下間帆乃、1999年秋田県生まれ。秋田県立男鹿海洋高等学校海洋科を卒業、豊洲市場にある冷蔵冷凍保管事業を主とする株式会社ホウスイに入社して6年になる。
「冷蔵庫で働いている女性がいる」と聞いたのは、1年ほど前だった。
私が市場にある冷蔵庫の作業風景を見たのは、もう20年ほど前、築地市場時代のことだ。猛暑日だというのに庫内では、防寒靴と持ち重りのする分厚いコートを着た男たちが、霜で覆われた荷物を手積みしていた。きつい西日がさす冷蔵庫棟の入り口には石油ストーブが置いてあり、よほど体が冷えたのか、背を丸めた男たちが赤い炎に手をかざしていた。男でも過酷な仕事場。そんなイメージしかなかったので、女性が働いていると聞き、とても驚いた。それが下間さんだった。
初対面はホウスイの事務所。ロングヘアを銀色に染め、背が高く細身で小顔。モデル体型だから、紺ギャバ、カーゴパンツの作業服がなにやらおしゃれに見える。雑談30分余り。ほっそりとした指先のネイルアートを誉めたら「今日はセブンティーン(Kポップのグループ)のライブに行くので、気合、入れました」とちょっと照れた顔で笑った。がぜん、冷蔵庫で働いている姿を見たくなった。
有明側から豊洲市場を見ると、真っ先に目に飛び込んでくるのが、ホウスイという文字をかかげたビルだ。ホウスイは、豊海や厚木、大井などにも冷蔵冷凍庫を持っており、豊洲市場のこのビルが本社となる。ビルの大半は冷蔵・冷凍庫で収容能力は23,823トンほど。超低温と呼ぶ冷凍マグロのためのマイナス60度、生食用のエビやウニに向くマイナス35度、通常の冷凍品はマイナス25度と、保管物に合わせてさまざまな温度帯の保管庫を用意しており、豊洲市場の冷凍・冷蔵物流のキープレーヤーである。
下間さんの持ち場は1階のフロアと呼ばれる場所だ。体育館ほどの広さで、一面は卸売り場に直結、もう一面のシャッターを開けるとコンテナと直結できる。奥には荷物を上階に運ぶ大きなリフター(エレベーター)が4台ある。
冷蔵、冷凍庫業とは、商社や卸会社、産地の荷主などから荷を預かり、必要な時に必要な分だけ出庫するのが仕事であり、このフロアは、入庫出庫の司令塔に当たる。
朝9時、競りが終わり、卸会社の検品が終わるころ、フロアは忙しくなる。卸会社からの荷物がターレで次々に運び込まれてくるのだ。チリメンジャコ、かば焼き、シーフードミックスとさまざまな商品の箱がうずたかく積まれる。
箱に囲まれるようにして、下間さんがいた。手にはタブレット。箱の中身や数を確認、タブレットに結果を打ち込んでいる。在庫は、WEBで照会できるシステムとなっており、この作業はいわば市場業務のかなめ、打ち損じると大変なことになる。下間さんのタブレットに向かう表情は固く、真剣さが伝わってくる。
確認作業が終わると、荷役さんがバーコードを記した用紙をラベラーで箱に貼っていく。終わると、フォークリフトがやってきて、箱はリフターへ。これも荷役さんの仕事だ。リフターがまたうまくできている。前面にローラー式のコンベアがあり、荷物を置くと重さを感知、運ぶ回数さえ入力すれば、荷物はローラーを転がりリフターへ、そして所定の階へ運ばれるのだ。見事なまでに自動化されている。
「築地時代と比べると、格段に作業環境がよくなりました」とは、豊洲冷蔵庫の現場を統括する鈴木正則所長。
「あの頃は、フォークリフトが走るスペースがないから台車で運ぶ。トラックからの積み下ろしも手作業。なにからなにまで人海戦術ですよ。昭和のまんま、時が止まったような造りでした」
豊洲へ移転するに当たっては、メーカーとともに、自動化へ向けてのプログラム作りに長い時間をかけたという。
「フロアで働く社員は10名ほどで、出入庫のチェック検品が仕事。荷物を動かす荷役は業務委託しており、28人ほど。荷役作業にしても、フォークリフトはレバー操作ですから、女性の担当者もいます」
下間さんのネイルアート。冷蔵庫の仕事には、およそ不似合いと思っていたが、現状の仕事なら、何の支障もない。むしろお気に入りのネールでタブレットを操作するのは、女子にとって気分があがる大切な要素かも。男性には、きっとわからないだろうけど(笑い)。
下間さんが通った男鹿高校の海洋科は、水産業について幅広く学べることで有名だ。航海や漁業についての実践的な授業も多く、下間さんは学生時代に潜水士の資格もとっている。
「潜水士で、と思ったこともあるけど、東京に出たかったんです、ライブとか行くのも楽だし」ということで、ホウスイを選んだ。
「でも、冷蔵庫の仕事、イメージできなくて。新入社員20名のうち営業が10名。女子はわたし一人だったから、ヤバいかも、とちょっと思ったけど」
あれから6年。現在の肩書は、豊洲冷蔵庫営業課主任だ。
「電話の応対とか苦手なので、事務職よりこの現場仕事のほうがあっているみたい」
下間さんの言葉には、過酷な現場に飛び込むという気負いはまったくない。現場か事務か、適性を考えたら現場であった、ということに過ぎない。男でも過酷な現場、というのは、もはや昔話。今年も一人、下間さんの後輩に当たる女子が加わった。
(第6回へつづく)