水産振興ONLINE
水産振興コラム
20242
進む温暖化と水産業

第19回 
ルポ 地域の課題と未来(宮崎編㊦) 定置網漁業の可能性

中島 雅樹
株式会社水産経済新聞社

伝統と新風で支える
“思い” が変える現場

昨年12月12日。定置網漁船・神代丸(かみよまる=19トン)はいつもより遅い6時30分に細島港(日向市)をあとにした。早朝ということで、視察する同乗者に配慮したためだ。JF宮崎漁連の是澤喜幸会長が経営する定置網に到着したのはおよそ10分後の6時40分。「波があるかも」との予報も憂に終わり、淡々と水揚げが始まった。

多様な魚が漁獲される宮崎の定置網

この日の乗組員数はインドネシアの研修生2人を含む8人。テキパキと動くインドネシアの若者に、「よく勉強するし、素直でよくがんばっている」と日本人船員が目を細める。研修生たちも時折笑顔を浮かべながら懸命に網をたぐり寄せていく。

宮崎といえば、日本の定置網の原形ともされる「日高式大敷網」発祥の地。もともと北海道や東北に比べ、同じ種類の魚が大量に揚がることは少ない地だが、ミズイカ(アオリイカ)やカマス、そしてブリなど水揚げされる魚は多彩だ。

丁寧に1尾ずつ血抜きされるブリ

「本格的なシーズンはこれから」というブリの漁獲もこの日は約50本。「脱血してもそんなに値段は変わるわけじゃないけどね」と乗組員は苦笑いしながら、1尾ずつ丁寧に扱い脱血機に掛けていった。ただ、JF日向市漁協の神﨑勇輔参事によると、「鮮度のいいブリを求める仲卸はいる。脱血した方が2割は高く取引されている印象」と、現場で手間をかけた分、確実に取引価格には反映されている。

「何とかせんと」
思いで定置を再興

所変わって、宮崎市の青島地区。その一角にあるJF宮崎市漁協の矢部廣一組合長(73)は2020年、宮崎県漁業販売(株)(水産振興ONLINE『定置漁業研究について』の第7回で紹介)から、内海(宮崎市)の定置網を譲り受けた。

宮崎県漁業販売は、そもそも宮崎県漁連と宮崎市漁協が共同出資して16年にできた定置網漁業経営と販売を担う会社。失われつつある県内の定置網を復活させようと、県北の赤水(延岡市)と内海(宮崎市)の2か所の定置網経営をスタートさせたが、自然環境はそんな事情にも容赦がない。施設を大幅に刷新した赤水が順調な水揚げを続ける一方、設備が古く頻発する台風被害なども重なった内海の定置では思うような水揚げを実現できていなかった。そんな状況に「何とかせんならん」と、不振な内海の定置のみの経営権を組合ではなく個人として取得したのが矢部組合長だった。

小型とはいえ、個人で網や船を刷新し立て直すのは金銭面からも容易ではない。ただ、地元の海を知り尽くした矢部組合長は「何とかなる」との勝算があった。一つ時間を要したのは、時代の最先端を行く仕組みとして宮崎県漁業販売が導入した乗組員の給料制を不採用とする判断だ。

「網などの設備は地元の経験をもとに導入すれば何とかなるが、人の問題は難しい。今の時代は決まった休みが取れて、給与も一定のサラリーマンの方が若い人を集めやすいとは思う。しかし、漁師はそうはいかない。漁があろうとなかろうと地道に魚を求め続ける姿勢が欠かせない。特に立て直しを図ろうとする定置漁業においては不可欠」と、漁師であることの意味を乗組員に説き続けた。そうした矢部組合長の姿勢に去る者もいたが、残った乗組員は矢部組合長の考えに賛同し、「漁師」になっていった。現在は、矢部組合長の息子さんが首都圏や中部圏で経営する宮崎の魚にこだわった居酒屋「やひろ丸」などへの魚供給や地元直売所などでの販売を通じ、不振だった内海定置も安定した経営を実現するまでになっている。

「何とかせんならん」と思いを語る矢部組合長

髙田一人、44歳
稼げる漁業へ“野望”

再び、細島に話は戻る。現在、細島には、地元で唯一の底定置網漁業がある。営むのは平岩採介藻グループ(㊤に詳細)の一員でもある、細島出身44歳の髙田一人かずと氏。髙田屋の代表だ。

髙田氏は、大学への進学をきっかけに上京し、IT企業に就職。その後は大学時代にアルバイトをしていた経営者からの誘いを受け、接客を伴う飲食店の経営を任された。ただ、持ち前のバイタリティーで店の経営が軌道に乗ると、上京する時に抱いていた「いつか地元へ」の思いがよみがえり、Uターンを決意した。

Uターンといっても、最初から漁業に就いたわけではない。実家は港の目前にあり、漁師の幼なじみも多かったが、「漁業をやろうとは思わなかった」という。一転したのは、地元の活性化を話し合う協議会への参加だった。熱心に将来を語り合う地元の仲間たちを見て、「本気で細島を元気にしようと思えば、やはり漁業しかない」と確信。16年に一念発起し、「一から学ぶ必要がある」と、地元定置網漁業の門をたたき、乗組員として漁業の世界に飛び込んだ。

漁業の世界を知るほど、「漁業に可能性を感じ、漁業を極めたい」の思いは募っていった。「自分ならまだまだいろいろできるのではないか」との思いも芽生え、5年の下積み経験を経て21年に独立した。たまたま休業者が出て空いた区画で、地元では珍しい底定置網漁業の経営をスタートさせた。

底定置網とは、海底に固定した網でヒラメなどの底魚を獲る定置網漁業。ほかの小型定置よりも規模が小さいため初期投資も少なく済み、1人でも操業できる特性をもつ。ただ、1人ですべてをこなすには効率が命綱になる。特に海底の網のチェックなどメンテナンスを手抜きできない。

そこにITに関わってきた経験と知識が生きた。網のメンテナンスや海底の様子を探るのに高性能のカメラを搭載した水中ドローンを投入し、船から1人で何でもできる操業形態を確立。漁法以外にも鮮度を保つ魚の血抜き法「津本式」も習得し、少しでも魚を高く売れる工夫も取り入れた。そうした進取の取り組みは高く評価され、22年度の第28回全国青年・女性漁業者交流大会で水産庁長官賞を受賞している。

Uターン組だからこそ見える漁業の可能性を語る髙田氏

細島で底定置網漁業を確立した髙田氏だが、現状に満足してはいない。「まだまだやりたいことはたくさんある。当面の目標は年収1,000万円」と、漁業の可能性に目を輝かせ先を見据える。底定置網以外にも、さまざまな漁業にチャレンジしたいとの思いも強い。

「イセエビ漁などにもいつか挑戦したい。ただ、強引に何かを進めるつもりはない。既存の漁業者に『一緒にやろう』と言ってもらってこそ、新しい漁業に挑戦できる。漁業をやるようになって、漁業者たちの思いも分かるようになった。地道にコミュニケーションを重ねていきたい」と、漁業のポテンシャルを信じ、漁業を稼げる仕事にする “野望” を胸に、楽しみながら夢を追っている。

第20回へつづく

プロフィール

中島 雅樹(なかしま まさき)

中島 雅樹

1964年生まれ。87年三重大卒後、水産経済新聞社入社。編集局に勤務し、東北支局長などを経て、2012年から編集局長、21年から執行役員編集局長。