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水産振興コラム
20225
ブルーカーボンで日本の浜を元気にしたい
第1回 藻場を温室効果ガス吸収源に
堀 正和
国立研究開発法人 水産研究・教育機構
海の森

気候変動は各方面で深刻な影響を及ぼすようになり、水産業界でもさまざまな魚種で不漁が報告されるなど、多大な被害を受けるようになりました。地球温暖化については、その進行を疑う方はもういないでしょう。国連のIPCC第6次報告書でも、「温暖化の原因は人間活動であることは疑う余地がない」と断定するようになりました。国連で取り決められたパリ協定の枠組みが開始され、温暖化を緩和するために世界中で脱炭素社会の取り組みが始まっています。

近頃少しずつですが、テレビや新聞等で「ブルーカーボン」という言葉を見聞きする機会が増えてきました。私はこの「ブルーカーボン」の学術研究に取り組む研究者の一人で、水産分野の研究所に勤務しています。そのような立場から、今回のリレーコラムのトップバッターを仰せつかりました。この「ブルーカーボン」という言葉は、今から10数年前、国連で環境問題を取り扱うUNEP(国連環境計画)を中心に、FAO(国連食糧農業機関)、IOC/UNESCO(政府間海洋学委員会/国連教育科学文化機関)などの国連の各組織が共同で出版した「Blue Carbon Report」という公開報告書ではじめて使われました。

二酸化炭素(CO2)など、温暖化の原因となる温室効果ガスを吸収できる自然の生態系といえば、皆さんは熱帯雨林やシベリアのタイガなど、うっそうとした陸上の森林を思い浮かべると思います。これら陸上の森林と同じように、アマモなどの海草類やホンダワラなどの海藻類が作り出す海中の森、“藻場”も重要なCO2吸収源として機能しています。そのことを初めて公表したのが、この「Blue Carbon Report」です。植物が光合成などの作用で大気から吸収した炭素をグリーンカーボンと呼んでいたことに対し、そのグリーンカーボンの中でも海に取り込まれた炭素を特にブルーカーボンと呼ぶようになりました。森林は木そのものが炭素を貯留する役割をしますが、皆さんご存知のようにアマモや海藻は枯れたり、流出することが多いので、どのように炭素を貯留しているのか、不思議に思われると思います。枯れた葉や海藻は、藻場の中、海底の砂泥にどんどん堆積していきますし、あるいは流出した流れ藻は沖に流され、最終的に深海へ落ちていくこともあります。ブルーカーボンでは、この枯れる・流出するが炭素を貯留するしくみになります。つまり、アマモや海藻そのものが炭素の貯留源ではなく、海底の砂泥に堆積したり、深海に輸送されたりして炭素の貯留庫になるわけです。藻場の砂泥に堆積した炭素は、例えば瀬戸内海のアマモ場では5000年以上貯留されていますし、深海に落ちていった炭素も数千年以上は海面に戻ってくることはないため、森林の木と同じく、炭素を長期間とどめておくことになります。

「ブルーカーボン」という言葉が世に出たのが2009年ですが、実はその少し前から政府主体でブルーカーボンに関する研究が始まっていました。国土交通省は港湾における「ブルーカーボン」の活用を、水産庁では漁場の藻場・干潟における「ブルーカーボン」の活用のため、CO2吸収源の拡大に向けた技術開発を5年の歳月をかけて実施しました。私は水産庁の研究事業のほうで、幸運にも最前線の現場に携わることが出来ました。この時に得られた国交省・水産庁での成果を、書籍「ブルーカーボン」としてまとめています。ただ残念なことに、当時はブルーカーボンの重要性について私達が行政へ上手く伝えられなかったためか、水産庁では「ブルーカーボン」研究から少し遠ざかってしまいました。現在、ブルーカーボンへの社会的ニーズへ対応できる状態にあるのは国交省の方で着実に研究や仕組みづくりを続けて下さったおかげです。このリレーコラムでも紹介してもらう予定ですが、最近では藻場・干潟等のブルーカーボンを活用したカーボン・クレジット制度も始まっています。日本のカーボン・クレジット制度ではJクレジットなどがありますが、ブルーカーボンを対象としたクレジット制度も同様の仕組みで、藻場再生や海藻養殖など、CO2を吸収させるために行った活動で増加したCO2吸収量をクレジット化し、企業などがそのクレジットを利用して自社のCO2排出量を相殺したりすることができます。

カジメの森

では、水産分野でブルーカーボンが浸透しなかったのはなぜなのか、整理してみると至極もっともな2つの理由が浮かび上がってきます。まず1つ目、これは行政的な側面ですが、CO2は食料ではないという点です。水産行政は食料生産という水産業の重要な側面を推進していく必要があります。気候変動の影響が顕在化しつつある時期でしたので、変動する環境へしっかりと対応(適応)しつつ、食料としての魚介類の自給率を上げていくことが優先されます。藻場・干潟を用いた吸収源対策、すなわち気候変動の緩和策よりも大きな問題でした。水産分野は排出源としても他の業界と比較しても大きくないので、結果として維持・再生に資金のかかる藻場・干潟での取り組みは、漁場整備の枠を超えて行うことは困難だったのだと思います。

2つ目の理由、それは漁業で藻場・干潟を扱うのは当たり前のことで、目新しい内容と認識できなかったためです。日本人は古来より海藻類を食用として利用してきた文化を有しています。正確な記録が残っているものでは今から1200年以上も前、律令国家の時代から多くの魚介類と共に、多種多様な海藻類が日本各地から奈良の都に集積され、食料として利用されてきました。現在も私たちが食用として利用しているヒジキ、ワカメや海苔だけでなく、藻場を構成するアラメ・カジメ類やホンダワラ類も含まれています。また、熨斗アワビに代表されますが、藻場を生息場所とする磯根の魚介類が重要な食糧や文化的象徴として利用されてきました。

また、食料だけでなく、藻場は農業にとっても重要な価値のあるものでした。化学肥料が普及する以前、海藻や藻場に集まるイワシなどの小魚は、イネや作物を育てるための重要な肥料でした。地曳網など漁網を使って魚を捕る沿岸漁業は、そのルーツをたどれば農業用の肥料を確保するために始まったと言われています。藻場そのものも、前浜の人々によって入会や区画管理が実施され、計画的に刈り取られて肥料として取引されてきました。近年では水産庁の水産多面的機能発揮対策事業に見られるように、水質浄化や仔稚魚の成育場など、藻場がもつ多くの機能が明らかになり、沿岸の漁場環境保全の観点からも藻場は重要視されています。そのため、藻場を大事に育てることは沿岸漁業の長い歴史から見ても当たり前で、いまさらCO2の吸収などという観点を取り入れる必要はない、との考えがあったと思います。

「ブルーカーボン」は水産業では役に立たないのか、ということではありません。気候変動で生業が衰退するなか、沿岸漁業をサポートする新しい取り組みになって行ってほしいと願っています。脱炭素社会の構築、とりわけ温室効果ガスの排出を差し引きゼロにするために、社会全体として温室効果ガス吸収源の確保が喫緊の課題となりました。ブルーカーボンのクレジット制度の活用により、藻場の維持・再生や海藻養殖の拡大が社会貢献を伴う収入源となる可能性も出てきました。今年3月末に策定された新しい水産基本計画では、浜を活性化させるために、漁業だけでなく、さまざまな海の活動を包括した「海業」の推進が掲げられました。ブルーカーボンという新しいCO2吸収源の構築は、この「海業」の一翼を担っていくかもしれません。あるいは、吸収源を作るために気候変動に強い海藻養殖の拡大によって、「海面養殖業」の新しい波を引き起こせるのかもしれません。このような気候変動の緩和・適応策の実践が漁業者の皆さんとどう関わっていくようになるのか、このリレーコラムでは多方面の事例を紹介しつつ、その将来像を皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

一年生アマモ場

第2回へつづく

プロフィール

堀 正和(ほり まさかず)

堀 正和

2003年北海道大学大学院水産科学研究科博士後期課程修了、博士(水産科学)。日本学術振興会特別研究員(東京大学)を経て、2006年独立行政法人水産総合研究センター研究員。現在、国立研究開発法人水産研究・教育機構 水産資源研究所 社会・生態系システム部 沿岸生態系暖流域グループ長。2021年より、東京海洋大学大学院・海洋生命資源科学専攻 客員教授。