水産振興ONLINE
水産振興コラム
20203
水族館の飼育係と「食」との交わり
新野 大
(高知県立足摺海洋館 館長)
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新潟県村上の鮭と日本で初のサケの博物館 “イヨボヤ会館”

大きな魚を丸のまま一匹使って作られる干物の代表は新潟県村上市で作られる “塩引き鮭” ではないだろうか。地方によっては、丸のままではないがサメやブリといった大型の魚を干すところもあるが、その容姿といい、美味しさ、ボリューム感と塩引き鮭は抜きん出ている。その塩引き鮭に出会ったのが、村上市の瀬波水族館で働いていた時だ。以前紹介させていただいたように、瀬波水族館の屋外にあったイルカショープールでは冬になると水温が下がり過ぎてしまうのでバンドウイルカの飼育が難しい。そこで毎年、11月の初めから千葉県の鴨川シーワールドに避寒させていただいていた。ただ、僕が入社した最初の年はイルカの子どもが生まれたため、仔イルカの輸送は難しいということで、その冬は瀬波水族館で越冬をした。その冬の間に、村上で作られる塩引き鮭やサケの数々の料理にお目にかかった。それまではサケの料理といえば、塩じゃけを焼いたものか洋風のバター焼き、家で父が作っていた氷頭(ひず)なます、石狩鍋くらいしか知らなかった。そうそう、筋子やイクラも知っていた!

水族館の周りの草むらで大合唱していたスズムシの声が弱くなり、空を埋め尽くすくらいに集まって飛んでいた赤トンボたちの屍が駐車場の隅にふき溜まる晩秋の頃。水族館の館長にサケのコース料理を食べに連れて行っていただいた。そこにでてきたサケ料理の多彩なこと。でも残念なことに今の僕とは違い、頭の中には水族館のことしかなかったので、せっかくのチャンスを逃し数々の料理の内容は詳しくは覚えていないのだ。あの頃はデジカメもなく、ましてきちんと料理の撮れるような一眼レフのカメラさえ持っていなかったので記録も無い。今でも時々その時のことを思い出すと悔しさがこみあげてくる。

村上のサケ料理たち

頭に浮かんでくるうろ覚えのサケ料理は、はらこ(村上では “いくら” ではなく “はらこ” と呼ぶ)や氷頭を使った前菜、粕漬けであったろうか焼き物、白子の料理、背ワタの塩辛 “メフン” など。その他にも実に多彩なサケ料理が出てきた。その中できちんと印象に残っているものは塩引き鮭を薄くスライスしたものに、酒と味醂を合わせたものをかけた「酒びたし」と、サケを筒切りにしたものを少しみそを溶かした水で煮た「川煮」だ。

「酒びたし」は塩引き鮭を夏まで陰干しにしたものから作られている。北海道などでは堅めに干した “サケとば” があるが、村上の塩引き鮭を長い間干しあげたものは、ひいき目なのだろうか旨味が違う、硬さが違う。丁寧に皮をはぎ2ミリくらいにそぎ身にされているのだが、しっかりと旨味が残っている。噛むと口の中いっぱいに凝縮されたサケの旨味が広がる。僕は一口たべただけで、すっかり酒びたしの虜になってしまった。それ以来、村上で居酒屋に行くと必ず酒びたしを注文するようになった。その酒びたしが作られる塩引き鮭は、丁寧に処理された丸のままのサケを一旦塩をまぶして貯蔵した後に塩をきれいに洗い落とし、冷たい冬の風にさらして干し熟成させたもの。村上の冬でもマイナス気温になることが少なく湿気を多く含んだ雪など特有の風土が、干された塩引き鮭を乾燥させることなく、変質させずゆっくりと熟成させるのだ。村上にはこの塩引き作りの名人が沢山いて、各家庭でも塩引きが盛んに作られ、軒下に並ぶ塩引き鮭が干される風景は冬の風物詩である。

塩引き鮭の酒びたし 塩引き鮭の酒びたし 塩引き鮭 塩引き鮭

もう一品の「川煮」は豪快な料理であった。大きなサケの胴体の太い部分を内臓を出さないまま筒切りにしてある。そして筒切りにされるのは美味しいオスが使われる。煮上がった筒煮は、煮汁からあげたものを稲わらの上で冷ましてから供される。コースの最後のほうにでてきて、もういい加減お腹がいっぱいになっているところに、ドーンと大きな身が運ばれてくる。皆は食べられるのだろうか?と悩んでいると、お店の方は持ち帰りの容器を運んできてくれた。とても食べきれないので、お土産としてもって帰るのだそうだ。これはいい!家で待つ家族へもいいお土産になる。
 村上のサケ料理、素晴らしかった。

日本初のサケの博物館「イヨボヤ会館」

この村上でのサケの食文化は、国立公園の朝日連峰から流れだし村上で日本海にそそがれる三面(みおもて)川があるからこそ発達したものだ。村上にいた頃には三面川とサケの関係についてなんて、考えたこともなかった。ただ「サケが遡上してくる川」としてしか見ていなかった。その後、村上を離れ青森で浅虫水族館の飼育係をしている時に、初代の館長が青森県の水産業について造詣が深く、いろいろな話をお伺いしているうちに僕も「水産」というものに興味を持ち始めたのだ。青森県もサケはアキアジと呼ばれ重要な水産資源だ。その資源を確保するためにふ化放流も盛んに行われている。そんな話を聞いている中でサケの増殖の発祥の川として、三面川の歴史などを知ったのだ。

そのサケ増殖発祥の話を、昭和62年に三面川の畔に作られた日本で最初の鮭の博物館「イヨボヤ会館」のホームページや須藤和夫『三面川サケ物語』などを参考にし、紹介する。

三面川におけるサケの増殖事業は、250年前に村上藩士・青砥武平治が世界で初めてサケに母川回帰性があることを知り、三面川に分流を作り「種川」というサケの産卵場を保護する制度を作ったことに始まる。そして、世界初のサケの自然ふ化増殖に成功したのだ。またサケが産卵し、ふ化後も稚魚たちが流されるのを防ぐための新しい川床も掘ったりと、サケの増殖に力を入れた。その後、明治11年からサケの人工ふ化事業が行われている。日本のサケを語る時には、はずすことのできない話である。

三面川 三面川 イヨボヤ会館の展示物(ふ化器) イヨボヤ会館の展示物(ふ化器)

このイヨボヤ会館には、僕も一度足を運んだことがある。干物に興味を持ち始めて、最大の干物 “塩引き鮭” をちゃんと見てみたいなと思い村上に撮影に行った時のことだ。そんな施設があるとは知らず、現地についてはじめてサケの博物館があることを知ったのだ。「これは行かなければ!」サケの博物館となっているので、三面川のサケ漁で使われた漁具や増殖事業の資料などが展示されているだけかと思っていたのだが、入館してビックリした。館内にはもちろん充実した民俗学的資料が展示されているが、川の断面が観察できたのだ。館内の三面川の種川に面した壁には、大きなガラス製の観察窓が設置され水中で魚たちの泳ぐ姿を見ることができる。僕が訪れた時はサケたちの遡上の終わりの頃だったので、体がボロボロになったサケが最後の力を振り絞るように泳いでいる姿があった。もう少し早く来ていたら、感動的な産卵のシーンが見られたことだろう。その窓の反対側には小さな置き水槽が並び、アユカケなど観察窓からでは見つけづらい魚たちが展示されている。水族館ではないか!地元の魚たちを展示してその地域の生物相を紹介し、自然保護などの啓蒙をする、そんな水族館が好きだ。これからは規模の大小は関係ない、丁寧に飼育展示しこんな所にこんな生き物たちが生息しているんだ、という驚きと感動をあたえられる水族館づくりが必要であろう。

イヨボヤ会館の観覧窓から見たシロザケ イヨボヤ会館の観覧窓から見たシロザケ

イヨボヤ会館のホームページによると、ただ単に博物館としてあるだけではなく、村上のコンシェルジェとして、来館者に村上の観光、食事処、お土産などの相談にのってくれる「イヨボヤコンシェルジェ」まであるのだ。素晴らしい施設だなぁ。僕の最初に勤めた水族館、瀬波水族館はもう大分前に閉館してしまったがイヨボヤ会館はいつまでも三面川の歴史、文化を発信し続けてほしい。
(連載 第5回 へ続く)


イヨボヤ会館ホームページ https://www.iyoboya.jp

プロフィール

新野 大(にいの だい)

新野 大

1957年東京生まれ、東海大学海洋学部水産学科卒業。新潟県瀬波水族館、青森県営浅虫水族館大阪・海遊館で水族館職員として経歴を重ねた後、独立して水族館プロデューサーとして活動。2018年に高知県土佐清水市に移住し、高知県立足摺海洋館の館長としてリニューアルオープン(2020年7月予定)に携わっている。主な著書に、『大阪湾の生きもの図鑑』(東方出版)、魚介類の干物を干している風景の写真を集めた『干物のある風景』(東方出版)、水族館の舞台裏などを紹介した『水族館のひみつ』(PHP研究所)など。