泉澤裕介1983年生まれ、40歳。仲卸「カネ重」の5代目である。
後継者がいないため、閉店に至った仲卸は少なくない。そんななか、泉澤さんは、10年余りのサラリーマン生活を経て、父の跡を継いだ。
「大学を出て、お台場のホテルにある会員制のフィットネスクラブに入社しました。仕事は、最終的には営業や経理などの運営面。上り調子の会社だったし、仕事もおもしろかったです」
店に入ってほしい、という話がでたのは、そんなころ。2014年のことだった。
「父は言い出せないんですよ、母から手伝ってもらえないかなぁと。長男なので、周囲からも跡を継ぐと思われて育ったし、高校、大学と進路を決めるときも、そのことはいつも頭にありました。けど、もっと挑戦したいというのがあって、外で働くことを選んだんです」
店に入ったのは2016年6月、話が出て2年後だった。
「人手がなくて注文分を出すので精一杯。数字を出すどころではない。そんな状況を聞かされるうち、戻ろうという気持ちが固まっていきました」
30過ぎて、ゼロからのスタートだ。寝ていた時間帯が就業時間となり、セリ場では「ここはどこ状態」、アジとイワシの区別もおぼつかない。
「一番きつかったのは、お客さんに相手にされないこと。店に立っているのに、僕の前はスルー」
買い出しのお客さんたちのルーティンは決まっている。新顔が入り込む余地はない。そこでとったのが、だれかれかまわずのオハヨウ作戦だ。
「お客でも仲間でも、目が合えば挨拶。それしかできないわけですから」
さらに声掛け作戦。
「買ったサカナ、なにが気に入ったのか、よく聞いてました。こちらがお客さんに伝える話なのに。アピールに必死でしたから、気づきもしなかったです」
図鑑を見たり、テレビの情報番組もこまめに視聴した。
「1年ぐらいしてかなぁ、初めてお客さんに、『このアジ、どう思う?』と聞かれた。うれしかったですね」
今、泉澤さんの毎日は、朝2時に始まる。まずは仕入れのためにセリ場を回る。ウニの下見を終えると、店に引き返して前注文のサカナを仕分け、合間を縫ってウニの競りに参加、急いで店に戻ると前注文の続きをこなしながら陳列準備と、ともかくめまぐるしい。早朝のスタッフは泉澤さんを先頭に4人。それぞれの持ち場をこなすチームワークのよさはなかなかのものだ。
父孝夫さんがやってくるのは、6時ころだ。実は、2021年10月、孝夫さんは会長、泉澤さんが社長という新体制になった。
「社長に、というのは、僕から言い出しました。70歳近くなった父の年齢もありますが、自分で自分の背中を押そうと。父が社長でいると、気持ち的にどこか逃げ場を作っているんです。だからもう後へは引けない、ハラくくろう、と。」
扱う魚種を増やす、SNSなどでの情報発信、注文を待つだけではなく提案型の積極策に転じたい。さまざまな展望を持っての就任だった。
「でも現実は厳しかったですねえ。社長になったころ、スタッフが入れ代わったりして、もう、店を回すことで精いっぱいでした」
現在のチームワークが生まれたのは、この数か月のことだ。
社長になって1年半。思うところはいろいろだ。
「カネ重は、地味に長く繋いできた店で、小さな粗利の積み重ねでやってきました。自分としては、もっと粗利をのっけていいんじゃないかと考えもしました。でも、今は、父のやり方でもいいのかな、とも思う。まあ、迷うところです」
その孝夫さんの店での定位置は、ウニのショーケースの前。
「仲卸の仕事って、人と人との関係が濃くて、同じ品物でも、この人から買いたいというのがあるじゃないですか。今、ウニを仕入れているのは僕ですが、売るのは父。お客さんも父から買うほうが安心だと思って」
50年間、ウニを競ってきた父へのリスペクトでもあり、社長業進行形の泉澤さんにとって、孝夫さんから学ぶことは、まだまだあるようだ。
泉澤さんには、3歳の息子がいる。店を継がせたいか、聞いてみた。
「継いでくれたらうれしいというのは、あります。でも、僕と同じようにいろんな世界を体験して、その先の選択肢として市場があれば、と考えています」
「なんで仲卸に入ったの」と、今でもよく聞かれるという。理由はいろいろあるが、結論は一つ「ストレートに反応があって、やりがいがある」。息子にも、自分と同じ道を歩んでほしいという言葉が、それを示している。
「まあ、今は『うちのトウチャン、いい仕事してる』と思ってもらえるように頑張らなくちゃ」
息子から答えを聞けるのは、20年、30年後か。どんな返事が待っているのだろう。
(第5回へつづく)