水産振興ONLINE
水産振興コラム
201910
水族館の飼育係と「食」との交わり
新野 大
(高知県立足摺海洋館 館長)
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僕の原点となった水族館で

当時の瀬波水族館は今の大きな水族館のように濾過循環設備などを専門に見てくれる設備担当などいなかったので、水をきれいにする濾過槽の点検や定期的に濾過槽の詰まりを解消させる“逆洗”もみな自分たちで行った。イルカプールの大きな濾過槽の濾材の交換や配管の修理までも行った。また、夏休み前に急に辞めてしまったマリンガールのかわりに、館内の110トンのドーナツ型をした回遊水槽での餌付けショーも1日4回行っていた。その頃の僕は、今のように太ってなくほっそりとした体形で、辞めたマリンガールの赤いウエットスーツが着れたので、ピンチヒッターとして潜っていたのだ。夜中に循環設備などにトラブルがあるといけないので、3名の飼育担当者で順番に宿直をしていた。だから中2日ですぐ宿直。

瀬波水族館のマリンガール
(パンフレットより)

大忙しのゴールデンウィークが過ぎた頃、イルカ2頭のお腹が少しずつ膨らんできた。どうやら妊娠していたらしい。日を追うごとに2頭ともお腹が大きくなり、次第に下腹部が膨らみ始めた。

そしてある日、朝の給餌に行くと1頭の生殖孔から小さな尾びれが出ている。出産が始まったのだ。その個体は、一度ステージの給餌場所に来て餌を少しだけ食べた後はプールの中を泳ぎ続けている。しかし、1時間経っても2時間経っても一向に体が出てこない。イルカは水中で出産するので、分娩は早く水面で呼吸ができるよう尾が先で、頭が最後なのだ。出産の状態としては普通なのだが、全身が出るまでに時間がかかりすぎている。心配しても何も手出しはできないので、ただ見守るだけであった。心配の中、時間だけが過ぎて行った。「正常な出産ではないなぁ...」と皆が思っていた。午後の給餌の時にもステージには寄って来ず泳ぎ回る。午後2時過ぎだったろうか、出産個体の泳ぐスピードが速くなったと思ったら、仔イルカの全身が水中に出た。ただ、仔イルカは泳ぐことなくプールの底に沈んだまま。残念ながら死産のようだ。母イルカは底に沈んだ仔イルカを、吻で水面に向かわせようと必死になっている。が、仔イルカは動かずなかなか水面にあげられない。1時間ほど経ったろうか、母イルカはあきらめたのかもう一頭と一緒に泳ぎ始めた。動かない仔イルカはプールの角に沈んでいる。僕は回収しようと長い棒についた網を沈めた。すると、仔イルカから離れていた母イルカが獲られまいと棒にアタックしたり、仔イルカをプールの中央に向かって押しやったりする。本では母イルカと仔イルカの絆の強さを読んでいたが、目のあたりにしてその強さに驚かされた。僕がプールに入り回収しようとも考えたのだが、母イルカのアタックを考えてやめにした。しばらく母イルカと網の攻防が続いたが、陽が傾き始めた頃にようやく回収できた。仔イルカは可愛いメスの個体で、プロポーションを測定した後ホルマリン漬けの標本となった。この事件は新米飼育係としてかなりショックだったなぁ。

それから約1カ月が経ち死産のショックがまだ抜けきらないある朝方、イルカプールでイルカの親子が泳いでいる夢で目が覚めた。もう一頭の妊娠個体も下腹部がかなり大きくなり、もうすぐ産まれそうだったのだ。そのことが気になっていて、そんな夢を見たのかと思いながらも引かれるように水族館に向かった。風もなく鏡のような水面の屋外のイルカプールは、昨日のまま。とその時、プハッという呼吸音と同時に「シュ!」という小さな呼吸音が聞こえ、親子のイルカが水面に姿を現した。まだ背びれが丸まったままで、体には生まれる時に生殖孔に押されたのだろう、3カ所がくびれたように少しへこんだ小さなイルカがお母さんと一緒に泳いでいた。その子を挟むように、死産をしてしまったイルカも一緒に泳いでいる。夢の続きを見ているような不思議な体験だった。

その頃の日本の水族館事情として、飼育下でのバンドウイルカの繫殖はなかなか難しく、出産はするのだがなかなか育たなかった。この仔イルカはどうなるのだろう。嬉しさよりも、不安のほうが大きくのしかかってきた。ちゃんと授乳ができているのかを確認するため、夜間も交代でワッチをした。授乳回数はそんなには多くなかったが、仔イルカはちゃんとお乳を飲んでいる姿が確認できた。そんな僕たちの不安をよそに仔イルカはスクスクと育ってくれた。そして忙しかった夏休みも終わり、赤とんぼの群れが空を覆う頃には仔イルカは丸々と太り元気いっぱいであった。

イルカの親子 大きく育ったイルカの子

その頃、新たな問題が。瀬波水族館のイルカプールは、プールの水を温める設備を備えていなかったのだ。バンドウイルカはどちらかというと暖かい海を好む種なので冬になったら鴨川に輸送し、鴨川シーワールドのプールで越冬させてもらう予定だった。ところが、産まれて4ヵ月ほどの授乳中の仔イルカを輸送した例はなく、仔イルカは水から揚げるとショックを起こして死んでしまうと言われていた。せっかくここまで元気に育った仔イルカを死なせるわけにはいかないので、このプールで越冬させることにした。

少しでもプールの水温を上げようと、手作りのガス温水機などを造ってみたが、1,100トンの水量と、雪の新潟の気候にはかなわず水温は最低で6.9°Cまで下がった。それでも、イルカたちは頑張って冬を乗り越え、無事春を迎えた。今思えばあっという間の出来事だった。その年の秋には、1歳を過ぎた仔イルカはお母さんと一緒にトラックの荷台で鴨川まで無事運ばれた。そして春には再び、瀬波水族館に戻りショーを行うという生活になった。

この瀬波水族館に在籍していたのはたった3年であったが、この間に様々なことを経験させてもらい、僕の水族館屋としての下地が出来上がった。今の大きな水族館のように、魚類、海獣など分かれて仕事をしていたのでは、とても3年ではあれだけの経験はできなかっただろう。「何でも自分でやる、出来る」という自信につながった。
(連載 第3回 へ続く)

プロフィール

新野 大(にいの だい)

新野 大

1957年東京生まれ、東海大学海洋学部水産学科卒業。新潟県瀬波水族館、青森県営浅虫水族館大阪・海遊館で水族館職員として経歴を重ねた後、独立して水族館プロデューサーとして活動。2018年に高知県土佐清水市に移住し、高知県立足摺海洋館の館長としてリニューアルオープン(2020年7月予定)に携わっている。主な著書に、『大阪湾の生きもの図鑑』(東方出版)、魚介類の干物を干している風景の写真を集めた『干物のある風景』(東方出版)、水族館の舞台裏などを紹介した『水族館のひみつ』(PHP研究所)など。