水産振興ONLINE
水産振興コラム
202111
船上カメラマンとして見つめた水産業
神野 東子
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まき網船

(c) Toko Jinno

漁業といえば、年末にテレビで放送されるマグロ漁師さんの特集や地域のニュースで見かけるような定置網漁などの船をイメージするのではないだろうか。私も、年末のマグロ漁師さんの特集を毎年楽しみにしているが、あの人は今どうしているのだろう、と身近に感じることができるのが何だか嬉しいし、興味をそそる。

一方でまき網船などの大きな船は、私たちが身近に感じている船と雰囲気が違う。停泊しているまき網船を見かけても、まず船の大きさに圧倒されてしまう。その迫力に、漁師さんたちの気配を忘れてしまいそうになる。いざ漁師さんたちに目を向けてみると、今度は人数の多さに圧倒されてしまう。私の地元である釧路市では毎年7月くらいから10月までの間、道東沖のマイワシやサバを漁獲するためにまき網船が滞在しているが、北海道をベースにするまき網船がなく、まき網船に乗っていた経験がある人も周りにいない。そのため、身近に感じていない人がほとんどだ。まき網船が停泊している様子を眺める人は多いのに、テレビで放送されるマグロ漁のようにイメージできる人はほとんどいないだろう。

私にとってもまき網船は身近でなかったため、近寄りがたく何となく怖い印象を抱いていた。見かける船籍も他県ばかりだし、まき網に携わっているという知り合いもいなかったため、自分とは関係のない遠い世界の出来事のように感じていた。

しかし4年ほど前のある日、私の活動を知ってくださっているバーのマスターが「今度知り合いの漁師さん紹介するね。長崎の漁師さんで、とてもいい人だよ」と言ってくれた。それがまき網船の漁師さんだったのだ。その時点でもまだ遠い存在に感じていたため、実感が無いまま紹介してもらう日を迎えた。時化で漁がお休みの日、マスターと漁師の葛島さんと私の3人で居酒屋で食事をした。その日は風が強く、傘を斜めに傾けながら居酒屋へ向かった。紹介されたのは、小柄で笑顔がとても素敵な方だった。マスターの知り合いの居酒屋に3人で座って乾杯をする。葛島さんは、外の天気を気にしつつも、長崎弁でまき網漁についてやご自身のこと、ご家族のことなど教えてくれた。2件目にマスターのバーに行こうとしていたが、思いの外風と雨が収まらず、船に戻らなければならないという事で居酒屋を出て解散となった。

(c) Toko Jinno

翌日、何と葛島さんが乗っている船の中にお邪魔させていただけることになった。葛島さんが漁撈長さんに話してくれたお陰だ。初めて中にお邪魔するという緊張で、まき網船がより一層大きく見えた。こんな大きな船にどうやって入るのだろう、と船を見上げていると「こちらへどうぞ」と声が聞こえた。若い船員さんがスロープのような所で待ってくれている。ドキドキしながらスロープを上って、踏み外さないように気を付けながら階段を上ってようやくブリッジにたどり着いた。お邪魔するということで、お土産に昆布巻きを買っていったのだが、船員数をイメージできておらず、全く足りなかったのを今でも反省している。初めてお会いした漁撈長さんは、言葉では言い表せない貫禄があった。とても緊張したが、漁業の魅力を伝えたいという自分の想いを精一杯伝え、操業中に乗船しても良いと言っていただけた。乗船した時の様子はまた別の機会にお伝えすることとする。まき網船の多くは、本船(網船)・運搬船・探索船という役割の異なる数隻の漁船で船団を組んで操業しているため、1船団(1ヶ統と呼ぶ)で50人くらいの漁師さんが一体となって操業している。そのトップで指揮を執るのが漁撈長さんだ。ちなみに葛島さんが乗っているのは探索船で、お邪魔した時遠くにいたため私はとても不安になった、というのはここだけの話だ。

まき網漁の歴史は古く、江戸時代に主にイワシ漁に用いられていた八手(はちだ)網という漁法が原点になっている。八手網は2艘の船で浅い袋状の網を広げ、網上に魚群が来ると曳綱を引いて狭め、魚をタモ網ですくう漁法である。これに改良に次ぐ改良と機械化が加わったのが現在のまき網漁である。船と網が大きいことから、根こそぎ獲ってしまうというイメージが根強いようだが、魚探やソナーが進化した現在においては、効率の良い最先端の漁法になり得るのではないだろうか。

そのような古い歴史を持つまき網漁だが、船籍がある港以外で操業することが多いため「よそ者」として扱われてしまっているのを耳にすることがある。漁師の仕事が好きという思いや、豊かな海を将来に残したいという思いは皆同じはずなのに…と悲しく思ってしまう。これだけ豊富な魚種や漁法、港の歴史や文化がある国は日本だけなので、海外の良い所を参考にしつつ、日本独自のやり方で明るい話題が増えたら嬉しい。そして、活気ある港を見続けたい。

今年も釧路に24ヶ統ものまき網船団が来てくれたお陰で、港が活気づいた。葛島さんの元気な顔を見ることもできた。まき網の撮影ができるようになったのは葛島さんのお陰なのでそれを伝えるといつも「そんな事ない、あなたの熱意と人柄ですよ。これからも頑張って」と優しい言葉を掛けてくれる。最初に船にお邪魔した時にスロープに案内してくれた若い船員さんは今年で漁師歴4年になっていて、何とパンチパーマになっていた!遊びで10人くらいがパンチパーマにしたそうだが、彼は特別に似合っていたようで気に入って継続しているらしい。楽しく働けているようで、こちらまで嬉しくなった。

まき網船の道東沖での操業が10月31日までと決まっているため、1隻残らず南下してしまう。24ヶ統もの船団がいなくなってしまうと一気に寂しくなり、港をめがけてカメラを構える人の姿も見かけなくなる。まき網船がいる光景がただの風景ではなく、少しでも身近に感じてくれる人が増えることを願ってやまない。

(c) Toko Jinno

第8回 へ続く

プロフィール

神野 東子(じんの とうこ)

神野 東子 (c) Toko Jinno

荒々しく、時に優しく、自分の仕事に誇りを持つ漁師たちの生き様に惚れ込み、同行して撮影する船上カメラマン。釧路市生まれ。海とともに生きる漁師たちのさまざまな表情を追いかけると同時に、魚食の普及や後継者不足解消に向け、学校と連携した講座等を行う。富士フイルムフォトサロン札幌、豊洲市場内「銀鱗文庫」、豊海おさかなミュージアム等各所で写真展を開催。