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水産振興コラム
20241
進む温暖化と水産業

第18回 
ルポ 地域の課題と未来(宮崎編㊤) 藻場づくりの可能性

中島 雅樹
株式会社水産経済新聞社

“豊かな海” は取り戻せる
若者も賛同 ウニ駆除で藻場20倍

宮崎県の北東にある日向市平岩地区では、毎年11月から翌年2月にかけ、ウニ(ムラサキウニ)駆除が行われる。活動するのは平岩採介藻グループ。「かつての豊かな海を取り戻したい」との思いで1996(平成8)年に有志で活動をスタートし、2010(同22)年に組織化した。現在は、刺網やイセエビ磯建網などを兼業する5人の漁業者と、日向市職員や漁協職員、そしてボランティアとして若者たちも参加している。

年間の平均気温が17度Cという温暖な日向でも、冬場の海での活動は厳しい。素潜りで行う作業はウエットスーツ姿でも体を芯まで冷やす。ただ、日向において波が穏やかでウニを探しやすい透明度が得られるのはこの時期しかない。春に芽吹く海藻をウニから守る意味からも有効だ。

グループのリーダーである髙橋和範さんは、「そりゃつらいよ。正直、毎回、やめたいと思う。海に潜るたびに、『あーあ、早く上がって風呂で温まりたいなあ~』って。そればかり考えながらウニをつぶしているよ」と笑いながら、約30年、77歳になる今も潜り続けている。

水中で見つけたウニはハンマーか、長い棒でつぶす。「それがいちばん確実な方法」だという。「つぶすのはもったいない」と、ウニの水揚げや蓄養出荷を提案する声もある。しかし、髙橋さんは、「餌になる流れ藻をウニに与えるだけでも大変。ましてやそれを商品化して採算を取るのは容易ではない。ウニの身入りも北海道などに比べれば効率が悪い。それより豊かな海を取り戻せば自然に魚や魚介類は増える。その方がいい」と割り切る。ウニ漁師のための海域は残し、自然に身入りのいいウニを増やす環境づくりも同時に進めている。

環境変化しても稼げる海は可能

藻場づくりの地道な努力は、確実に結果を残している。組織として活動を始めた当時0.4ヘクタールに減っていた平岩地区のクロメ藻場は、5年後の16年には6倍の2.4ヘクタールに増加。今では20倍の8.6ヘクタールまで広がっている。ウニの数も一平方メートル当たりにわずか1~3個。藻場が増える環境が維持され、その分、漁獲対象となるイセエビ、アワビ、カキ、そしてハマグリなどが増えてきた。大名行列をなして移動するイセエビの姿も散見されるようになり、近年、小魚を目当てにアラなどの大型魚も見られる。

ウニ駆除に参加する岩本さん。奥には回復したクロメ藻場が広がっている
(写真提供=岩本さん)

「かつていたトラガニ(シマイシガニ=ワタリガニの仲間)などはいなくなった。海の変化を感じる。ただ、そんな変化する海も形を変えて豊かさを取り戻しつつある。漁師が稼げる海になってきている」と髙橋さんは話す。実際に周辺の漁業者の収入は確実に向上しているという。

「つらいけどね」と笑いながらもウニ駆除を続ける髙橋さん
(写真提供=岩本さん)

昨年12月11日。この日もウニの駆除作業が予定されていた。しかし、あいにくの海況悪化で延期。ただ、午後には藻場づくりの話をしようと、若者から年配者まで世代が入り交じったグループメンバーが、髙橋さん経営の料理旅館「望洋館」に集まった。県議会で藻場づくりについて2度の質問に立った安田厚生県議会議員も駆け付けた。

「増えたクロメの有効利用は考えられないですかね。製品化するとか?」
「いいんじゃないか。やってみようか」

多く飛び交う意見、提案、そして議論。その場の雰囲気をひと言で表現するのはなかなか難しい。ただ、長年努力を重ねてきた漁業者と、その活動に共感した若者たちがつくり出す空気は、常に温かく前向きだ。若者は長年の経験を積み重ねた漁業者らに敬意を払いながら夢を語り、漁業者も若者のエネルギーとアイデアに楽しそうに耳を傾け、相談に乗る。そこには慣れ慣れしいだけのタメ口や必要以上の敬語はなく、楽しみながらの真剣な議論を続ける一体感しか存在しない。

若者の意見がすべて通るわけではない。若者たちも既存のルールやほかの漁業者へ配慮を忘れない。抵抗や反対に直面する場面でも腐りもせず強引に事を進めることもない。時間をかけるべき時は、ベテラン漁師のアドバイスに若者たちも素直に従う。すぐできることがあれば若者のエネルギーでスピード感をもって事を進める。互いが認め合っているからこそ、世代を超えた異質の歯車がうまく回る。

海に夢抱き、新風  世代超え思い一つ

若者の一人に岩本愛さんがいる。埼玉県久喜市出身の39歳。筑波大学で国際関係学を学んだあと、外資系金融などを経て東京五輪の目前まで日本オリンピック委員会に勤務。大会中は組織委員会でサーフィン競技の運営に従事した経歴ももつ。

サーフィンとの出合いをきっかけに興味をもったサステイナビリティは国連大学大学院で学び直した。20年には、各地を回る中で、サーフィンを思う存分楽しめる日向にほれ込み、移住した。現在、漁業者らに寄り添いながら、ともにサステイナブルな漁業を目指す (株) UMITO Partners の仕事をこなしつつ、日本サーフィン連盟国際委員会のメンバーや、全日本女子野球連盟理事なども務める。既婚者だが、東京で活動する放送作家の夫の理解のもと、日向を主拠点に自分の夢に向かい突き進んでいる。

そんな岩本さんの平岩グループとの出会いのきっかけは、テレビ番組だった。平岩グループの活動を紹介する番組を見て、「自分の思いが実現できる場がそこにある。私もやりたい!」とすぐに行動。情報をもつだろう市役所の担当者に熱い思いを語り尽くし、グループの門をたたいた。

思いを一つに成果を上げてきた平岩採介藻グループメンバーら

仕事をこなしながら、ウニ駆除の作業にも積極的に参加している。持ち前の行動力と豊かな知識、そしてキリリとしながらも笑顔を絶やさない姿勢に漁業者らも心を開き、あっという間に仲間入りした。今では、集まりの中心に岩本さんがいることも少なくなく、将来は、もっと漁業者の仲間入りをしたいと、組合員資格の取得さえ夢みている。

ちなみに、そんな岩本さんがサーフィンのフィールドとする日向市のお倉ヶ浜は、世界大会も開かれるほどの日本有数のビーチ。自然の砂浜が4キロも続くそこは、「波はメローでうねりも一級品」といい、岩本さん同様、浜にほれ込み移住してくる若者サーファーは少なくない。岩本さん自身も日々、いいうねりとの出合いを求めて海に出かける毎日だ。

サーファーでありサステイナブルにも詳しい岩本さんだが、海に関して「漁業者知識にはとうてい及ばない」と、関わるほどに深まる漁業者の知識に舌を巻く。「知識では漁業者にとうてい追い付けないが、漁業者と一緒に海の自然を守りながら漁業を持続的なものにするために私にも何かできるはず。漁業にとってもサーファーにとっても豊かな海はなくてはならないもの。それを実現したい」と海と漁業を愛する思いは熱い。

年齢の垣根を越えて水産の未来を語り合う髙橋さん(左)と岩本さん

そんな岩本さんを見る髙橋さんは、「この年齢になり、こんなに海のこと、水産の将来のことを楽しくワクワク話せる仲間がいることはそうはない。今それができることがうれしくて仕方ない」と目を細める。髙橋さんらの地道な行動と思いが確実に、次の世代へつながっている。

連載 第19回 宮崎編㊦ 定置網漁業の可能性 へ つづく

プロフィール

中島 雅樹(なかしま まさき)

中島 雅樹

1964年生まれ。87年三重大卒後、水産経済新聞社入社。編集局に勤務し、東北支局長などを経て、2012年から編集局長、21年から執行役員編集局長。