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水産振興コラム
20245
日本の浜を元気に! - フィッシャーマン・ジャパンの挑戦

第2回 対談(その2)—フィッシャーマン・ジャパンの誕生—

阿部 勝太
一般社団法人フィッシャーマン・ジャパン代表理事

長谷川 琢也
一般社団法人フィッシャーマン・ジャパン Co-Founder

津田 祐樹
株式会社フィッシャーマン・ジャパン・マーケティング 代表取締役社長

聞き手 長谷 成人
(一財)東京水産振興会理事 / 海洋水産技術協議会代表・議長

復旧復興の過程で考えたこと、今考えていること

長谷第1回では、皆さんのことをいろいろと教えていただき、ありがとうございました。

それでは次に、復旧復興の過程で皆さんは何を考え、それがフィッシャーマン・ジャパン(以下FJ)の活動にどう結び付いていき、現在はどんなことを感じているのかについてお話を聞かせください。

水産行政の立場で復旧復興に関わってきた私の関心事としては、協業化について、東日本大震災を契機として新しい形をつくっていくことも考えて、支援の仕組みを作りました。けれども、実際に協業がどれだけ残っているかというと、その割合はとても低い。いつかは起きてしまう被災時にスピーディーな対応ができるよう、事前に漁業や水産の復旧復興の在り方をしっかり考えておいた方がよいという問題意識があり、皆さんの考えを聞かせてください。

また、漁協との関係についても教えてください。現在、多くの漁協系統では、残念ながら指導事業や漁政部門が特に弱体化しているように思います。漁協についても今後の在り方を考えていく必要があります。FJをはじめ各地でいろいろな動きが出てきていて、そうしたさまざまな活動主体と漁協とがうまく協力し補完し合うような関係や仕組みが考えられないのかなと思います。

まずは阿部さん、津波で漁船などが流失したということで復旧・復興事業は何か利用されたのでしょうか?

阿部:はい。漁船や加工場、あとは漁場施設で利用させてもらいました。

長谷:漁船はリースですか?

阿部:うちに関しては共同利用漁船等復旧支援対策事業を利用しました。他もほとんどリースでした。何年か後に自分のものになるみたいな。

地方銀行の融資は難しく、近代化資金1に頼るしかなかったので、すごく助かりました。むしろあれが無ければ多分ほとんどの漁師は何もできなかっただろうなって思います。

当初はうちも含めて3漁家でグループ化しようとしたら、後継者のいない高齢者の漁家から廃業の相談を受けて、だったら一緒にやろうと、「浜人」に参加する漁家は増えていきました。でも先ほどおっしゃったとおり、残っているグループ、生産組合はほとんどありません。生業はもう個人経営に戻ってしまっていて、名前だけが残っているグループもあります。もしかしたら協業体で事業継続しているのは三陸ではうちだけかもしれません。

1 漁業近代化資金 漁協系統資金(漁協貯金等)を原資とした設備資金の円滑な融資を図るため、漁協系統融資機関(漁協や農林中央金庫等)が行う漁業者等を対象とした長期・低利子の融資に対して、国や都道府県が当該融資機関に利子補給を行う制度。1969(昭和44)年施行の「漁業近代化資金融通法」を根拠法とした制度資金で、融資による漁船や漁具、養殖施設等の取得等を通じ、漁業者等の資本整備の高度化と経営の近代化に資することを目的とする。

「浜人」
「浜人」

長谷:少ないですよね。

阿部:だいぶ減りました。

グループ化して最初の1年半ぐらいは親父たちに運営を任せていたら、一緒に漁協に出荷するだけで、大赤字になってしまいました。設備部分での当初の借り入れ1億円に、2年近くの運転資金の借り入れもあり、合わせて借入金2億円。このままでは破綻するしかなく、それで僕が経営を引き継ぎ、返済を中心として自分なりに事業計画を立てました。

長谷川:なぜ「浜人」の協業がうまくいっているのか、という考えもお伝えしたらいいんじゃない。

津田:彼のリーダーシップも大きいですよ。

阿部:協業がうまくいっている理由はとにかく収益です。メンバーが協業化のメリットを感じなくなったら、やがて解散して個人経営に戻っていきます。何事もきちんと収益性を確保していかないと、続かないです。

6次化も同じです。当時はいろいろな人が来て、漁師が直接加工も販売もして収益を上げましょうと言って、漁師も都会の商談会に参加したり、経費をかけて包装やシールを作ったりといろいろ取り組みましたが、今も続いているのは3分の1くらいじゃないでしょうか。結局、収益性がきちんと担保されていないと6次化も続かない。

水産業や漁師が生き残っていくためには、収益性をどれだけ高められるかにかかっています。もちろん、育てることの楽しさとか、自分が作ったものを美味しいと言ってもらえた時の嬉しさとか、いろいろとありますが、まずはお金を稼ぐことが一番で、他のやりがいはその次に来るのかなと思います。

長谷川:津田さんも言っていましたが、阿部さんのすごいところは経営のポイントをきちんと押さえていて、さらに組織論も把握しているんです。彼は最初、営業で契約を取ってきたら、その後の商品対応は現場に任せていました。けれども、クレームや返品がたくさん来てしまったので、途中で営業活動は抑えて、現場の役割分担や組織体制、福利厚生も含めて見直したのです。

阿部:12年経った今、「浜人」だけではなく、十三浜全体を見ても現場のマンパワーが急激に落ち始めているので、次のステップが必要となっています。後継者を確保していくというところにFJの存在意義があるのかなと思っています。

そうした問題は三陸だけではなくて、おそらく5年後、10年後に全国の漁村で起こってきます。高齢の漁業者が引退して漁場は空いてくる。でもその後継者である浜の若者たちは父親の代に比べ、明らかに労働時間に対する観念、価値観が違います。もちろんよく働く子もいますが、労働時間が短くなる分、水揚げも減るので、息子1人ではなかなか経営が難しい。そうなった時に、経営能力のあるリーダーがそうした若い漁師を社員やメンバーとして、株式会社でも生産組合でも一緒に働いてもらうという仕組みも可能性があります。「浜人」はその先駆けでしょうね。

長谷:私が5年前に漁業法改正を担当した時の問題意識もまさにそのようなことでした。もちろん従来の漁家単位で継続してやっていけるならばそれは守るけれども、現実問題として漁場は空いてきているし、これからさらに空いていく中でいかに生産や地域の雇用を維持していくのか。現にまじめに頑張っている漁業者は守りつつということで進めましたが、重要な課題です。

震災時、私は沿岸沖合課長で、漁船があれば水揚げが再開して水産業は動き出すと言われて、進めていきました。でも養殖業は収穫まで年月がかかって当面稼げないから大変だということで「がんばる養殖」につながっていきました。

阿部:うちも最初は「がんばる養殖」に頼ろうと思ったんですけど、いろいろあり、融資を受けることになりました。共販でも市場取引でも、入札価格やせり値が生産者にとって満足なものであったならば、漁師も農家も直販や6次化なんてことをする必要はありません。でも、自分たちで売っていかないと、10年で借金は返済できないし、僕のサラリーマン時代の年収を上回ることもできない。特に借金は大きいです。

長谷:それは震災後どれぐらいの時期のことでしょうか。

阿部:最初の2年間ぐらいですね。「がんばる漁業」の他、当時のがれき撤去の事業も日銭が入るので、漁師は相当助かりました。あれが無ければ漁業の復旧は下手をすると1年以上遅れていたと今でも思っています。みんな生活のために土建作業の出稼ぎに行っていましたが、漁場復旧の作業にお金が出るとなった瞬間、みんな浜に戻ってきて、そこから一気に復旧が進みました。

ただ、デメリットもありました。どう仕事をしても同じお金が入るので、さぼりがちな漁師もいるという話をあちこちで聞きました。これはすごく難しい問題ですが、これから大きな災害が起きたときに、同じような仕組みがないと復旧が大変だろうなと思います。

長谷:東日本大震災の場合は、被災地が漁業地帯なので漁業に焦点が当たりました。東南海地震など、災害の規模も損失も残念ながらより大きくなると予想されるから、即応できるようにしておかないといけない。

阿部:最近ですと、ALPS処理水の排出問題。いろいろな意見や要望があると思うのですけど、リミットはカチッと決めるべきです。もちろん実害を被る業者さんは補償に頼るべきだと思います。中国輸出にかなりウェイトを置いてきたホタテやアワビ、ナマコの生産者には明確な実害があります。

こうした問題は僕らがどうこう言うよりも、やはり国の行政の方々によく考えていただかないといけない。ただ現場の実態を見るとメリット、デメリットが出てきてしまいます。

長谷:一般の人たちに誤解を与えるようなことを防がないと、結局アンチ漁業の人を増やしてしまうことになり、それはすごくよくないことです。

津田:水産業自体の弱体化も心配です。大震災以降もコロナ禍でものが売れないとか、ロシアのウクライナ侵攻で輸入原料が値上がりしたとか、ALPS処理水放出といった問題があり、多くの漁業・水産業関係者が大変な苦労をされている。けれどもその度に国や自治体に補助金をお願いしていたら、補助金依存の弱い経営体質になってしまいます。それはゆくゆく、漁業や水産業全体の弱体化につながってしまう。

阿部:長い目で見ると衰退していきますよね。

津田:労働力も問題です。今は、東南アジアや南アジアの若者たちが自国で働くよりも収入が良いからと、技能実習生として日本に来てくれていますが、そうした国々がやがて経済発展してGDPが上がっていったら、どうでしょうか。外国人労働力に依存する産業はどんどん追い込まれてしまう。

日本はこれから先、人口が確実に減っていくことが明らかで、水産業だけ産業人口を維持するのは無理でしょう。だからこそ、今のうちに協業化をして強い経営体を育てなければならない。

例えば隣町の女川町は20年後、30年後の推計人口に合わせたコンパクトシティ化を進めていて、人口規模に合った行政サービスを提供しようとしている。同じように水産業でも、コンパクト化が必要です。これからは協業化やM&Aなどを条件にして財務体制がしっかりしたところにしか補助を出さない、という形にしていかないといけないと思います。

長谷:この補助金を使うなら協業化が要件です、としてきたんだけれど、行政から言われて形式的に協業化するだけだから、うまくいっていないところが多くなってしまう。

阿部:補助を受ける以上はある程度の線引きが必要かと思います。緊急時の補助金については期間を定めて、その範囲でスタートアップ、再建を支援する。しかし、一定の期間以降は自立してください、とするしかない。

あと、緊急時だけではなく、何か新しいことにチャレンジするという経営体には、しっかりとした計画を条件に、支援の仕組みがあったらよいと思います。

長谷:「もうかる漁業」から「がんばる漁業」が出来て、新しい取り組みをするところを認定して応援するという発想は阿部さんがおっしゃる通りの仕組みです。でも、そのせいで必要性が薄い過重な装備を付けてしまうといった問題もあります。

震災以降も次から次へといろいろなことが起こり、その度に補助金などの支援策を手当してきたけれど、やはり補助金依存から脱却していく方向性は忘れてはいけない。

津田:協業を進める上で重要だなと思うのが、経営整理のための第三者機関です。

地域の水産業を維持するために補助金などで支援してほしいという要請が自治体や国に対していつも出てきます。そうではなくて、第三者機関が債務や経営の整理をするような仕組みがあれば、破産以外の方法で継続困難な経営体の退出を促せるし、残った経営体で協業化をすれば利益も上がるはずです。自治体としても納税額が増えるかもしれない。そろそろそういう社会の仕組みを変えていく準備を始めていくべきです。

石巻は日本有数の水揚げ地とされていて、水揚高は200億円。末端まで含めると600億円くらいです。石巻の魚市場を中心とした経済圏として、究極の形としてオール石巻水産みたいな、600億円の水産業を経営する1つの経営体ができてもいいんじゃないかな。

阿部:漁業法改正も必要でしたよね。僕らは最初から賛成派で、漁業が存続できて働く場所さえきちんと確保できるのなら、企業参入でも構わない。

長谷:あくまで順番がありますっていう考え方ですけどね。地元で責任をもって頑張っている沿岸漁業者は当然、一番に尊重されます。

阿部:もちろんそうです。ただ、地域全体の10年先や20年先を見据えると、これからいろいろな問題が続出してくることは予想し得るので、問題が起きてから考えましょうという立場と、今のうちから準備しておきましょうという立場では、大きな違いがあります。

この5~6年間にいろいろな人と話をする中で、最終原料を持っている人間が一番強くなる時代が来るとずっと言っています。多分漁師は、これからブランディングとか必要なくなって、自然に高く売れるようになる。でも、漁業者の収入は水揚量×単価という掛け算の結果ですから、値が高くても数量が少ないと漁業者も儲からないし、買えない業者はつぶれてしまう。結局、誰もハッピーじゃない。

一番ハッピーな形は、やはりいっぱい獲れること。豊漁だと単価は上がらないですけど、結局掛け算ですから、豊漁のほうが漁師は儲かるんですよ。ですので、養殖ではどう収穫を増やしていくか、種苗や養殖技術の課題ももちろんありますが、人材確保も大切で、これらをみんなで考えていかないといけない。

ここ十三浜だと、先ほども言いましたけど、息子が後を継いだとしても、息子1人では難しい。なので、今、そういう若者に、「浜人」で一緒にやろうと誘っています。

長谷:今の支所の中のルールでは、漁師の人数が減ったら、その分の縄の本数とか漁場配分はどうなりますか?

阿部:十三浜に関しては、昔だと制限が20本でしたが、漁場の空きに応じて1人当たりの割り当ては50本とか55本まで増えています。ただ、増えたとしても利用し切れない。

長谷川:マンパワーが足りないのね。

長谷:海苔養殖でも同じような話を聞きます。

阿部:そのうちに、十三浜とか、石巻とかそれぞれの土地に見合った水産マーケットの中で、適正人数も決まってくるでしょう。それぞれの浜が今のうちから動いていかなくては。津田さんが言われた女川のように、今55人ぐらいいる十三浜が30人になった時の産業のつくり方や、浜としての在り方みたいなものを作っていかないと駄目です。

長谷川:自分がよく言っているのはサスティナビリティー・トランスフォーメーション(以下、SX)で、いかに持続可能な変革をしていくべきかについて、世界の名だたる企業が考えている。それは原料、地球環境、人権とかいろいろな側面がありますけれど、漁師や水産業こそ考えなくては駄目だと話しています。

この2人からは数字が見えるんです。何年後はこのようになりそう、人口もこう減るし、水揚げもこれくらい減るだろうとか。もっと漁業者は経営を学ぶべきだとかいろんな話が出るんですけど、足し算と引き算と掛け算と割り算で大丈夫なんです。

漁協に期待されている役割も大きい。そして漁師にももっとやれることがある。そのためには考え方の変革をしなきゃいけないし、視野を広げたほうがいい。仲間を増やす意味でも、金融とか、いろいろな分野の方と意見交換をしたり、人材交流をしていけば楽しいし、稼げるようになる。

長谷:漁協は積極的に外部の団体、人材とつながって関係をつくる、取り込んでいこうというマインドを持つだけでも変わってくる。

長谷川:以前、行政の方から漁業者の人材育成が大切だと話があり、支所長さんも一緒にやろうと言ってくれたのでFJで担い手育成事業を始めました。

漁協自ら人材育成ができるようになれば、人件費も賄えるようになるかもしれないし新規事業にもなるかもしれない。輸出も同じで、漁協の若い職員にとっては新しい仕事へのチャレンジになるし、売り上げを伸ばすチャンスにもなるかもしれない。漁協にはもっとできる可能性があって、俺らが漁協だったらとうらやましく思うこともあるんですよ。金融も販売も持っていて、権利もあり、何でもできる。いつかFJがなくなっても、漁協の皆さんがすごく輝く仕事人になっていればいいなと思っています。

阿部:われわれが必要なくなるのが本当のゴールなんです。

津田:僕らはソーシャルベンチャーで、社会課題の解決のために存在しているベンチャー企業なので、自らゴーイング・コンサーン(※事業を継続していくという前提)を言っちゃ駄目なんです。それではずっと社会課題があり続ける、いつまで経っても解決しないということになるので。だから、もうFJがいなくても大丈夫だ、自分たちでできるって状態になったら、晴れてわれわれはまた違う課題を見つけて飛び立っていく。

阿部:それが理想です。できれば、漁協がやりがいのある職場になって、あとは職員の待遇改善もですね。びっくりするぐらい安いですから。

長谷川:組織マネジメントをマジでやったら、すごい楽しいと思うけどね。

阿部:漁師もそうですが、漁協にしろ市場にしろ、水産に携わるどこの産業も同じなんです。結局お金とやりがいが付いて来ないから人が集まらない。でもそうした食産業のマーケット自体は全部足すととんでもない大きさですよね。自動車産業以上じゃないですか。

長谷川:だって食わないと死んじゃうからさ。無くならない産業だよ。

阿部:そう、無くならない。それで、食産業の間にある壁のようなものを取り除きたいなとずっと思っていて、スーパーの人であれ市場の人であれ、とにかく対話をしてきました。例えば水産業の社会的課題とか、取引を通じて産地を育てましょうだとか、浜の未来を一緒に創っていきましょうとか、いろいろと腹を割って話します。

僕たちの最終ゴールがお客様に商品を喜んでもらうこととか、お客さまがこの価格でも買っていいよという価値を感じてもらうことであるならば、僕たちとお客様の間にはいくつもの業種、業者がいて、今まで日本の食産業はそれぞれが分散して戦ってきた。だから僕が考えているのは、こうした食産業間の壁を突破して、1次から3次までの合同チームをつくったほうがもっとよくなるんじゃないかということです。

漁協や加工業者、卸売業者などが役割分担をして、商品の販売先も飲食店やホテル、スーパーなどいろいろあるけれど、結局は元の原料がないとどれも商売が成り立たなくなるということは明白です。今、円安もあり海外原料の価格は高騰していて、いつまでも頼れるわけでもない。僕らにとっても資材価格が上がってダメージが大きいですが、日本の食産業全体を見ると、かえって気付きの機会をもらったなとも思っています。

子どもたちに美味しいものを食べてもらう日をつくりましょうということで、産直給食という名前で学校給食の卸もしています。だからよい商品を出すし、値段も高い。年度始めの4月は受注が多いんですが、12月になると学校からの発注量が如実に減ってきます。

給食の年間予算は限られているので、予算がひっ迫してくると、料理の外見はそう見えなくても、食材の質がどんどん悪くなっていくんです。だから子どもたちも、魚が臭いとか美味しくないという正直な反応になり、水産物のイメージも悪くなっていく。

以前、石巻市の学校給食での切り身の予算を聞いた時に、目ん玉が飛び出そうになりました。

長谷川:安すぎて。

阿部:その時は魚の切り身1枚の予算が40円と聞いたんです。自分の子どもが40円の切り身を食べてるのかと思うと悲しくなってきます。でもそれが成り立ってきたのは、海外原料があったからです。ここ最近はその海外原料も値上がりしているので、学校の先生たちも四苦八苦している。

津田:そういう問題も対話や相互理解が必要だと思っていて、なぜ給食費の値上げをしなければならないか、ということをよく理解してもらうことが大切です。

阿部:そう。給食の実情が分かれば、もう1万円出すから子供たちにまともな切り身を食わせてけろって思う。

津田:値上げをされたら家計がとても苦しくなるという家庭には給食代が免除される制度もあります。給食の問題は環境教育や食育にも通じることなので、授業に取りいれるとか、保護者に対しても学校給食の実情をPTAの集まりなどで訴えれば、反対する親なんて出てこないと思う。

長谷:食材、原料ということで盛り上がりましたね。

次に人材育成について、2015年以降FJによって新しい漁師が185人誕生したという資料を読んだのですけど、宮城を飛び出して、いろいろなところで活躍している。

長谷川:その180数名は、うちと、ライトハウスという業務提携先の会社との合算値です。うちは基本的に、行政と漁協と地元の漁師とが協力してよいチームをつくろうという気持ちがないと手伝いません。ですから、視察に来てもらったり、逆にこちらから出かけたりして、うまくチームができそうであれば受けることにしています。

長谷:条件をクリアすれば受け入れるのですね。

長谷川:そうです。漁師になりたいって来る子は、その意思を尊重して、なるべく引き受けて、その子の育成も含めて、ちゃんと行政、漁協のチームでやれそうな所に送り込むという活動をしています。ただ、「他に仕事が無いので」といった曖昧な動機で来るような子は断ることもあります。

FJは単純労働力の募集はしないと言っているんですけど、ただ一方では、人がいなくて本当に操業が回らなくなってしまうような漁業現場もあります。今日の地域や漁業を守るために、人が必要なところにはなるべく効率的に入れるようにしなければいけないので、募集する漁師や漁業種などに応じてやり方を変えています。

また、ただ受け入れるだけではなくて、その後の教育もしています。新しく漁師になろうとする子は若いから吸収力もあるし、時には勉強は嫌だと言われたりしますが、なるべく勉強会に来てもらって、長谷川さんが先ほど語ったようなSXも教えています。

この地域では1つの漁業種だけで生きていくという従来のやり方ではもう稼げなくなっていて、われわれも心配していたのですが、彼らはそういうことをすでに理解していて、多角経営を目指しているのです。例えば、雇われている親方の漁業が閑散期になったら他の親方を紹介してもらってそこに働きにいくとか、直売も学びたいなどの回答がありました。自然に新しい世代が生まれ始めているようで、希望の光です。

うちの職員もすごく意欲的に取り組んでいて、漁師を増やそうとしてくれているので、このチームでこれからも担い手育成を続けていきたいなと思います。

長谷:これからも期待しています。

長谷川:ありがとうございます。

第3回に続く

プロフィール

阿部 勝太(あべ しょうた)

一般社団法人フィッシャーマン・ジャパン代表理事
宮城県石巻市・十三浜のワカメ漁師で、東日本大震災を機に同じ浜の漁師仲間5世帯で漁業生産組合「浜人(はまんと)」を立ち上げる。その後旧態依然とした水産業の仕組みに疑問を持つ若手漁師や水産業者らに声をかけフィッシャーマン・ジャパンの設立し代表理事の就任。
水産業の仕組み改革、販路拡大、教育、海洋環境保全に取り組むなど、日本の水産業をリードし、国内外で高く評価されている。

長谷川 琢也(はせがわ たくや)

ヤフー株式会社 SR推進統括本部 SDGsメディア「Yahoo! JAPAN SDGs」編集長
一般社団法人フィッシャーマン・ジャパン Co-Founder
1977年3月11日生まれ。自分の誕生日に東日本大震災が起こったことを機に石巻に移住。ヤフー石巻復興ベースを立ち上げたのち「復興デパートメント(現エールマーケット)」を立ち上げ、地域の農作物や海産物、伝統工芸品をネットで販売。漁業の革新を目指し、フィッシャーマン・ジャパンを共同設立し、漁業活性化に貢献。
2021年には脱炭素事業推進プロジェクトと「Yahoo! JAPAN SDGs」の編集長を務めるなど、地域の持続可能な発展に尽力している。

津田 祐樹(つだ ゆうき)

株式会社フィッシャーマン・ジャパン・マーケティング 代表取締役社長
宮城県石巻市出身のグロービス経営大学院卒業生。石巻魚市場の仲買を経て、東日本大震災の被害を受けて2014年にフィッシャーマン・ジャパンに参画。2016年には販売部門を株式会社フィッシャーマン・ジャパン・マーケティングとして分社化し、代表に就任。国内外の販路拡大、飲食事業、コンサルティング、政策提言、海洋環境保全活動を推進し、日本の水産業の未来を切り開く。

長谷 成人(はせ しげと)

長谷 成人 (一財)東京水産振興会理事

1957年生まれ。1981年北大水産卒後水産庁入庁。資源管理推進室長、漁業保険管理官、沿岸沖合課長、漁業調整課長、資源管理部審議官、増殖推進部長、次長等を経て2017年長官。2019年退職。この間ロシア、中国、韓国等との漁業交渉で政府代表。INPFC、NPAFC(カナダ)、宮崎県庁等出向。
現在 (一財)東京水産振興会理事、海洋水産技術協議会代表・議長