水産振興ONLINE
水産振興コラム
20252
進む温暖化と水産業

第36回 
岩手県広田湾におけるカキ養殖とブルーカーボン
〜温暖化にどう立ち向かうか

松政 正俊
岩手医科大学

私の専門は生態学です。主な研究対象は沿岸・汽水域のベントス(底生生物)ですのでマガキには多少馴染みがあり、東日本大震災の後には、岩手県沿岸のマガキ養殖に関する調査・研究も行ってきました。また、アマモなどの海草については、岩手県大槌湾やタイ国南部での共同研究に参画し、2004年12月のスマトラ島沖地震で発生した津波がタイ南部の海草藻場に与えた影響評価と回復についての調査にも参加しました。そうした共同研究において、日本のブルーカーボンに関する研究を現在牽引している水産研究・教育機構の堀正和さんとも知り合い、5年程前に学会でご一緒した際に、農林水産省の委託プロジェクト研究「ブルーカーボンの評価手法及び効率的藻場形成・拡大技術の開発(JPJ008722、委託先代表機関:国立研究開発法人水産研究・教育機構)」へのお誘いを受け、岩手県水産技術センターとともに参画することになりました。ここでは、岩手県沿岸域の特性、生態系への東日本大震災と温暖化の影響の違いなどに言及しながら、岩手県広田湾のアマモ場について、本コラム第15回で堀さんが紹介されているガイドブックがCO2貯留量の算定にどのように活用されたかを紹介し、温暖化とブルーカーボン、今後のカキ養殖を考えたいと思います。

カキ養殖の筏が浮かぶ岩手県広田湾。広いアマモ場を有し、環境省の重要湿地に指定されている。

岩手で生まれ育った私が岩手県沿岸の特殊性を強く実感したのは、環境省・生物多様性センターの浅海域生態系調査(干潟調査)において、全国の干潟のベントス相についての知見に触れた時です。隣の宮城や青森の沿岸では見られても岩手にはいない種類が多く、逆に本州沿岸では稀な北方種が岩手県沿岸では普通に見られる場合があります。これは日本海沿岸を北上する対馬暖流が津軽海峡を通過して青森県東部太平洋に入る一方、岩手県沿岸では寒流・親潮の影響が卓越し、水温が西隣りの秋田県や、より緯度の高い青森県の沿岸よりも低くなるからです。そのため、数年前までは岩手県沿岸のタコといえば北方系の「ミズダコ」でした。しかし、ここ数年ではマダコが多く獲れるようになってきています。

津波が多いことも岩手県沿岸の特徴です。14年前の東日本大震災も岩手県沿岸の自然・生態系に甚大な影響を与えました。その程度と回復過程を把握するために、岩手大学や東北大学の研究仲間・学生さん達と干潟のベントスのモニタリング調査を開始し、その後は環境省生物多様性センターの東北地方太平洋沿岸地域生態系監視調査やその他の研究業務として継続し、宮古湾津軽石川河口干潟と広田湾小友浦では震災後20年を目指して今年度も調査を実施しました。これまで判明したことの1つに、壊滅的な影響を受けた干潟のベントス群集の回復は予想よりも早く、岩手県沿岸から絶滅した種類はなさそうだという点があります。これは、三陸の干潟は1960年のチリ地震、1933年の昭和三陸沖地震、1896年の明治三陸地震による津波など、大きな津波に数十年に一度は襲われている事実と関係しそうです。つまり、未曾有といわれた2011年の大津波も干潟のベントスにとっては数十年に一度の撹乱(disturbance)であり、彼らのDNAには、その進化の過程で、津波などの大規模な攪乱に対応可能な生活様式・生活史・行動を決める遺伝子が組み込まれていると考えられます。マガキも本来はこうした干潟のベンストの一員です。震災直後には母貝の減少が危ぶまれましたが、三陸湾奥の潮間帯のあちらこちらに僅かに生き残ったマガキが見られました。種苗のほとんどを宮城種に頼っていた岩手でも強い危機感がありましたので、岩手県水産技術センターやカキ漁師の方々と協力して宮古湾と広田湾における天然採苗を始め、上述のように海水温が低いこともあり、潮間帯採苗に行き着きました。

宮古湾の津軽石川河口干潟(上)と広田湾の小友浦の干潟(下)における調査風景。

温暖化も、津波と同様に一種の撹乱と捉えることが出来るかもしれません。しかし、観測されている気温上昇は過去2000年以上前例のない急激なものであり、かつ氷期と間氷期の繰り返し周期は10万年程度と考えられています。このように数十年とは比べ物にならないほど長い周期で生じる変化が前例のないほど急激に起こった場合、干潟のように変動が激しい環境に暮らす生物でも流石に対応できないのではと思われます。CO2などの温室効果ガスの大気への放出を可能な限り減じる手法へ転換し、温暖化の進行緩和に貢献することと、水温上昇を見越した養殖方法のオプションを複数準備しておくことが必要です。

広田湾は広いアマモ場を有することでも知られており、環境省の重要湿地にも指定されています。しかし、東日本大震災以前には、アマモが繁茂しすぎて操船の妨げになったり、枯死体が貧酸素水塊の形成の原因になっていると考えられたりしたことから、アマモ場は邪魔者扱いされることが多く、その役割について省みられることは少なかったようです。ただ、豊洲市場で最高値がつくような良質なカキが生産されてきたことは、漁師さん達の不断の努力とともに、広田湾のアマモ場の存在・機能にもよると思われます。

広田湾の干潟とマガキ
広田湾の砂浜とアマモ場

アマモ場の生態系機能としては、CO2貯留のほか、水質・底質の浄化機能や、多様な生物の生息場所、魚介類の産卵場所や保育場所、漁場としての機能が知られており、マガキ稚貝の栄養状態を良くしたり、海水中の病原性細菌類の量を減じたりする効果も明らかになってきています。地場種苗をアマモ場近くの干潟で抑制・育成することは、こうした効果を有効に利用することに繋がると考えられます。また、干潟・潮間帯での育成の場合、沖の垂下養殖で問題となるムラサキイガイなどの付着が少なく、岩手県沿岸でしばしば行われる温湯処理(船上で温湯に垂下連を入れ、マガキ以外の付着生物を脱落させる)に係る労力と発生するCO2を減じることが出来ます。こうした利点を持つ方法をオプションに加えるため、岩手県では珍しい干潟でのシングルシード養殖を「小友浦」という場所で地元のカキ漁師さんと試み、生残・成長ともに良好な結果を得ることが出来ました。

干拓地から干潟・浅瀬に戻った小友浦。(左)底質には多くのマガキが着定している。
背景には決壊した堤防が見える。(右)干潟から続く浅瀬にはアマモが生育している。

小友浦は1950年代後半からの埋め立てで干拓地になりましたが、東日本大震災によって干潟に戻りました。干潟から続く浅瀬にもアマモが茂っていました。その後、堤防の設置場所がセットバックされ、干潟・浅瀬として残された場所にはマガキやアサリなどの水産有用種を含む多くの生物が棲みついてきています。また、人為的な生物の持ち込み履歴がないので、二枚貝を食害するサキグロタマツメタのような移入種も見られない点も重要です。上述の干潟シングルシード養殖試験でもこの点には注意を払い、今後も留意して行く必要があります。さらに、このように新たに形成された干潟・浅瀬の管理・維持は、ブルーカーボン生態系によるCO2貯留や生物多様性の促進にダイレクトに反映され、30 by 30という世界目標の達成にも貢献すると考えられます。こうした点から、地元の小学生を対象とした勉強会・観察会が陸前高田市水産課の主催で昨年度から実施されており、今年度は私も手伝わせてもらい、子供達から沢山の刺激を貰いました。

陸前高田市水産課が主催した地元の小学校五年生を対象とした水産教室の様子。
(上)陸前高田市立博物館の浅川崇典学芸員による干潟の役割についての授業。筆者からは、ブルーカーボンや生物多様性についてを解説。
(下)小友浦の干潟での清掃と生物観察会。マイクロプラスチックについても現場で学ぶ。

広田湾のアマモ場(構成種はアマモとタチアマモ)によるCO2貯留量はどの程度でしょうか? 広田湾漁協の協力を得て、湾内の米崎地区に調査区域を設け、岩手県水産技術センター主導で先ずはドローンを使った空撮によるアマモ場面積(活動量)の推定が試みられましたが、広田湾のアマモ場周辺は濁りがひどく、十分な結果は得られませんでした。そこでソナーで植生の有無・状態を把握しながら、時々草体を船上から採取してアマモとタチアマモを区別し、調査区域内の2種の分布面積を測定しました。これに潜水による坪刈りによってアマモとタチアマモそれぞれの単位面積あたりの乾燥重量を求め、上述の算定ガイドブックに従ってCO2貯留量を求めたところ、244.8 CO2トン/年(農林水産省委託プロジェクト研究 (JPJ008722))という推定値が得られました。こうした成果により、広田湾漁協の青壮年部米崎支所の皆さんが今後のアマモ場管理に前向きに取り組んでくれることになりました。陸前高田市も水産振興計画や今年度採択された環境省の脱炭素先行地域のプロジェクトにブルーカーボンの活用を盛り込みました。昨年末の盛岡市での市民講座/セミナーには地元出身で長年水産庁に勤務された佐々木市長と水産課の石川課長・中川係長が参加して下さり、堀さんをはじめとした講演者との意見交換の場も作ることが出来ました。

2024年12月21日に盛岡市で開催された市民講座/セミナーのチラシと会場の様子。
陸前高田市におけるブルーカーボン活用に関する打ち合わせの様子。
(上)佐々木市長と筆者の事前打ち合わせ、(下)盛岡市での市民講座/セミナー講演者らと佐々木市長らの意見交換。

上記のCO2貯留量は米崎沖のアマモ場によるものであり、広田湾全域のアマモ場の貯留量はさらに大きくなるはずです。ソナーを活用した手法は濁りの影響を克服してアマモ場の面積推定を可能にし、広田湾に限らず、三陸の多くの湾におけるブルーカーボン生態系の実態把握に役立つと思われます。これは、いわばブルーカーボン生態系の「見える化」であり、自分たちが関わる海が擁するアマモ場のCO2貯留量を具体的に知ることが、その保全や増強、すなわち温暖化緩和への道の第一歩となると思われます。昨年度に発行された算定ガイドブックは、その基盤を与えるものとして大きな意味を持つと言えます。陸前高田市の皆さんは広田湾の財産に気づき、その有効活用のために行動し始めました。その結果は、温暖化防止という世界共通の課題解決と広田湾の生態系サービスの維持・増強による地域活性化へと繋がるはずです。ただし、現在進行中の温暖化のスピードが急に緩やかになるとは思えません。岩手県沿岸のマガキの繁殖期も昨年あたりから急に長くなり、成長や身入りに影響してきたと聞きます。本コラム第4回において、岩手大学の石村学志さんが岩手県宮古市の多魚種漁獲漁業を紹介していますが、マガキ養殖においても、変動する環境に柔軟に対応し、勇気を持って既存の方法を修正していくことが肝要です。その具体的なヒントは、広島など西日本各地での様々な工夫やカキ養殖の歴史・成り立ちにあるように思います。

連載 第37回 へつづく

プロフィール

松政 正俊(まつまさ まさとし)

松政 正俊

岩手県出身。1989年3月 東北大学大学院理学研究科後期課程 修了、理学博士。同年4月 岩手医科大学教養部生物学科 助手。その後、同 講師、助教授・准教授を経て、2009年1月 同大学 共通教育センター生物学科 教授。 2016年4月から同大学 全学教育推進機構 教養教育センター長。岩手生態学ネットワーク代表。一般社団法人 日本生態学会東北地区委員長(2024年8月〜2026年7月)。