漁業と神事
皆さんは今年、初詣には行かれただろうか。私は10年ほど前から、年末に神社へ足を運び1年の感謝を伝え、年始の混雑が落ち着いた頃に初詣に行く、というのがお決まりのパターンとなっている。コロナ禍の年末年始、そのような参拝をされる方も増えるのではないかと予想する。ウィズコロナの時代が突然やってきて、不安定ともいえる今、神社に参拝する際、いつもより熱がこもってしまうのは私だけではないはずだ。不安定な時もそうでない時も、神社や神棚に参拝するという行為は、日常にも非日常にも寄り添う、日本人にとって特別なものだ。
水産業に携わる皆さんにとっても、特別であることに変わりない。船の中には神棚があるし、大事な場面では船に神主さんを呼んで、祭事をすることもある。船の中にある神棚は、ブリッジの後ろの方から皆を見守っていて、何とも言えない存在感を放っている。そこにそれぞれの地元の神社の御札が祀られているのを見ると、不思議と安心感を覚えたりもするし、安全操業への船員さんたちの想いも伝わってくるようにも感じる。
漁業にまつわる祭事のひとつに、毎年1月11日に行われる、船霊さん(地域等によって船玉、船魂とも表記される)と呼ばれるものがある。私が北海道のいくつかの地域で聞いた話だと、その日は漁に出ず、船に神主さんを呼んで祝詞をあげてもらい、その後船員たちが神社に参拝し、お昼からは皆で食事を楽しみながら、安全操業と豊漁を祈願する一日のようだ。しかし現在は、船に神主さんに来てもらい祝詞をあげてもらった後、船員たちで神社へのお参りはするが、集まって食事をすることはしなくなった、とか、船霊さんを気にしなくなって、その日も普通に漁に出るようになった、など寂しい話も聞く。船霊さんについて質問してみると、船霊さんとは何かと、逆に質問されてしまうことさえあった。
1月11日の北海道はとにかく寒い。祝詞をあげてもらうだけとは言え、いくつもの大漁旗を綺麗に揚げて準備する。作業をする皆の吐く息は白く、カメラを持つ自分の指もちぎれそうに痛い。神主さんが到着すると、安全に配慮しながら船員さんが船内へと案内する。祝詞が終わると大漁旗を仕舞って、皆で近くの神社へと向かうのだ。
このように、船霊さんといえば祭事、という地域もあれば、船を新造した時に祀る神様を指す場合も多い。この場合、船霊様、と呼ばれることが多いようだ。もちろん航海の安全を守る神様で、ご神体は、女性の毛髪や男女一対の人形、サイコロ2個、銅銭、五穀など(これらも地域等によって変わる)で、船の中央の帆柱の下などに船大工が納める。船の守護神として、数多の漁師さんたちに、長年に渡り大切にされている女神様だ。
祭事としての船霊さんは古くは何と、758年にまでさかのぼる。天平宝字2 (758) 年8月に、淳仁天皇が船霊祭を行ったと、平安時代初期に編纂された「続日本紀」に記されているのだ。一体どのようにしてこの時代まで全国各地で語り継がれてきたのかは定かではないが、航海の安全を祈る気持ちは、1260年前と変わらないのだろう。
言うまでもなく、漁業は人間の歴史とともにあり、祈りもまた、人間の歴史とともにある。大切な人が大変な状況に陥った時、つい祈っていたという経験はないだろうか。
旦那さんたちが漁をしている時、奥さんたちが集まり、神社で安全豊漁祈願をする習慣がある地域もある。長崎県の度島では神仏習合で、度島神社に集まった皆さんが般若心経を唱える、という祭事が毎月行われている。お経が始まる前、神前に一人ずつろうそくを立てていくのだが、このろうそくの炎が消えるまで、お経を唱え終わったあとも、お茶会をしながら皆で過ごす。ろうそくの炎には奥さんたちのあたたかい想いが込もっているのだ。神社でのお経は日が沈んでから行われるのだが、同じ日の朝には別の神社にもお参りをするため、慣習としてお弁当の用意や、お茶会の準備などもあるという。このような事をして大変じゃないかと尋ねると「これくらいしかできることがないから」とおっしゃっていたのが印象的だった。漁に出ている旦那さんも、帰りを待つ奥さんも気持ちは一つで、お互いを心強く思っているように感じた。
人間生きていると、自分の力ではどうにもできないことが起こったり、感情が大きく揺さぶられて困惑したり、周囲の人の優しさに感謝したりと、とにかく忙しい。そんな時、変わらずあるものに安心したり、癒やされたりする。その一つが、祈りや、神社そのものや、御札や御守りなのかな、と思う。
今年も、自分にできることを一歩一歩していき、時には祈ったり御守りに頼ったりしながら、毎日を過ごすことだろう。何だか神社に行きたくなってきたので、今回はこの辺で。
(第4回 へ続く)