水産振興ONLINE
水産振興コラム
202010
船上カメラマンとして見つめた水産業
神野 東子
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石井船頭

最初に漁に同行させていただいた船が、サケの定置網漁の船だった。港へ何度か通って、皆さんの顔を覚えた頃、ある漁師さんが「沖行って撮ったら?朝日も綺麗だよ」と言ってくれたのがきっかけである。そんな言葉を掛けていただいた私は、邪魔にならないだろうか、運動神経の悪い私が行っていいのだろうか、と悩んだ。しかし、沖で働く皆さんを撮影したいし、それを伝えたい。そんな思いから、船頭さんにお願いする日々が始まる。「女の人は乗れないんだ。ごめんね」と断られてしまったりもしたが、数日経ってようやく、同行させていただける船が見つかった。それが、石井船頭率いる北進丸だった。

(c) Toko Jinno

最初に組合にお邪魔した時「日に焼けていて、帽子を被っていて、しわがあって、歯がない漁師さんっていますか」と相談に行った。これが私の撮りたい漁師さんのイメージだったのだ。今考えると本当に失礼な話だが、組合の人は「いっぱいいるよ」とあっさり返してくれた。石井船頭は、そんな私のイメージ通りの漁師さんでもあったため、勝手に強い思い入れを持っていた。

撮影日を迎えるまで、神社でお祓いをしてもらったり、カメラバッグに入れておく御守りを用意したり、漁師さんへの差し入れを用意して、ドキドキしながら過ごす。沖での撮影なんて全く想像がつかないので、祈るような気持ちだ。撮影日を迎えるまでの過ごし方は、今も同じである。

いよいよ撮影日。9月15日午前4時頃。まだ辺りが暗い中、出港準備をしている。こんな時間から仕事が始まるなんてすごいなぁ、などと思いを巡らせていると「こっちこっち」と声が聞こえた。真っ暗な中、声だけを頼りに進んでみると、目の前に北進丸が現れた。甲板を踏みしめると、すぐに船が動き出した。きちんと挨拶ができたか覚えていない。

(c) Toko Jinno

沖では、とにかく邪魔にならないようにと、どんな瞬間も逃すまいと必死だった。そして、常に石井船頭の指示に従う。船頭はブリッジにいたり、甲板で指示を出したりする。寡黙だが、存在感があり、ひと言ひと言に重みがあった。漁場に着き、みんなで網を引っ張り魚が揚がると、水しぶきがレンズに付いた。それさえも何だか嬉しく、シャッターを切り続ける。そして、港で話した漁師さんが教えてくれた綺麗な朝日が顔を出した。その朝日は大げさではなく、今まで見た中で一番綺麗な朝日だと思った。こんなに綺麗な朝日を見ながら働いているから、漁師さんたちの表情が清々しいのか、とさえ思った。

(c) Toko Jinno

初めての沖での撮影を終え、北進丸の皆さんの番屋にお邪魔させていただいたり、網を直しているところを撮影させていただいたり、お話する機会も増えた。石井船頭は、寡黙だけれどいつも中心にいた。その姿に安心感を覚えた。秋の定置網漁が終わると、冬はみんなそれぞれ違う船に乗ったり、別の仕事をしたりして過ごすそうだ。そして春の定置網漁の準備をする3月になると皆集まり、網を直したり、沖に出たりする毎日が始まる。

石井船頭と会ってから、2回目の春の定置網漁の時期を迎えた。何度か顔を出してみたが、船頭の姿が見当たらない。どうしたのだろうと不思議に思いながら、船が着くのを待っていたある日、船頭と旧知の仲だという、漁業関係のお仕事をされている方が話しかけてくれた。その方とは、網直しの現場で何度かお会いしたことがあった。

「石井船頭を待ってるのか?」
 「はい」
 「今日は来るって言ってたから、俺も石井船頭を待っている」

何だか表情が冴えないのが気になる。今日は来るってどういう事なのか、なぜ以前のように石井船頭の姿が見られないのか、疑問をぶつけてみると、悔しそうな表情に変わった。

「癌が見つかった。今日は孫の運動会だから一時退院するって言ってたから、会いに来た」とのことだった。言葉が見つからなかった。

しばらくして船が戻ってきたが、そこに石井船頭の姿は無かった。船頭のご友人は寂しそうな顔をし、しばらく船を見つめ、その場を去って行った。

それから数日後のある日、船を待っていると、なんと石井船頭が船に乗っている。しかも、大漁の魚とともに。「春にこんなに魚がかかるの初めてだ」と、驚きと嬉しさが入り交じった表情をしていた。本当に大漁の魚と、石井船頭の姿を見て安心したのだった。

その数日後、聞きたくなかった訃報が耳に入った。組合の方に、写真を用意して欲しいと頼まれ、写真を持って葬儀場に駆けつけた。石井船頭がいなくなってしまった。船上で驚きと嬉しさが入り交じった表情をしている石井船頭の姿が、最後の姿となった。あの日見た大漁の魚たちは、最後のはなむけのようなものだったのだろうか。

(c) Toko Jinno

辛い別れがあっても、寂しさが残っても、時は過ぎ、季節は巡るものだ。私は写真展の準備に取りかかった。もちろん石井船頭の写真も用意する。船頭の息子さんに使用の許可をいただき、写真展のご案内をさせていただいた。写真展開催中、石井船頭の息子さんをはじめ、船頭の奥様やお孫さんも来てくれた。楽しそうに写真を見てくださったので、写真展を開催して良かった、と嬉しく思った。

写真は一瞬を切り取り、記録する。その一枚で誰かが嬉しい気持ちになったり、大切に思ってくれたりしたら嬉しい。写真家としての生き方の正解など無く、正解の写真なんていうものも無い。毎日手探り状態の私だが、いつも被写体に寄り添う自分でありたいと思う。

(c) Toko Jinno

第3回 へ続く

プロフィール

神野 東子(じんの とうこ)

神野 東子 (c) Toko Jinno

荒々しく、時に優しく、自分の仕事に誇りを持つ漁師たちの生き様に惚れ込み、同行して撮影する船上カメラマン。釧路市生まれ。海とともに生きる漁師たちのさまざまな表情を追いかけると同時に、魚食の普及や後継者不足解消に向け、学校と連携した講座等を行う。富士フイルムフォトサロン札幌、豊洲市場内「銀鱗文庫」、豊海おさかなミュージアム等各所で写真展を開催。