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水産振興コラム
20234
おさかな供養のものがたり

第8回 波乗りフグとふく殿の供養

田口 理恵
(元東海大学)

日本人は太古よりさまざまな魚を食用などの資源として利用してきました。また、魚の命をいただくことへの感謝と鎮魂の念を示すため、供養碑の建立など弔いの慣習も育んできました。東海大学海洋学部の田口理恵先生(故人)を代表者とする研究者の方々は、全国各地にあるさまざまな魚の供養碑を詳細に調査され、2012年に『魚のとむらい 供養碑から読み解く人と魚のものがたり』(東海大学出版部)を刊行されました。(一財)東京水産振興会は、出版記念として同年に「豊海おさかなミュージアム」で魚の供養碑に関する展示を行い、翌年2月に供養碑に関するシンポジウムを開催いたしました。本書は現在入手が困難ですが、漁業や漁村を理解していただける大変貴重な内容ですので、この度、東海大学出版部などのご承諾を得て、本連載を企画いたしました。ご承諾をいただきました皆様にあらためて感謝申しあげます。

2011年4月29日、下関の南風(はえ)(どまり)市場で下関ふく供養祭が行なわれた。広い場内の奥に祭壇が設けられ、両サイドの長い壁には全国各地のフグ関係者による花輪がずらりと並び、その様は圧巻である。下関における初のフグ供養祭は、1930(昭和5)年3月16日に関門ふく交友会の面々により、壇之浦そばの料亭魚百合で執り行われ、祭壇を設けた大広間には、関門ふく交友会はじめ下関の関係者のほか、東京や大阪方面から駆けつけたフグ料理関係者が集まったという。それ以来、下関では毎年フグ漁の終わるころにフグの供養祭が行われ、戦争中に中断するものの1950(昭和25)年には復活し、今年で72回目のフグ供養祭を迎えた。

下関のフグ供養祭はもともと春の彼岸の中日に行われていたが、1980(昭和55)年からは「ふく」にちなんで4月29日を供養祭の日とするようになった。また、同じ年には、2月9日を「ふくの日」と制定した記念の神事を、下関唐戸魚市場関係者が南部町の恵比須神社で行っている。供養祭の会場も、1958(昭和33)年には水族館、その翌年からは唐戸市場となり、南風泊市場にフグ市場が移ってからは、南風泊市場で供養祭が行なわれるようになった。

さて、フグ供養祭を始めた関門ふく交友会は、1935(昭和10)年に亀山八幡宮の石段上り口にフグの銅像も建てている。このフグ像は、戦時中に金属供出のために1944(昭和19)年に取り払われ、現在ある波乗りフグをデザインした「ふくの像」は、ふく銅像再建推進委員会が1990(平成2)年9月29日に再建したものだ。フグ料理の公許第1号で有名な春帆楼ホテルの入口脇にも波乗りフグの像がある。また、恵比須神社には、下関唐戸魚市場関係者が1980(昭和55)年11月に建てたフグの像があるという。こうしたフグとの関わりが深い場所のみならず、下関では市内のあちこちでフグ像にであうことができる。

亀山八幡宮の「ふく像」
亀山八幡宮の「ふく像」
下関のフグ供養
下関のフグ供養

フグの像は下関を遠く離れた場所にもある。例えば、東京上野不忍池の弁財天境内の波乗りフグの銅像は、1965(昭和40)年に東京ふぐ料理連盟が建立したものだ。愛知県南知多町の光明寺にも波乗りフグ像があり、1981(昭和56)年に名古屋のフグ料理店が建立したもので、毎年4月29日に店の関係者がその像の前で供養祭を行っているほか、地元の漁業者も詣でるという。高野山や横浜の本牧臨海公園にもフグ像をのせた供養碑がある。フグの像ではないが、京都高台寺の霊山観音境内にある「ふぐ塚」は、1982(昭和57)年に京都府ふぐ組合が建てたものである。同組合は1955(昭和30)年よりフグの供養祭を行っており、塚の入り口には下関ふく連盟、唐戸市場、東京都のふぐ関係者が、ふぐ塚建立にあわせて奉納した石柱もある。

知多半島のフグ供養塔
知多半島のフグ供養塔
京都のフグ塚
京都のフグ塚

東京や京都のように供養碑がなくとも、各地のフグ団体単位でも供養祭が行われている。そして、フグ団体同志でお互いに供養祭に招待しあい、各地の代表者たちが下関のふく供養祭に参集する。国内の天然フグの集荷量8割近くを誇る下関市場を中心としたフグ業界の強いつながりがうかがえる。

「ふくは食いたし命は惜しし」と言われるように、毒性を持つフグは、食べることが禁じられた地域や時代もあった。1885(明治18)年発布の「違警罪即決例」でも、「河豚ヲ食フ者ハ拘留科料ニ処ス」としてフグ食は禁止されていた。ところが、1887(明治20)年の暮れに伊藤博文が下関の春帆楼に遊んだ際、女将が違法行為を承知のうえでフグ料理を出し、これを食べた博文がその美味しさに驚いて、翌年、当時の山口県令にフグ食の禁止条項を削除させた。このフグ食解禁によって、下関はフグやフグ料理で有名になっていく。

フグは毒性があるため、フグをさばくには特別な技術と知識が必要となる。それでも、ささいな不注意や無知によってフグ中毒事故が起きてしまう。特に1975(昭和50)年1月に、京都南座に出演中の歌舞伎役者八代目坂東三津五郎がトラフグの肝を食べて中毒死した事件の影響は大きく、客足の遠のいたフグ業界は苦境に陥ったという。その間に関係者たちは安全で美味しいフグ料理を提供すべく、業界として団結し、フグ調理法について統一的な審査法を構築し、フグに関する研究を進めるようになった。それでも、食材となるフグの多様化が進み、近年では温暖化の影響で日本近海までやってくる、毒性の高い熱帯のフグが紛れ込むこともあり、調理する側はフグに対して気を緩めることはできない。

静岡のフグ協会理事の神谷さんは、1年間、何事もなく仕事をしてこれたことに感謝し、そして、次の年も事故なく美味しく安全なフグ料理を作り続けられるように、自らの仕事ぶりを再確認するために下関まで来るのだという。下関のふく供養祭に集まったフグ関係者たちは、嬉々としてフグの話をし、生態から料理法と、フグの話は尽きることがない。

フグ供養において関係者が願うのは、犠牲になったフグたちへの感謝、次年度のフグの豊漁、市場の安定と発展、常に安全で美味しい食を提供し続けるというプライドと自省、フグという生物への探求心など、フグ愛ともいえる業界のフグへの思いは、かくも深く複雑なのである。

文章の一部について補足修正をしています。

連載 第9回 へ続く

プロフィール

田口 理恵(たぐち りえ)

お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了。国立民族学博物館・地域研究企画交流センターCOE研究員の後、東京大学東洋文化研究所、総合地球環境学研究所を経て、2005年より東海大学海洋学部海洋文明学科准教授。2014年逝去。
著書『水の器-手のひらから地球まで』(共編著、人間文化研究機構)『ものづくりの人類学-インドネシア・スンバ島の布織る村の生活誌』(単著、風響社)「魚類への供養に関する研究」(共著、『東海大学海洋研究所研究報告』第32号)「もてなしと関わりのなかの水-スンバ島とラオスにおける飲み水の位置」(『人と水-水と生活』、勉誠出版)