人がつくる奥尻の未来
人口減を補う知恵と行動
函館空港から北海道エアシステム(HAC)のプロペラ機で約30分。離陸して15分もすれば、航空機の小さな窓から、濃紺の海と新緑に囲まれた奥尻島が目に飛び込んでくる。
想像はしていたが、島の道を行き交う車や人は少ない。市内まで案内してくれた島のレンタカー屋の奥さんは、「あ、あそこの店も新しい人が入ったみたいだね。ほら、新しい車が置いてある」と置かれている車を見ただけで島の変化を察知する。
島の人口は現在約2,000人。昨年訪ねた長崎県の壱岐島より面積は少し大きな島だが、人口はちょうど10分の1。かつて8,000人が住んでいたといわれる島も、2040年には1,500人を割る予想がある。今年3月に島の町立奥尻中学校を卒業した島出身の生徒は全員島外に進学・就職。中学に隣接する町立北海道奥尻高校に入学した生徒11人が全員島外からの島留学生になった。「残念ですね」と奥尻高校の滝沢朋義教頭は少し肩を落としながらも、「みんな本当に素晴らしい生徒ばかりですよ」と胸を張る。
地震・津波の記憶
今から33年前の1993年7月、島を襲った「北海道南西沖地震」。島北西沖を震源地にマグニチュード7.8を記録した地震の揺れは島を1分以上大きく揺らし、そのわずか1分半後に大きな津波が島南端の青苗地区をのみ込んだ。流されてきたタンカーの油を引き金に、島南端の青苗地区全体は焼き尽くされた。被害総額664億円。島にとっては、津波が発生すると叫ばれる「ただちに避難を!」の言葉さえかすむ。
「島の往来には飛行機以外にフェリーもあるが、4、5日荒天が続けば島のスーパーから食料が消えるから」レンタカー屋の奥さんは軽いため息をつく。「離島リスク」を並べれば切りがない。
ウニ殻をビジネスに
島で唯一の高校、北海道奥尻高校を訪ねる機会を得た。ちょうど部活動の時間だったのだろう。教室からは楽器を奏でる音が校内に響き、体育館では生徒たちが思い思いにスポーツに励んでいた。廊下を歩いていると、すれ違う生徒たちが「こんにちは!」と自然にあいさつしてくる。滝沢教頭の生徒を評価する言葉を得心した。
今年3月に奥尻高校を卒業した一人に板垣秋佳里さん (18) がいる。今は、神奈川県で横浜市立大学に通いながら、高校在学時代に起業した「海灯(うみあかり)」の事業を経営する二足のわらじで島のウニ殻を利用したビジネスにチャレンジしている。
宇都宮市出身で、島外の生徒を受け入れる「島留学」の制度を使い島にやってきた。起業への憧れと地元を離れてみたいという思いからだった。ただ、いざ島生活をしてみると、都市部とのギャップに困惑。「もう辞めたい」と悩み尽くしたという。
ただ、2年生の終わりにそんな思いが一変する。「閉鎖的な空間がイヤで悩んでいたが、『自分が変わればいい』ことに気付いたんです。するとこれまでみえていなかった島の魅力がみえてきた」と板垣さん。「(島には)何もない分、しっかり自分と向き合える時間があるし、人も圧倒的に温かい。そして何より豊かな自然が目の前にある」と島の魅力を語り、今は生涯「奥尻ファン」を標榜する。
ウニ殻ビジネスは、高校のカリキュラムの一つ、島の課題に生徒たちが向き合う「町おこしワークショップ」をきっかけに思い付いた。「コストがかからず継続的に島のためになるものを探した。そこで出会ったのがウニの殻でした」といい、ウニ殻をコーティングしてライトを付けた「うにランタン」を島の売店やインターネットでの販売を開始、ウニ殻から色素を抽出しそれで染めた「ウニ染色」製品の商品化も進めている。
板垣さんは奥尻島の将来も考える。「島の課題解決は容易ではない。ただ、島には日本の食文化や日本人がもつ素晴らしい国民性も詰まっている。そんな文化をなくすわけにはいかない」と問題意識をもち、「島だけの解決が難しいなら、島の価値が分かる海外の企業とクロスボーダーM&Aをしてもいい。将来はそんな仲介を担う企業を立ち上げたい」と夢を語る。M&Aを学ぶためドイツ・ゲーテ大学への留学も視野に入れる。
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奥尻島に来年、新たな大型ホテルができる。すでに旧役場庁舎跡地で130室規模の建設がスタートしている。大浴場なども備え、インバウンドなどを誘致する計画だ。
島には、潮風の中で育ったブドウを原料とするミネラル豊富なワインもある。全国にワイナリーが乱立する中で、年間3万本を出荷する。島オリジナルのワイン造りにも力を入れて、北海道奥尻高校生徒たちの演奏を聴かせて熟成したワインもある。「(演奏を聞かせると)どう変わるのかの証明は難しいですが、確実に変化します。生徒たちには20歳になった時に寄贈する予定」とワイナリーの菅川仁常務。課題やリスクの多い島にも、探せばたくさんの魅力を見つけられる。
人口の急激な減少は島だけでなく日本全体の問題でもある。奥尻島の現状は近い将来の日本の姿を示す縮図といえる。海外企業に託さないと島の魅力をアピールできなくなる前に、日本人が日本人の手でどう生かすか。そこに漁業がどう関わっていくか。奥尻島の新たな取り組みにそのヒントが詰まっているように感じる。
金子 司 医師
島を支え 島を満喫
穏やかな表情で真っすぐ人の目を見て話に耳を傾ける。その姿勢は病院でも居酒屋でも変わらない。奥尻島にはそんな外科医がいる。
金子司さん (36)。福島の漁業復興に向け、福島県水産事務所で海区漁業調整委員会の事務局を務める金子正子主事の息子さんだ。昨年の全国海区漁業調整委員会連合会での正子さんと長谷成人東京水産振興会理事の出会いが、司さんを訪ねるきっかけになった。
金子医師は、昨年、島唯一の奥尻町国民健康保険病院で勤務を始めた。実は島生活は研修医時代に次いで2度目。「島の生活が忘れられなくて」と奥さんを伴い再度赴任した。
生き物好きの金子医師にとって、島の生活は魅力がいっぱいだ。休みや時間があると昆虫採集、磯釣り、そして狩猟にいそしむ。冬になれば道に積もった雪でクロスカントリーもこなす。
「先生、息子の腕の腫れがひかなくて」と居酒屋の席で相談されても、イヤな顔一つしない。「皮膚科は専門じゃないけど、一度診察に来てくださいね」と優しく声をかける。魚を食べるのも好きで漁協青年部が運営する「海館(かいかん)」は常連。「時間外も自販機で買えるので助かっています」と金子医師。魅力ある島には魅力的な人が集まってくる。


