水産振興ONLINE
水産振興コラム
20228
船上カメラマンとして見つめた水産業
神野 東子
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知床の海と生きる

今年の春に知床の斜里町ウトロで、観光船沈没という言葉にできない程悲しく、やり切れない事故が起きてしまった。まだまだ水温が低く冷たい風も吹き荒れ、波の高い日も多いオホーツクの海で。それも、世界的に評価される程の景観の美しさと野生生物が悠然と姿を現す程の豊かさを兼ね備える知床の海で。事故が起きてから連日にわたって、現地からの中継がテレビで報道されたり、新聞に大きく掲載されたり、ネットでも注目を集めた。多くの国民がいつもの美しい知床の海ではなく、事故の映像とともに関心を寄せる事態となってしまった。同時に多くの人が、海の恐ろしさを再確認することとなった。

私はというと、今年の2月に初めて斜里町ウトロを訪れていた。目的は、流氷に覆われ、氷に閉ざされた海を体感し撮影することと、氷に覆われるため出漁できない時期の漁師さんたちを取材することだった。斜里町に着き、眼下に広がるのは雪に覆われて真っ白になった陸地。風も痛いほど冷たく、北海道らしい厳しい寒さだった。知床らしい冬の景色といえば流氷だ。雪に覆われた陸地が続いていると錯覚するくらい、海が真っ白なのだ。よく見ると所々空の色のように青い氷があって、これは海なのだと思い出させてくれる。その様子は圧巻で、自然の美しさや力強さを感じずにはいられない。オジロワシやオオワシが上空を飛び交い、たまに流氷の上で羽を休めている。夜にはシマフクロウの鳴き声も聞こえるという、自分がその空間にいるのが不思議なくらいの雄大さを感じた。

(c) Toko Jinno

知床の観光シーズンは年に2回。流氷が押し寄せる冬と、登山のベストシーズンを迎え緑豊かになる夏だ。海は氷で閉ざされ、陸地も雪で覆われる冬に観光客が訪れ何をするのかというと、ドライスーツを着て流氷の上を歩く「流氷ウォーク」が人気だ。安全管理された区域で、ガイドさんの指導の下、冷たくて分厚く、水平線の向こうまで続いている流氷の上をゆっくり歩く。分厚い氷がぎっしり並んでいると思えば、グラグラと安定感の無い流氷もあるし、氷と氷の間に隙間ができて海が見えている場所もある。ドライスーツを着て海に入ると体が浮くため、氷の隙間に現れた海にちゃぷんと入り、ぷかぷかと浮かんでいる姿を記念撮影する人もいるそうだ。私もこの「流氷ウォーク」を体験させてもらったが、海の上を歩いているなんてとても不思議だった。踏みしめているのは確かに氷なのに、感じる空気感は紛れもなく海なのだ。氷の隙間の海の中を覗くと、多種多様のプランクトンがピョンピョン泳いでいる。肉眼ではっきり見えるほど海が透き通っていた。流氷の天使として有名なクリオネも時折姿を見せてくれる。私はそんなにも色んな表情を持つ流氷に、すっかり魅了されてしまった。

さて、知床の海をこの流氷に占領されてしまっては、いくら豊かな海であっても漁なんかできない。そんな時期の漁師さんたちは「流氷ウォーク」のガイドさんをしたり、水産加工場で働いたりしていた。漁の時期には船で網をおこしているその場所で、観光で訪れた人たちが流氷を楽しめるようにガイドをしたり、漁の時期に自分たちで獲った魚を美味しく食べてもらうよう丁寧に処理したり干したりしているのだ。この地域ならではの漁師さんの多種多様な表情もとても魅力的だった。会話の中で、流氷が去った後の海を「海明け」と呼んでいたことが印象的だった。流氷が運んでくるプランクトンが栄養をもたらすことから、海明けの魚介は美味しいという。

(c) Toko Jinno (c) Toko Jinno

季節が巡り、私は再び斜里町ウトロを訪れた。海明けした知床は、青い海を船が行き交い、港は水揚げ作業で活気に満ちていた。駅に行くと、大きなリュックサックを背負った登山客の姿や旅行バッグを持った観光客の姿もちらほら見られる。事故前に比べると観光客は減っているようだが、夏の日差しを浴びて緑輝く美しい知床の自然は健在だ。流氷に覆われて真っ白な海とは打って変わって、夏の青い海は太陽の光でキラキラ輝き、夕陽のオレンジもゆらゆらと映し出した。

漁師さんたちも待ちに待った漁期を迎え、沖に陸にと忙しそうだ。鮭の漁獲量が日本一で有名な斜里町だが、ホッケや毛ガニ、ツブ貝など美味しい魚介がたくさん水揚げされる。私が今回同行させてもらったのは毛ガニ漁とツブ漁。どちらもエサを入れた籠を海底に仕掛け、毛ガニ漁は毛ガニを、ツブ漁はツブ貝が入るのを待つ漁だ。漁場に着くと、籠を繋ぐいくつものロープを次々に機械の動きに合わせながら引っ張っていく。海底から籠を引き上げると、籠に入った魚介を扱う作業が待っている。網目に引っかかっている毛ガニは一匹ずつ丁寧に船内へ移され、ツブ貝は殻を含めるとかなりの重さとなるが、一人の力で船内へ水揚げされる。それらの作業は素早さとチームワークを伴い進められていく。漁場から離れると、斜里町の漁の代名詞でもある鮭の定置網漁の船が漁場へ港へと向かう勇壮な姿が見られた。世界遺産知床の海で、日夜漁師さんたちが活躍している。

(c) Toko Jinno (c) Toko Jinno

加工も行う漁師さん曰く、漁に出る事と加工して販売して喜んでもらう事、両方を経験するとどちらにも良い影響があるそうだ。知床の海産物が高く評価されている事をとても嬉しそうに話してくれた。冬にガイドをしている漁師さんは、夏の海の魅力も伝えてくれる。知床半島の横を船で通ると、滝の音が心地良く癒やされる空間や、包み込まれるような気分になる洞窟、ゴツゴツした岩場の雰囲気とは打って変わって穏やかな砂浜が広がる場所もあり、半島にこんなにも色んな表情があるのかと驚いた。海側に視線を向けると、イルカの泳ぐ姿が見られたりする。

知床の漁師さんから話を聞くたび、皆にとって知床の海は特別で、かけがえのない地域の誇りなのだというのがひしひしと伝わった。言葉の端々で魅力を語ってくれていた。そんな皆の想いも、多くの旅行者に愛される魅力として現われているのかもしれない。知床の海と生きる漁師さんたちの想いに、知床の自然に負けない迫力を感じた。今度訪れる時はどんな知床の表情を感じられるか、興味は尽きない。

(c) Toko Jinno

第10回 へ続く

プロフィール

神野 東子(じんの とうこ)

神野 東子 (c) Toko Jinno

荒々しく、時に優しく、自分の仕事に誇りを持つ漁師たちの生き様に惚れ込み、同行して撮影する船上カメラマン。釧路市生まれ。海とともに生きる漁師たちのさまざまな表情を追いかけると同時に、魚食の普及や後継者不足解消に向け、学校と連携した講座等を行う。富士フイルムフォトサロン札幌、豊洲市場内「銀鱗文庫」、豊海おさかなミュージアム等各所で写真展を開催。