こそは地方分権でいいと思います。

高橋 知事さんは困らないかな。

長谷 そんな面倒くさい仕事はかなわないというのが、多くの都道府県の実務者の反応だとは思うんですが。

松元 指定漁業のところも原案ではなかったんです。司令部が言い出したんです。高橋さんが言われた同業組合的なものは司令部に否定される思想なんです。同業組合準則が一方であったでしょ。

高橋 将来の問題だな。

松元 昔は司令部。今は公取が言うかもしれない。とにかく久宗さんが司令部から何か持ってくるたびにぎょっとするわけですよ。

漁業調整委員会

長谷 海区漁業調整委員会については、アメリカの行政委員会の考え方の輸入という側面、あと赤井さんにうかがったら、戦前にも調整委員会のようなアイデアがあったんだというお話です。3 7年に海区の単位は変わってしまいましたが、制度改革のときの調整委員会になった時の経緯をお聞かせ下さい。

高橋 係長が野村技師という偉い人だったのですが、この人の考え方として、やはり農山漁村更生計画にも関連しているんですが、何とか漁村を更生する一つの方法として、漁業を統制する、漁業統制組合というものをつくって、村中の漁業組合を中心に経済更生計画を立てて、そして一番有利な方法で漁業を行い、販売を行い、そのためには統制的な、全漁民的な運動が必要であるというのが、野村先生の固い固い決心なんだ。これは当然なんだ。それから、それが問題だといったのが、当時の局長たち。統制はいくら戦時下でもひどいよ、調整くらいがいいんじゃないかと。それがそもそも漁業調整論の始まりなんだ。戦前、特に経済更生運動から、漁業協同組合が主体になって、漁業を調整し、そして有利に魚を売ったりする活動をしようじゃないかという信念からだった。感心しました。最初の構想は統制だった。性格は統制組合だったんですよ。内容は村の漁業を統制し、更生させようという計画だったんだけど、それも戦争が始まってめちゃくちゃになった。

長谷 それを戦後、引き出しから出してきたんですか。

高橋 いや、あれは久宗さんだったかなあ。松元さんだったかなあ。漁業権の問題だからね。
調整というのが表に出るんじゃないでしょうか。行使にしたって。自然に出てくるよ。採用したのは久宗さんだ。大元は野村技師です。

長谷 市町村と都道府県の二層制の原案が郡単位になったのは予算の制約ですか。

小沼 最初は農業の委員会がベースにあって。その後、調整の問題が起きるのは市町村ではなく、海区単位だということになって。どれくらいの単位に分けるかとか、高橋さんに検討してもらってね。普通の海区でおさまらない部分は連合海区でというふうに整理していったんですよ。

長谷 それは大蔵だとかGHQというよりも水産内部の話ですか。

小沼 そう、内部の話です。

高橋 漁業者の方でも郡単位じゃ具合が悪いから、県単位でとか言い出すしね。最初は細かかったが、その後県単位にしてくれという要望が県にありました。

小沼 琵琶湖や霞ケ浦は今も海区ですか。当時少し議論になったな。

長谷 そうです。それも、今回の見直しで、むしろ内水面にすれば、第五種共同漁業権にできて、今の時代にはいいという発想もあります。

小沼 民主化の意味で役に立ったかということは、皆さんが評価する話なんで…。

高橋 僕の本音では、県の係官の邪魔をしなかったことだけは良かったと思っているけど。

黒萩 初期は機能してましたしね。次の切替の時からは機能していないように思いますね、本を読む限りでは。

長谷 まあ最初想定していたものと比べてということだと思いますが、物ごとが収まるプロセスとして、漁業者の代表が入ったところで議論して決まったことですよという意味では、非常に機能していると思います。

小沼 今の農業委員会制度の改正でも議論になっているけど、こういう時にどういうふうにカツを入れたらいいのか、前向きで積極的に活用するやり方を工夫した方がいいと思いますよ。農業は今、大議論をしているんですよ。委員会制度はいらないんじゃないかと。最初は農地委員会だったが、農業委員会になった。

特別漁業権

長谷 あと細かいところを確認したいんですが、特別漁業権のことはさっきも話に出ましたが、専用漁業権の流れのものと、特別漁業権からの流れの物と、ある意味で異質な流れのものを(共同漁業権として)ひとつにしてしまった。そもそも異質だからということだと思うんですが、もう許可漁業でいいじゃないかと主張される方もおられるわけですね。そういったことがあるものですから、おうかがいしたいのですが、さっき、特別漁業権の管理主体の話で、組合が持っていたのは半分弱なんですね。それを共同漁業権にしたわけです。その考え方というのは、①、②と書きましたが、個人免許のものは許可漁業として扱えばいいというイメージを持っていたのか、できるだけ漁業権は漁協に集中するというのが底流にあったと思いますから、この際、個人免許的な特別漁業権を組合管理に持っていってしまえと。GHQがちゃちゃを入れたから貫徹はできなかったけど、この部分は組合管理に持っていこうと思われたのか、どっちだったのですか。

松元 私は後者だと思います。あの時、漁業権のなかで一番の問題は定置と専用だったわけです。区画はなるべく組合有にしようという私のサービスです。特別もさらっとしてて、どうしようかなと。要するに定置や専用ほど強くはなかった。なかったけど、この際こっちに入れた方がいいんじゃないかと言って、賛同を得たんです。

長谷 これによって浮魚をだいぶ取り戻したということですか。

高橋 そうそう。これはちょっと趣味の問題です。

小沼 独占排他性がどの程度強いかという話ですよ。定置、区画は全然違いますからね。寄魚だって鳥付だって…。許可でもよかったかなあという感じが今ではしますよね。

高橋 養殖は別として、確かに物理的な専用の程度。それが若干、技術的にはありますよ。

赤井 もう一つは、無動力船がまだ多かった時代ですから、あまり動かないわけですよ。船曳にしても。

共同漁業権

長谷 最後になりますが、共同漁業権の話で、一定の水面を共同で利用して営むという定義があるわけですね。ですから組合管理が原則だと思うんですが、高橋さんの本の中に、当時から、まあ原則は組合管理だが、自営もあるよと。実態もそうなっているわけですが。そこらへんをどう考えていたのかなと思いまして。白浜の例とかありますが、多いのは特別漁業権から流れてきたものですね。
厳密に共同漁業権の定義からいえば、自営は共同漁業権じゃないのではないかということになるわけですけど。

高橋 だから、白浜のテングサのように一部村有のものもあったと。

長谷 松元さんどうなんでしょうか、実態としてはそういうものも許容するけれども法文上はこう定義したということなんでしようか。

松元 あんまり考えてなかったんじゃないかな。

高橋 自営はね。組合が沿岸を利用するということで割り切っていいんじゃないかというのが実態じゃないですかね。

松元 そう思いますよ。

高橋 原則的に決めて、例外は書けばいいやという松元さんの巧妙な、実に巧妙なやり方ですよ。

長谷 ただ、これについては例外をどう読むのかなというのが…。

赤井 実態論としては、小型定置になっているようなところは組合自営が出てくる可能性はありますよね。

梶脇 今、岩手なんかで漁業権を設定したんだけど、かなり深めのところにアワビがいる。どうしても磯見で獲る漁師さんが多くて、深みの物を獲れない。これは他の部落から漁協が人を雇ってきて、潜りで獲ってもらわなければならない。そういう場合に、漁協自身が免許を持っているのだから、それを自分で自営しようがしまいが、水協法でも漁協の自営は認められているのだから、共同漁業権をやるというより、自由漁業であるアワビ漁業を漁協が人を雇ってやっているのだからいいじゃないかというような議論が、最近すごくあるんです。

赤井 確か稲取もテングサを獲るのに韓国人を雇った。

高橋 伊豆でも組合が自営を目的としてだったか何だったか、潜り業者に賃貸…まあ漁場を売ったわけです。その金は全部、それをやった連中が入れるわけではなくて、マグロの遠洋漁業の振興に投下した。その点がちょっと変わっている。もちろん、漁業協同組合の同意のもとで。売った金を組合なり、遠洋漁業にやった。それは当時の考え方からいいんじゃないかと言ったんだな。わかりませんよ善悪は。

梶脇 明治漁業法の中には、専用も特別漁業権もあったせいもあるんですが、漁業組合は漁業権の共有と行使について権利を有し義務を負う、ただし自ら漁業をなすことを得ずという規定が明治漁業法の最初にあった。そこの部分が、ある意味では昭和の漁業法、制度改革の中では明確に触れていない。その中で水協法の方が先に走っていって、漁協自営が17条に加えられということがあって、そこらへんに組合の自営の考え方というか、いろんな文献を読んでもいまひとつはっきりしない。

高橋 明治政府と考え方が違ったということはいえると思う。当時は入会漁業をいかにうまくやるかということが政策の目的みたいなものでしょ。ただ、昭和になると、沖合に出なければならないときです。組合が一緒になって潜って獲るのではなくて、組合が自営に近い格好で資金を得ることは悪いことではないという空気が出てきたのではないか。マグロが発展したからこそ。当時の明治政府の考えと違ってきているはなあ。

黒萩 漁場主義と漁業種類主義でいえば、水産局のものの考え方は、漁業種類主義でやってこられたわけですよね。あれは今の話と全然矛盾しないと思いますよ。要するに漁業権の行使者たる人が、物権的請求権をその組合に主張しないという約束がとれてさえすれば、基本的に専用漁業権であろうが、共同漁業権であろうが自由漁業なのだから、基本的にクリアになってしまうんじゃないかと思っていますが。

高橋 だって、最初から自由漁業にしたって金を取れないじゃない。

黒萩 ああ、そういうことですか。

高橋 資本化して漁業を発展させよう。それはマグロだと。今までテングサしか獲っていなかったけど、マグロをやりたいんだと。こういう発展の仕方です。

赤井 一応はこれで終わりにします。それで食事をしながら、また話しましょう。

(文責編集者)