水産振興ONLINE
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2023年2月

“千客万来”の築地場外市場となるために
 ~『食のまち 築地』の近未来~

八田 大輔(株式会社 水産経済新聞社) 

4. 築地場外市場のベネフィットを磨き上げる

(1) 移転直後の苦境を乗り越えて

私が担当・執筆した、豊洲市場の事業者にスポットを当てた連載「豊洲市場 水産物流通の心臓部」の2021年6月25日掲載の第10回、番外編で取り上げたのは豊洲市場の水産仲卸・(株)樋栄社長で、築地魚河岸事業協議会ではトップを務める楠本栄治理事長だった。

写真10:「築地魚河岸」の楠本理事長が登場した豊洲市場のインタビュー連載回(日刊水産経済新聞2021年6月25日掲載)
写真10:「築地魚河岸」の楠本理事長が登場した豊洲市場のインタビュー連載回
(日刊水産経済新聞2021年6月25日掲載)

商業施設「築地魚河岸」は、前述したように移転した築地市場本体の機能補完する存在として中央区によって用意され、豊洲市場の仲卸業者を母体とした店舗を中心に約50店が営業している。移転後には、豊洲市場に徒歩や自転車では通えなくなった銀座をはじめとする中央区で営業する飲食店などの小口買出人への販売と、一般来場者向けの販売を並行で行ってきた。築地場外市場90年の歴史からすれば後発も後発の存在だが、築地場外市場のベネフィットの根本を支える施設として、今や代替が利かない唯一無二の存在となっている。

楠本理事長によると「築地魚河岸」の最大の危機は、築地市場本体が移転した直後の半年~1年ほどだった。今まで築地市場本体へ来ていた買出人の大半が豊洲市場へと拠点を移し、観光客の足が一時的に遠のいた途端に閑散となった。観光客向けを中心とした品揃えにかじを切っていた店舗の中には十分売り上げが確保できずに脱落する者も出た。

しかし、「築地魚河岸」でも、「プロの人に来てもらってこそ」という「築地魚河岸」が開業した時に確認した共通理念を守り続けていた店舗は生き残ることができた。楠本理事長の店舗では危機の後、プロの買出人が5割、一般客が5割の利用者比率で落ち着いたという。

新型コロナ感染拡大期には、観光だけの人々は減ったものの、駅前デパート地下などの密になる場所を避けて買い物の場を探していた近隣の高層マンションの住人が常連として定着する傾向もみえた。2021、2022年と年末商戦は大いに盛り上がり、一定の賑わいを取り戻した。

築地市場本体があった時代からある「プロレベルの本格的な食材、雑貨が手に入る(楽しめる)」街というベネフィットは、事業者らの懸命の努力によりつなぎとめられたといえる

(2) 最優先はベネフィット

新型コロナの感染拡大は、各地の有名商店街にも今一度、ベネフィットの大切さを迫ることになり、観光客向けにその性格を変質しすぎていたところは大きすぎる反動に苦しむことになったことは先に述べた。築地場外市場の一部でもその傾向があったものの、「築地魚河岸」で現在も営業している業者のように「プロの人に来てもらってこそ」という共通理念を守った業者たちの踏ん張りを、プロ志向・本物志向の強い客層の人たちは見離さなかった。

築地場外市場のベネフィットは、本体の移転で構造こそ変わったものの、「プロレベルの本格的な食材、雑貨が手に入る(楽しめる)」点で引き継がれていることは指摘してきた。ほかの大型商店街にはないもので、新型コロナの混乱期に利用者をつなぎとめたのもこれだった。

つまりは観光客のような水物ではない、近隣に居住している“本物”志向の強い消費者に支持されるサービスを続けることが築地場外市場の生き残りの最大のカギになってくる。

ターゲット層としては、徒歩・自転車圏の中央区の地元住民だけでなく、公共交通機関のアクセスは地下鉄日比谷線、大江戸線、有楽町線、都バス、そして2040年代に開通する「都心部・臨海地域地下鉄」などの利用者も、地元住人に次ぐ存在として考えてよい。商圏人口は中央区民17万人どころか、足し合わせれば100万人に届くだろう。政令指定都市級の人口なら、築地場外市場の提供するプロ志向・本物志向を求める消費者は潜在的に相当数いる。

写真11:新型コロナの感染拡大下での「築地魚河岸」。新たな常連が誕生する契機となった
写真11:新型コロナの感染拡大下での「築地魚河岸」。
新たな常連が誕生する契機となった

観光客への対応は、本質であるベネフィットさえ魅力的なら、それこそアイデアを工夫することで取り込むことができる。まずはベネフィットを強固にしていくことが最優先だ。

(3) ベネフィットにさらに磨きをかけるための3つの方向性

築地市場本体の移転後も、「プロも利用するレベルの本格的な食材、雑貨が値頃に手に入る(楽しめる)」というベネフィットは何とか維持されていることは先に確認した。それでは旧築地市場の機能を存続するために建てられた「築地魚河岸」が運営されることを前提として、現在のベネフィットをさらに魅力的に磨き上げる手はないのかを以下では考える。

方向性の一つとしては結果的に大口客向けが中心となっている豊洲市場との差別化だ。

豊洲市場は徒歩・自転車の来場者にとってやや利用しにくくなって以降、都心の小口買出人への対応は共同配送の利用を促すなどで対応してきた。しかし、やはり対面販売のキメ細やかさには及ばず、小口買出人の満足度は高くなく、ドライな関係性になっている。築地場外市場側が小回りを生かした、個々の買出人のニーズに応じた細かい仕事で応対することで、新型コロナから社会が回復する中で増えてくる、新規の小口の買出人らを引き込める。

一般来場者に関してはさらに築地場外市場が有利で、閉鎖型施設の豊洲市場が外部から物理的に隔絶されていることもあり、年末の一時期を除けば足を踏み入れる一般人はあまり多くない。この点では、完全に一般客向けに開かれた体 (てい) で営業している築地場外市場は大きくリードしている。一般客がより利用しやすい環境づくりを極めるのも一つの手だろう。

二つ目は、地域住民の台所として日常の買い物となる品揃え、サービスを充実させること。

確かな品質の素材の販売に努めても、やはりプロ向けの商材はどこまでいってもプロ向けの商材であり、一般消費者にとっては「ごちそう」的な機会しか利用されない。購入には何度も多くの予算を割けないため、プロ志向・本物志向を前提としながら、あまり高額でない小分け商品や、ニーズが高まる一方の手間をかけずに食べられる惣菜系商品の販売の強化が必要となる。

三つめは「食のまち」にこだわることはもちろん、築地の土地が歩んだ歴史と連動した取り組みをもっと掘り下げること。

写真12:2022年2月に行った当時の講演資料の一部
写真12:2022年2月に行った当時の講演資料の一部

冒頭に歴史を振り返った通り、「食のまち」になる前からの長い歴史が築地場外市場一帯にはある。2024年3月に決定が見込まれている築地市場跡地の再開発事業者と密に連絡を取りあいながら、「食のまち」以前の歴史や、新たな再開発施設を絡めることなどで、一般消費者が築地を訪れることの動機となるベネフィットをいくつも増やしておいて損はない。そのことにより「食のまち」としての理由以外にも、築地場外市場では唯一無二が体験できるスポットであると、当地を訪れる前から人々に思わせることができれば賑わいは約束される。