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2023年2月

“千客万来”の築地場外市場となるために
 ~『食のまち 築地』の近未来~

八田 大輔(株式会社 水産経済新聞社) 

2. 「食のまち築地」が人々を惹き付けている魅力は何か

(1) 築地場外市場の成り立ちと現在

まず、最初に「築地場外市場」の成り立ちと現在について改めて整理をしてみたい。

「築地」とは元来、埋立地のことを指す。江戸前期の明暦の大火(1657年)で江戸市街地の大半が焼失、その復興計画により、海を埋め立て新たに造られた土地が現在の築地一帯となった。造成後は寺町や武家町として発展し、現在のような「食のまち」としての雰囲気は片鱗すらなかった。「食のまち」のルーツを築くことになる魚河岸関係者はまだ日本橋にいたから当然だ。明治時代になると、外国人居留地としての役目を与えられる。

築地場外市場と隣り合った位置に建っている築地本願寺は、もともと西本願寺別院として浅草御門近くに創建された寺院だが、明暦の大火で焼失したため1679年に現在の場所に再建された。以後、寺町の中核として築地とともに長い歴史を歩むが、大正期の関東大震災で伽藍が焼失したため、1934年に現在の鉄筋コンクリート造りの本堂が再建された。築地市場の正式開場はその翌年であるから、築地場外市場としての歴史は、360年ほどの築地の歴史の4分の1程度といえる。

しかし、1923年の関東大震災を契機に日本橋の地を離れた魚河岸関係者が築地に移り、1935年に築地市場として開場・機能し始めると、市場を補完するさまざまな商売人らが現在の場外市場がある地に集まり、瞬く間に都内最大の問屋街に発達した。約460という2021年現在の店舗数は全国最大規模。公設の築地市場を補完する立ち位置にある小売市場として栄えた。とはいえ、20世紀まではまだ玄人向けの専門店街だった。

転機となったのは2000年12月の都営地下鉄大江戸線・築地市場駅開業。以降は加速度的に観光色を強めていく。築地市場という名前の一般への浸透に大きな役目を果たし、基本的に一般人が立ち入れない築地市場本体に代わり、「築地ブランド」の形成に大きく寄与した。

豊洲に市場本体が移転するまで、あまり飲食業界に詳しくない観光目的の一般人が連想する築地市場のイメージは築地場外市場であることも多かった。海外からの注目も日本食の普及とともに加速度的に高まり、「TSUKIJI」は世界的な知名度を得ることになる。

成り立ちからいえば、築地場外市場は築地市場ありきで発達してきた歴史といえるため、市場移転によって本体である築地市場を失うことは、「食のまち」の存在意義が根底から崩壊するほどのインパクトになりえた。築地場外市場は早くから豊洲に移転せず現在地で営業を続けることを公に表明していたが、市場本体なしで立ち行けるのかは不透明な状況だった。

これに対し、中央区では自ら生鮮市場「築地魚河岸」を建設する決定をする。水産・青果のプロフェッショナル集団である仲卸業者を誘致し、失われる本体機能に替わる存在として「食のまち」の遺伝子を残すことに努めた。「築地魚河岸」は豊洲市場の土壇場での移転延期で2016年11月からしばらくはプレオープンの中途半端な形だったものの、築地市場が閉場となった2018年10月にグランドオープン。きょうまで6年半の営業を続けている。

写真2:築地場外市場全図(築地場外市場ガイドマップから抜粋)
写真2:築地場外市場全図(築地場外市場ガイドマップから抜粋)

(2) 「商品コンセプト理論」になぞらえる

そのような状況にある築地場外市場が、将来にわたりたくさんの人々を惹き付けるだけの「食のまち」としての魅力を永続的に維持し続け、場合によっては今よりも強化していくにはどうしたらよいか。まずは出発点として、築地場外市場の現状を整理しておきたい。

適切な分析手法として思い当たったのは、エンターテインメント業界を取材した際、子供向けのメダルゲームという業界内では“不毛”とみられていた不人気カテゴリで大ヒット商品「釣りスピリッツ」を生み出したことで知られる(株)バンダイナムコアミューズメントのゲームプロデューサーの小山順一朗氏が熱く語った「商品コンセプト理論」だった。彼は20年前から、世にある「商品コンセプト理論」を自分のものに昇華させ、ヒット作を生み出し続けている。

小山氏は、ゲーム制作の際、制作側がはまる罠としてアイデア(工夫、着想)の新規性や奇抜さばかりに意識がとられることがあると指摘。しかし、最も重要となるのは、狙った顧客層に「買いたい(遊びたい)」と思わせるだけの、顧客側のニーズ(需要)、作り手側からいえばベネフィット(利便性・満足感)をいかにうまく設定するかだ、と主張していた。

最初にどれだけ魅力あるベネフィットが設定できるかで、ゲーム開発の成否はほとんど決するので、極論をいえばベネフィットを実現できればアイデアは何でもよい。また、「商品コンセプト」はアイデアとベネフィットに必ず分解ができて、優れた「商品コンセプト」のゲームは、遊ぶ前から「遊びたい」と思わせる力を備えているものだ、とも話していた。

今日もなお高い人気を博しているメダルゲーム「釣りスピリッツ」は、ゲームセンターでガチャガチャとゲーム機のボタンをたたきまくる子供たちの行動や、当たりから得られるメダルの量の多さではなく、いかにたくさん勝てて(親たちからもらったお小遣いで)長い時間遊べるかを好んでいる子供たちの思いに触れ、「自分の力で勝てて長く遊べる」ゲームにはニーズがあることをつかんだことにより生まれたゲームだ。そこに「本物のような形で魚を釣りたい」というニーズを掛け合わせ、実際使われているリールのようなコントローラーを備え、当選倍率は低いけれど、勝率は高いメダルゲームをつくれば子供たちに受けると予想。それに沿ったゲームを開発して、きょうまで続く大ヒットゲームの成功につなげた。

また、小山氏は一般的な事例として、フリーマーケット(蚤の市)の変遷も「商品コンセプト理論」で説明してくれた。新型コロナウイルス以前は人気が高かったフリーマーケットは、外出自粛とともに廃れた。代わりにメルカリなどのスマホのフリマアプリが急成長した。

「商品コンセプト理論」上では何が起きたのかについて小山氏流の説明は以下の通りだ。

フリーマーケットもフリマアプリも、単純化すれば両者が実現できるベネフィットは同じ。売る側は「簡単に出店し自由に価格設定できて取引できる」し、買う側は「値頃な価格で掘り出し物を買える」。利用者が得られる利便性・満足度はほとんどが一致をしている。

違いは、それを実現させるアイデアの部分だけとなる。前者は「集客力のある公共スペースを貸し出す」ことで、後者は「スマホアプリ上で取引環境を用意する」ことで利用者にベネフィットを提供する。新型コロナで“密”となる場所への外出が敬遠されるようになったこと、そしてここ10年でスマホ普及率が爆発的に伸びたことで後者への支持が急激に膨らんだ。ベネフィットが同じな以上、時流にあったアイデアに変えていかない限りはフリーマーケット業者に勝ち目はない。公共スペース開催に最後まで固執した業者は行き詰っただろう。

仮にフリーマーケットに、フリマアプリなどでは再現できないベネフィットがあれば、今回のような雪崩をうった大規模な利用者移動は起きなかった可能性がある。このことからも、多くの人から支持を集める商品・サービスをつくるのは「商品コンセプト」、特にそこに含まれたベネフィットをいかに魅力的で独自性のあるものにすることができるかの勝負であると分かる。実現できないベネフィットに意味はないが、アイデアに頭を悩ませるよりは、まずは実現可能なものの中から、いかに魅力的なベネフィットを設定するかが大事だ。

小山氏の「商品コンセプト理論」の「買いたい(遊びたい)」を、「訪れたい」としてみれば、今回のような商店街の考察もできそうだ。人々を惹き付けてやまない商店街は、そこを訪れる前からそこでしか味わえない魅力が必ずある。行く前から「訪れたい」と多くの人々に思わせるような「“商店街”コンセプト」を設定することが大事、と置き換えができよう。

以下では本体の築地市場を失った築地場外市場の現「“商店街”コンセプト」、そしてベネフィットが何かを分析。現在とこれからの築地場外市場を取り巻く状況を整理したうえで、築地場外市場が利用者に提供しているベネフィットを一層磨き上げていくにはどのようなアプローチがあるのかを探る、という順番で本稿を進めていくこととしたい。

写真3:文中の「商品コンセプト」論を語ったゲームプロデューサーの小山氏を取り上げた記事(日刊水産経済新聞2021年11月29日付)
写真3:文中の「商品コンセプト」論を語った
ゲームプロデューサーの小山氏を取り上げた記事
(日刊水産経済新聞2021年11月29日付)

(3) 全国の「食のまち」と比較してみる

今回の主役を分析するうえで、同じような立ち位置の商店街と横との比較をしたい。築地場外市場と似たタイプの“食のまち”として参考になる全国の大型商店街として、次からはアメ横(東京都台東区)、黒門市場(大阪市中央区)、錦市場(京都市中京区)、近江町市場(金沢市青草町)の4つの代表的な小売市場の「“商店街”コンセプト」を順にみていく。

東京・台東区上野のアメ横は、ターミナル駅としてかつて東京駅より栄えていた上野駅近くの終戦直後の闇市をルーツに、きょうまで発展してきた。正式名称は「アメ横商店街連合会」。商店街マップをみると分かるように、区画整理をされていない入り組んだ道路に約400店舗が展開している。築地場外市場と比べると商店街の歴史は戦後からと若干短い。

アメ横の概要から「“商店街”コンセプト」を書き出すなら、「迷路のようなスペースで、値切りなどの対面販売の醍醐味を楽しめる、ディスカウントデパートのような空間」だろう。ここからベネフィットを抽出すると「思わぬ掘り出し物が安く入手できる」点といえそうだ。多彩な専門店街で値頃な珍品・貴品を発掘するという楽しみがアメ横の魅力の根本にある。

大阪の黒門市場の歴史は古く、江戸後期(文政年間)に始まる魚商人の鮮魚販売を起源とし、明治時代に大阪府より認可された公認市場(圓明寺市場)を前身とする。圓明寺にあった黒塗りの山門が現在の「黒門市場」という名称の由来で、南の大火(1912年)、大阪大空襲(1945年)によって同商店街は二度焼失したにもかかわらず、そのたびに力強く再生されて今日まで続いている。現状で約150店舗が集まった黒門市場を「“商店街”コンセプト」で表すなら、「生鮮3品を中心に、さまざまなジャンルの食べ物や雑貨が手に入り、食い倒れるまで食を楽しめる大阪の台所」となるだろうか。そこから得られるベネフィットは「さまざまなジャンルの食材が一か所で手に入る、食い倒れるまで食べ歩きができる」という点か。「食い倒れの街」を象徴する商店街の一つといえる。

写真4:大阪・黒門市場の公式サイトより 黒門市場-大阪・ミナミ ほんまもんを扱う 大阪・浪速の台所!黒門市場から旬の味をご紹介!(kuromon.com)
写真4:大阪・黒門市場の公式サイトより 黒門市場 — 大阪・ミナミ ほんまもんを扱う
大阪・浪速の台所!黒門市場から旬の味をご紹介!(kuromon.com

古都・京都の錦市場は、魚市場として古くから栄え、1927年に京都市中央卸売市場が開設した際、相当数の商店がそちらへ移った後に残った商店で形成された京の台所となっている。やはり「京ならではのものが揃う、伝統の食文化に触れることができる歴史ある商店街」というのが「“商店街”コンセプト」といえよう。来場者が得られるベネフィットを抽出するとしたら、「京ならではの食材や知識が手に入る」ことか。東京・アメ横や大阪・黒門市場にはないベネフィットを約130店舗が集う錦市場からは享受することができる。

北陸3県最大の都市・金沢の近江町市場は、加賀藩政時代に誕生した300年の歴史がある市場だ。1966年、駅西に金沢市中央卸売市場が開設されて以降は、専門小売市場として金沢市民の台所と例えられ、きょうまで存続してきた。セールスポイントは何といっても魚介類。「日本海で獲れた生鮮魚中心に、食品と生活雑貨を扱う対面販売の商店街」が「“商店街”コンセプト」か。ベネフィットを抽出するなら「新鮮で質の高い日本海の鮮魚が手に入る(食べられる)」こと。地元民には、魚を買うなら近江町という厚い信頼感がある。

これら全国の有名商店街は、主に近隣住民に対して優れたベネフィットを包含した「“商店街”コンセプト」をもっていた。しかし、いくつかは観光立国政策の強化や新幹線などのインフラ整備に伴って急増した国内外の観光客に目を奪われすぎて自らの強みを崩し、「“商店街”コンセプト」を観光客に最適化する方向で変質させてしまった。それにより新型コロナウイルス感染拡大という緊急事態において、来訪者急減という危機的状況に直面した。

新型コロナで、「“商店街”コンセプト」に含まれるベネフィットはやはり、第一にもともとの商圏である近隣の地域住民のためのものでなければ長くは生き残れない、という学びとなった。水物の観光客対応はアイデアで対処する範囲にとどめておくのが吉といえる。

(4) 築地場外市場のベネフィットとは

では、築地場外市場の話題に戻り、築地市場の閉場(2018年10月6日)の以前と以後では大きく変わっていることに留意しながら「“商店街”コンセプト」をとらえなおす。

私は、築地市場閉場以前は「世界最大の魚市場である築地市場を利用する、プロの買出人を対象にした食材や雑貨を買うことができ、食事も楽しめる歴史ある『食のまち』の商店街」というのが「“商店街”コンセプト」ととらえた。これをアイデアとベネフィットに分解すれば、後者のベネフィットは「プロレベルの本格的な食材、雑貨が手に入る(楽しめる)」といったことだろうか。それを実現するために、本体の築地市場を利用する買出人も満足する「プロ向けの関連食材や雑貨を販売する」「築地市場の食材を中心にした料理を提供する」といったアイデアを取ることで、プロ志向・本物志向を堪能できる場所であり続けてきた。

ただ、築地市場閉場後は従来のコンセプトがそのままでは成り立たなくなる恐れがあった。具体的には「世界最大の魚市場である築地市場を利用する、プロの買出人を対象にした」というくだりは市場本体の移転で欠落することになり、豊洲市場との関係が希薄になることで、プロ志向・本物志向の商品・サービスが得られるかどうかがにわかに不透明になった。

もちろん移転後も主な仕入れについて豊洲市場をはじめとする従来と同じところから続けることを継続すれば、プロ志向・本物志向の商品・サービスを提供できるが、それだけでは同じ拠点を仕入れ場としている、都内のあまたの商店街の店舗とさほど変わらなくなる。築地場外市場が移転で失うベネフィットは価値が高すぎて、代替が利かないレベルだった。

幸い、地元区の中央区が生鮮市場「築地魚河岸」を建設し、ベネフィットの補強に動いたことで最悪の事態は免れた。中央区は、築地場外市場の中央にあった区の駐車場をつぶして市場本体を構成する仲卸業者を誘致し、小口買出人向けのミニ業務卸市場を再現した。

写真5:プレオープンした当時の「築地魚河岸」(2016年11月撮影)
写真5:プレオープンした当時の「築地魚河岸」(2016年11月撮影)

今後、築地場外市場のベネフィットを維持・発展させる方向にもっていくには、「築地魚河岸」を作った以上、そこがプロ向けの業務卸市場としての役割を果たし続けることが前提条件になる。プロが通える仕入れ拠点であり続ける機能を「築地魚河岸」が保ち続ければ、大きな軌道修正なく成長できる。

もし「築地魚河岸」なしで移転を迎えていたら、従来のベネフィットに匹敵するような新たな魅力を苦労して見出す必要があり、体質変換に膨大な労力と時間を要するところだった。それを省略できただけでも、「築地魚河岸」を区側が建てた意義は大きかったと考える。

次節以降は、ベネフィットを磨いていくのに必要な、築地場外市場の置かれた状況を整理するために、豊洲市場と築地場外市場一帯の状況、今後の社会情勢についてまとめていく。