1. はじめに
今回、東京水産振興会の水産振興コラムにリレー寄稿できる機会をいただきましたので、弊社の宮崎県での定置網事業の取り組みについて、ご報告させて頂きます。
平成24〜25年頃だったか?まだ、私が県漁連に在職中、「県内漁協の機能基盤強化推進アクションプラン」の策定なる事業に参画したとき、10年後のシミュレーションを見る機会がありました。それによれば経営体数減少によって、水揚高は減少し、漁業者に至っては、当時本県漁協の正組合員数が3,000名を割り込んだ頃でしたが、10年後には1,500名以下になるとの予想が示されており、「これでは系統は成り立たないのでは? 漁業者確保が急務だ」との思いを強くいたしました。
そこで、燃油高騰の中、国・県の補助事業を活用し、推進するだけではなく、漁業者確保のため、漁連として何かしなければならないことがあるのではないかと検討が始まりました。
「沿岸にあり、燃油消費量が少なく、人が雇える漁業は何か」
「大型定置網漁業だ!」
過去に定置網があったが、廃業により今は使われていない漁場に定置網を入れ、地元漁業者の協力の下、経営を再開すれば、沿岸漁業振興につながるのではないか。
「でも何で操業やめたんだろう、魚が獲れなくなったからでは? それでは経営が成り立たないかも」よからぬ思いが頭をよぎります。
「大型定置を入れるには、多額の初期投資が必要だ。どうしたものか」
「漁協と共同出資で株式会社を作って、漁連のバックアップで運営すれば、何とか金借りられるかな?」様々な不安やアイデアが浮かんできました。
新たな販売戦略により収益が確保できれば、担い手の育成確保とあわせ地区の活性化につながります。当時の漁連統計によると
「今なら定置の水揚げは右肩上がりだ。どこかいいところはないかな」
漁連会長・専務と協議を続けますが、
「網代や船代にいくらかかる?」
「敷設費用は?」
「資金がないから、安いものしかダメか」等々、わからないところが多く。とりあえず見積もりを貰うことになりました。
しばらくして、漁連専務が、
「網屋さんから見積もり来たよ。かなり安いぞ。それに、宮崎市漁協が定置網導入に積極的だ。会長が安い船探すって言ってたぞ」
漁連会長と専務もいろいろな方面に相談を持ちかけており、その結果の出来事でした。宮崎市漁協から提案のあった場所は、平成9年まで操業されていた漁場で、宮崎市内海地先、観光地「堀切峠」の真下にありました。
ということで、全くの県漁連単独事業として動き出てしまいました。
2. 会社設立から内海漁場(1ヶ統目)
まずは、定置網を経営し、魚を販売するため、会社を作ることになりました。宮崎県漁業販売株式会社と命名され、その設立(会社設立 平成28年7月1日)に向け動いていたときに、漁連専務から「新聞に、農林水産業みらい基金の記事が載ってたよ。山口県漁協がその基金で定置網を入れたそうだよ。みらい基金って何?」と聞かれました。
ググッてみると、農林中金の基金で、なんと9割補助だ。初めて知りました。
コンペ形式で申請期限は7月末、後1ヶ月です。 ハードル高そうだし余り時間がありませんでした。
そのころから、漁連に補助事業等のアドバイザーが出入りしていたので、申請書作りの協力を仰ぎました。
アドバイザーからは「山口県は1ヶ統だから、うちは県内複数漁場にしないと採択されないよね 」とあっさり言われました。
手元にあるのは、安い見積書だけで、次の漁場のあてもありませんでした。
2倍(2ヶ統分)にして事業費積算し、何とか期限内に提出しました。後は12月の決定を待つのみでした。
10月より社員を雇用し、敷設準備に入りました。「どうやって給料払おう?」と悩んでいました。そこに県庁から連絡が入り、「浜の活力を集結した漁村移住・定着化促進事業」を作ったので活用してほしい、漁業開始時の人件費や土嚢・砂利等の消耗品でも使えるとのことで、宮崎県補助金 20,824,000円を活用することが出来ました。
さらに宮崎市漁協より、「宮崎市にも補助してと頼んどいたよ」との連絡があり、宮崎市補助金3,493,000円を活用することができました。内海漁場の本船 第八青照丸(19トン)の取得は、平成28年12月に漁船リース(30,240,000円)に採択されました。
そしてついに、申請中だった農林水産業みらい基金が平成28年12月2日に決定し、3ヶ年(平成29年1月〜令和元年12月末)で264,042,094円の助成が受けられることになりました。
結果的に、多くの関係者の皆様のおかげで、いろいろな補助金を活用することができ、新たな定置網経営をスタートさせることができました。「後は必死に稼いで、借金を返すだけだ」との思いでした。
県外より定置経験者を漁労長として迎え、平成29年2月6日に初めて操業することが出来ました。8名体制。年間水揚げ高6千万円(4月〜3月)の計画を立てました。
平成28年度(2月〜3月)は、 2ヶ月で水揚高1,469万円と好調なスタートでした。
平成29年度(4月〜3月)は、船が古いから修理も多く、「操業に慣れてきたら水揚げあがるかな?」と期待していましたが、年間水揚高 3,900万円でした。一方で破網が続き、第2箱網を新調し、3,200万円を支出しました。
平成30年度(4月〜3月)は、私は県漁連を定年退職しまして、会社へ再就職となりました。船と装備の不調は続き、4月の爆弾低気圧で破網しました。5月には道網が流され150間短くなりました。潮が速く、操業回数が伸びませんでしたので、この対策として、10月にユビキタス潮流ブイを設置しました。携帯で潮流がわかれば操業回数が増えるのではないかと期待しましたが、夢と現実の乖離でした。潮流計は水深10mに1個だけ設置、このため「メーターでは潮は止まっちょるが、網は沈んじょって操業でけんが」と現場からの声。二段潮かな? 道網が短くなった影響か、私がきてから魚が獲れなくなってしまいました。この年の年間水揚高 3,000万円でした。
令和元年度(4月〜3月)は、この年の7月には、台風が1回も来ず、まるまる操業できました。おかげで、「マアジ大漁、夏の漁場か?」 年間水揚高 5,000万円と最高の水揚げとなりました。
令和2年度(4月〜8月)は、今年は水温高く、マメアジなど小さな魚が多く、これまでの水揚高2,456万円。同じ時期としては、昨年を500万円下回っている状況です。さらに台風10号で側をやられてしまい、波浪を受けやすい漁場のリスクは今後も課題が残ります。このように悪戦苦闘していますが、なかなか計画を達成できないのが現実です。
3. 赤水漁場(2ヶ統目)
2つ目の漁場は、延岡市の赤水です。数年前まで操業されていたが事情があって空き漁場となっていました。操業準備の手続きは次の通りです。
平成30年は、5月に一斉更新にあわせ定置免許申請し、9月に漁協の協力もあり、定第6号免許取得しました。
平成31年は、1月に第三十八青照丸(15トン)作業船を購入しました。
2月に海底調査等を始めました。
令和元年は、5月にユニック車を購入しました。
内海では漁船リースを活用しており、赤水では漁船リースは使えませんでしたが、新事業で漁具リースが使えることになりました。「網がリースに乗れば大きいぞ」 漁具リースとして、側・網1式(122,600,000円)を取得、さらに、替え網一式(92,000,000円)は近代化資金を借りて購入しました。
(注):宮崎県では定置網の施設共済の加入はゼロの現状。漁具リースの要件とすることも検討されたが、掛け金負担の面で非現実的ということで要件とされなかった経緯あり。
また、県漁連より旧延岡支所跡地を整地してもらい、作業場として借り受け、10月1日より 社員雇用(当初7名)、敷設作業を開始しました。
農林水産業みらい基金を基軸として、タイミングよく出てきた補助事業を活用することができ、作業船、トラック、フォークリフト、敷設資材等々着々と揃えていき、後は本船が来るのを待つばかりと思った矢先、一つ大きな問題があることに気付きました。
12月末でみらい基金が終了します。3年目の補助額は約1億5千万円です。これを活用するためには助成率72%(※本来は直接費の9割です)のため、2億円位の領収書が必要です。お金払わねば、その前に払う金を借りねばなりませんでした。
信漁連に行き2億円の融資をお願いしましたが、「お宅は負債がまだたくさん残っているから、しっかり返済計画作らないと貸せません」とつれない返事です。
漁連専務にアドバイスをもらい、県漁連の債務保証のもと、運転資金1億5千万円を借り、支払に充て、領収証を用意しました。令和2年1月にみらい基金に完了報告を提出し、2月に無事満額入金があり、即運転資金を返済することができました。
1月26日に、網の敷設が完了し、1月29日に初水揚げです。
みらい基金で購入し、12月就航を予定していた、本船の入船が遅れており、急遽、作業船 第三十八青照丸で操業できるように、キャプスタンローラー等を増設し、初水揚げに臨みました。販売方法は漁連の全量買取販売です。船員9名、年間水揚げ高 8千万円の計画を立てました。
2月からブリの入網が見られ、3月10日にようやく本船 第五十八青照丸を投入し、3月末までに、ブリ、約1万5千本を含め、数量170トン、金額58,000千円となり、7月21日の操業切り上げまでに、数量326トン、金額82,000千円と、この時点で計画以上の水揚げを達成することができました。
4. あとがき
2カ所の定置で、漁業経験者12名、県外からの移住者1名、新卒2名、県内外転職者2名、漁協OB1名、合計18名を雇用していますが、結果的に、それまで操業していた、小型マグロ船2隻、小型鰹船2隻、小型底曳網2隻、小型漁船3隻が廃業や休業となっています。私たちの本来の目標からすると、これらの漁船が健全に稼働していたとき以上の水揚げを達成できないと、数字上地域貢献にはつながらないし、目標達成とはならず、多くの課題が山積しています。
これまでの間に、やめてもらった方が、県外1名 新卒1名、やめていった方が、県外者3名、県内転職者2名となっています。現在、給料は最低保証20万円で、ボーナスとして水揚げ配当ですが、特に県外からの移住者でいろいろ技術・資格を持っている方はなかなか長居してもらえません、1ヶ月から6ヶ月でやめていきます。漁業現場にあわなかったといってしまえばそれまでですが、やはり、もう少し給料面を含め、定着し易い環境を作っていく必要があると思います。
近年、異常気象といわれており、台風が本県の南方、すぐ近くの海域で発生しているように感じますし、低気圧をなめていると、すぐに爆弾低気圧になって接近して来ます。まだまだ不慣れなためか毎年のように網をやられています。台風時期を避けて網を入れるのが宮崎県(特に南部)のやり方ですが、近年の発生時期の変化にも対応しなければなりません。爆弾低気圧に至っては、備えようがありません。
この度、定置網に関わり、改めて実感しましたが、宮崎市内ではエンジンや油圧を修理してくれる業者、造船所が少なく修理に長期間を要します。漁業者より先に、機械屋、鉄工所、造船所等のサポート業者が撤退してるのではないかと思われます。県南、県北にはまだそのような業者のサポートが受けられるようです。しかし、これらの業者、技術者を維持する仕組みも必要であり、サポート体制をいかに維持していくかはこれからの大きな課題です。
検討を始めて5年余り、農林水産業みらい基金をはじめ、各種補助事業を活用、県・市、系統団体、漁協の支援・協力により、何とか県内2ヶ統の定置網を復活、操業できるようになりました。まだ始まったばかり、今後、経営を安定させ、継続しなければ何の意味もないと考えています。
網のトラブル・船のトラブル・船員のけが等々、1日1日をやっと乗り越えているのが現状です。
「弊社、宮崎県にて、定置網始めました。」
以上、新しい漁業経営体づくりにチャレンジしている現場からの報告とさせて頂きます。