水産振興ONLINE
水産振興コラム
202412
進む温暖化と水産業

第33回 
ルポ つながり、未来へ歩む(北海道・網走㊤) 
網走合同定置漁業

中島 雅樹
株式会社水産経済新聞社

“協業” が生み出す強み
「自主共済」契機に一体感

水産業の沿岸各地は多くの課題を抱えている。ただ、ここは厳しさに嘆く間を惜しむかのように次への一歩を歩み続けている。オホーツク海に面した北海道東部の網走。漁業者同士がライバルを超越した協業で効率的な漁業を実現し、“水と油” に例えられた農業者と漁業者が古くからの仲間のように本音で議論する。課題から目を背けず、国任せにせず、自らがしっかり課題と向き合う沿岸地域の理想的な姿。指導者の強い思い、それを受け止める仲間の地道な努力、そして決して諦めない忍耐力が結実していた。

がんばる集団に変貌

北海道・網走を訪問したのは10月中旬。抜けるような青空と20°Cを少し下回る過ごしやすい気候に自然と気持ちも華やぐ。北海道の女満別空港から網走湖を左に道を進むと、30分ほどで網走港に本所を構えるJF網走漁協に着く。長谷成人 (一財) 東京水産振興会理事(元水産庁長官)との訪問に、「いらっしゃい」と新谷(しんや)哲也組合長が満面の笑みで出迎えてくれた。

最初に話を聞いたのは、1994年に発足した定置網の協業組織「網走合同定置漁業」について。元角文雄代表理事をはじめ、漁協の新谷組合長が口々にその歴史と仕組みを語り始めた。

戦後の網走の定置網漁業は、漁業法制定後の第1次免許切り替え(52~56年)時で、4生産組合、3法人のほか、個人98人の権利者が存在し、共同経営もあることから大小合わせ43か統があった。しかし、57年の第2次切り替え時には24か統に減少。安定しない漁業の経営環境が影響し、65年にはそれまで網元組織、中小の定置網、生産組合ごとに組織していた3つの部会は「網走さけ定置協議会」(以後、網走さけ定置部会に改称)に統合・集約され、変遷を重ねていた。

そんな網走の定置網漁業が現在の姿に向かうきっかけについて、元角代表は79年に「『自主共済』を始めたこと」と当時を振り返る。

元角代表によると、当時、漁獲共済制度はあったものの「掛金が高すぎて。ただ、漁業者同士の助け合いは必要だった」といい、漁業者自身の手による「自主共済」を整備した。最初は水揚げから一定の金額をプールする仕組みとして、2%の積み立てから始まった。積立額は5%、10%へと5年ごとの定置免許の切り替えに合わせ引き上げられ、10%にもなると自主共済とはいえ、不測の事態には相当程度対応できる本来の共済機能を発揮するようになる。ただ、共済の機能が高まるのに反比例し共済頼みで操業に力を抜く漁業者も出てきた。

「このままでは漁業が駄目になる」

そんな危機感の中で経営の一本化(協業化)が浮上していった。

協業化の道のりについて元角代表は「最初はかなりもめました」と振り返るが、「持ち分制」という発想がそれを打開した。

「持ち分制」とは、それまで個々が所有していた網経営の権利はそのままに持ち分に変換する仕組み。協業組織の利益に応じ配当がもらえる。権利者で乗組員でもある漁業者には、給与以外に賞与なども持ち分に応じて配分される。個々の漁業者は権利を失うことなく利益も得られることで、混乱は収束していった。

協業化は年を重ねるごとに効果が高まっていった。持ち分制のもと、世代交代や免許切り替えごとに貢献度に応じた配分の見直しが行われ、浜にあまり出ない漁業者の持ち分は減り、一方でがんばる漁業者の持ち分が増えていった。権利の一方的な剥奪はできないが、協業による定置網の合同組織は自然に、がんばる漁業者の集団へと変貌していった。

網の数は、現在は5地区で13か統(176人、120世帯)で構成されるが、効率は年々増している。権利者の「80歳定年」制も導入(免許期間の5年を考慮して最長85歳)し、段階的に世代交代していく仕組みも整備した。もめ事が起こる前に “客観的な物差し” をもとうと弁護士も入り、参加者が納得できる仕組みも採用した。

乗組員も働きやすい。「どの船に乗っても乗組員の給与は同じで全員に努力の成果が反映されるし、権利の価値もそれぞれの漁業者に反映されるので一体感はより強まる。さらに資材なども各漁業者が手配するよりロットを大きく発注でき材料費も少なく済み、魚が多く入った網があると聞けばすぐに応援に駆け付ける一体感も生まれた」と元角代表は効果を語る。今、乗組員の平均年齢は約41歳。中には公務員や教師を辞めて来る人など人材は多様で、経験を重ねれば漁期(5~11月)だけで平均で800万円ほどの収入を手にできる。

平均年齢41歳の合同定置。人手が足りなければ手伝いに駆け付ける助け合いは当たり前。
コスト対策のメリットも大きく、定置網の理想型の一つがある。

徹底した稚魚づくり

今年も秋サケ漁は不振で、道内、道外各地で放流用種卵の確保ができない状況に追い込まれている。しかし、オホーツク海側の水揚げは比較的順調。毎年2億尾近い稚魚の放流を続けている北見管内さけ・ます増殖事業協会に対し種卵分配要望は今年も強い。「持ちつ持たれつだから」(新谷協会会長)とできる限りの配布に応じる構えだ。

ほかに比べ網走地区のサケ水揚げが順調なのは、回帰の要となる稚魚づくりにあるという。

シーズンになると網走川の一部がせき止められ、採卵するためのサケが捕獲される。
「天然に近い」稚魚づくりが始まる。

北見管内さけ・ます増殖事業協会の石塚治専務理事は「強い種苗でなければ大海で生き残れないし回帰を望めない」と言い、長年、人が近寄るだけで逃げるような大海で生き残れる野生味を残した種苗づくりに徹している。放流時の餌も重要とプランクトン調査を実施し、放流適期の見極めに活用している。

しかし、その秋サケの順調な回帰にも新谷組合長は危機感を口にする。

常に将来への危機感を抱きながら、解決策を探るため「行動」する新谷組合長

「海洋環境が大きく変化している。徹底した健苗づくりの努力などだけでは通用しない時がくるかもしれない。近年は網走でもブリをはじめ、これまで見られなかったフグやシイラなども当たり前に網に入るようになってきた。その変化が続いた時に秋サケ事業をどう展開するか。合同定置をどう運用していくか。刻々と変化する状況をしっかりとらえ、準備していかなければならない」。

常に先を見据えた取り組みの姿勢はしっかり息づいている。

連載 第34回 つながり、未来へ歩む(北海道・網走㊥) へつづく

プロフィール

中島 雅樹(なかしま まさき)

中島 雅樹

1964年生まれ。87年三重大卒後、水産経済新聞社入社。編集局に勤務し、東北支局長などを経て、2012年から編集局長、21年から執行役員編集局長。