水産振興ONLINE
638
2023年2月

“千客万来”の築地場外市場となるために
 ~『食のまち 築地』の近未来~

八田 大輔(株式会社 水産経済新聞社) 

要旨

業界紙記者として築地市場移転問題を追ってきた成果などを元に、本体を失ったことで岐路に立つ築地場外市場の活性化の道を考察する。「商品コンセプト理論」を商店街分析に転用し、築地場外市場から来場者が享受可能なベネフィット(利便性・満足感)が「プロ向けの食材・道具が手に入る(楽しめる)」点にあると示す。築地市場の移転先の豊洲市場、築地跡地、周辺エリアの動向などの背景を整理したうえで、活性化には旧築地市場の機能を補完する施設「築地魚河岸」を中核として運営することを前提に、①プロの小口客を増やす ②食の外部化に対応する ③「食のまち」以外の魅力を深耕する—3つの方向性があると示唆。関係者間でベネフィットを認識共有し、それに基づいた活性化策に取り組むよう提案する。

画像提供:築地食のまちづくり協議会

1. はじめに

2006年に業界紙記者とは全くの門外漢な分野から水産業界に足を踏み入れてから今年で17年が経過した。アジとイワシ、サンマの違いすら気に留めたこともなかったようなズブの素人であった私が何とか仕事を続けてこられたのは、最初こそ取っつきにくいけれど、付き合いが長くなると大変に情の深い水産業界の皆さまの温情のお陰と感謝している。

この間、卸売市場流通を端緒として、流通・小売全般、加えて水産業の上流から下流までがコンパクトに揃った複数の県域の取材へと活動の場を広げてきた。その際に、最初から大きなテーマであったのが、世界最大の魚市場であった東京・築地市場の移転問題だった。中途入社の際に指導に当たっていただいた先輩記者から「5年程度先には豊洲に新設移転することになっている」と初期のレクチャーで聞いたことを覚えている。当時は、卸売市場を意識したことさえなく、「そんなものなのか」程度にしか思わなかったと記憶している。

しかし、フタを開けてみれば、市場関係者間での移転賛成・反対の断絶、市場用地の土壌汚染問題による停滞、都議会勢力の逆転による移転そのものの再考、土壇場での都知事交代による移転直前での移転差し止め・延期など、さまざまな出来事が怒涛のように襲い掛かり、関わり始めてから実際の移転完了までには5年どころか10年以上を要することとなった。

途中から参加した私でさえ、延期決定の前後には関連取材で疲弊気味だったので、築地市場の再整備問題が持ち上がる当初から携わってきた市場関係者のご苦労は筆舌に尽くしがたいものがあったと思う。紆余曲折ありながら2018年10月に築地市場閉場ならびに、東京・豊洲市場の開場を迎え、その後は、新型コロナウイルス感染拡大に伴う混乱に大半を悩まされたものの、移転は「成功」といえるだけの結果を残して、早5年目に入っている。

豊洲市場の移転・開場から2年が経った頃、豊洲市場の関係者らが構えている場外拠点が多く集まる東京・中央区の豊海水産基地の管理団体である一般財団法人東京水産振興会との共同企画として、豊洲市場に関する主要な事業者のインタビュー連載を、日刊水産経済新聞の紙面と同会が運営するウェブサイト「水産振興ONLINE」上で連載する話がもちあがった。まだ移転のドタバタのマイナスイメージが先行していた豊洲市場の名誉挽回には願ってもないことであったし、業界紙記者の性格上、広告営業と並行で仕事をこなさなければならないため深い取材ができずに不完全燃焼で、豊洲市場を再度見つめ直したいと思っていたので渡りに船だった。

インタビュー連載では、後から豊洲市場の事情に明るくない人が見返した時にも、豊洲市場が日本の生鮮水産物流通全体でどのような役割を果たしているのか、どんな属性の人々がいてそれぞれの役割を果たしているのかを、卸売市場システムの仕組み全体が分かるように配慮し、場内で担っている機能ごとに事業者を順に取り上げていくリレー形式にした(3. (1) 参照)。

最後には今後の中核を担うであろうメンバーでの座談会で締めくくった。1年以上に及んだ連載は自身が当初思ったような形にならず、読者を満足させることができたかははなはだ疑問が残る。しかし、改めて私の中で今回の市場移転が何であったのか、豊洲市場は今どんな状態にあるのかを整理することができたのは、その後の記者活動の大きな収穫となった。

当時の連載の中で、市場の中核機能を移転により失った築地地区の賑わいを維持するために中央区がつくった生鮮市場「築地魚河岸」を1度だけ取り上げた。私自身は、当初の連載計画では計算に入れていなかったが、東京水産振興会側からの提案で「番外編」の扱いながら、築地魚河岸事業協議会代表の(株)樋栄社長・楠本栄治理事長に話を聞く機会を得られた(4. (1) 参照)。

築地市場が移転問題に揺れている当時は、「築地魚河岸」などを筆頭に築地場外市場側の事情におもねった報道をすることは、豊洲市場との分断を深めて近い将来の遺恨になりかねないと考え、移転が無事に終了する前まで一部を除いてほとんど取り上げてこなかった。

しかし、楠本理事長に話を聞くことで知る築地場外市場側の視点には新たな気付きも多く、築地場外市場も併せて栄えることが将来的に豊洲市場含めた利になると再認識できた。

その時の細い縁で一般財団法人中央区都市整備公社の担当者から、築地場外市場をテーマとした「まちづくり講演会」の講師を依頼された。正直、自身の能力には余る仕事だったが、自分なりに用意したうえで2022年2月19日に「“千客万来”の築地場外市場になるヒントを教えます~『食のまち 築地』の近未来~」というタイトルで講演させていただいた。

本稿は、当時の講演内容と講演資料をベースに、新型コロナウイルス感染拡大を取り巻くその後の変化などを織り込んで再構成したものとなっている。講演内容は当時のタイトルに名前負けしていたので、ややトーンを落としたものに修正はしたものの、築地場外市場で事業を営んでいる人々やその関係者に、何か響くものが一つでもあればと願うばかりだ。

写真1:年末の買い物客で混雑する築地場外市場(2022年12月30日撮影)
写真1:年末の買い物客で混雑する築地場外市場(2022年12月30日撮影)
著者プロフィール

八田 大輔はった だいすけ

【略歴】
1976年静岡生まれ、名古屋大学文学部日本史学科卒業。上京して富士通系列のシステム会社でシステムエンジニアとして3年勤務した。退社後は日本ジャーナリスト専門学校スポーツマスコミ科に学び、卒業間近の2006年1月に(株)水産経済新聞社の編集記者に転じた。16年4月から報道部部長代理。中心的な取材分野は、卸売市場を中心とした流通全般、鮮魚小売業全般、中食産業全般など。専門商材はウナギ、干物類。そのほかの担当エリアとして北陸3県(富山・石川・福井)、福島県、千葉・勝浦、静岡県東部/西部。