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水産振興コラム
20253
私たちが見つめるのは100年後の農山漁村

第11回 農業の女性からヒントを得てみる

副島 久実
一般社団法人 うみ・ひと・くらしネットワーク 理事

はじめに

うみ・ひと・くらしネットワークは、漁業に関わるたくさんの女性たちに出会ってきました。一方で、今、少しずつ農業の方にもネットワークを広げているところです。

そこで今回は、2024年に発刊された『大阪の農と食を支える女性たち』(大阪農業振興協会ブックレットNo.4)(副島久実・大坊幸著,(一財)大阪農業振興協会,2024年)から3つの事例を転載しながら、農業の女性の活動から、100年後の農山漁村をみつめる際のヒントを得てみたいと思います。

新規就農女性が二人三脚で営む農園
—— 七彩なないろファーム 川崎佑子さん・辻有貴さん(大阪府羽曳野はびきの市)

まずは農業を職業選択の一つとして選び、農業外の世界から飛び込んできた女性たちについてみてみたいと思います。

1. 七彩ファームの概要

七彩ファームは大阪府羽曳野市で農業に新規参入した川崎佑子さん(1983年生)が2019年に始めた農園です。現在、辻有貴さん(1991年生)を雇用し、二人三脚で農園を営んでいます。女性二人では手が回らない部分は援農ボランティアをうまく集めながら、2024年現在、130aの畑で、いちじく(改植も含め35a)、大阪の南河内で昔から作られている河内(かわち)一寸(いっすん)空豆、大阪の岸和田市で生まれた(あや)(ほまれ)人参など年間15種類を化学農薬や化学肥料を使用せず、育てています。農産物の多くは、個人営業の八百屋や少し高級価格帯の直売所に出荷しています。この農園のコンセプトは「行きつけの畑」。どのようにして、この農園を作ってきたのでしょうか。

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七彩ファームの川崎佑子さんと辻有貴さん

2. 川崎さんと辻さんの出会い

もともと外で体を動かすことが好き、食べることが好き、育てることが好きな川崎さんは、大学は教育学部に進学していました。大学卒業後、塾講師の仕事をしていましたが、自分が本当にやりたいことは何かを見つめ直し、2012年から2年間、農業大学校で学ぶことにしました。そして、2014年の卒業と同時に農園たかはしに5年間、勤めました。

一方の辻さんは、もともと果樹農家をしていた祖父母をみて、農業もいいなと思いつつも、大好きな祖母が歳をとるにつれて食べ物が食べづらくなる様子を目の当たりにし、管理栄養士となることを決意。大学で管理栄養士の資格を取り、高齢者施設で働いていました。献立を考えたり、食材を発注したりと楽しく仕事をしていましたが、30歳を目前にして、このまま農業に触れずに生きていってもいいのかと心がモヤモヤし、思い切って施設を辞め、農業大学校に進学しました。そして、辻さんが農業大学校1年生の時の実習で訪問することになったのが、川崎さんが当時働いていた農園たかはしです。

実習は一週間。お互いの印象はとてもインパクトがあったようです。既に農大生の中で、「すごい女性がいる」と川崎さんのことが噂になっていました。初めて辻さんが川崎さんに会った時、「60歳近い社長が30歳半ばの川崎さんに意見を求めていて、絶大なる信用を得ているバリバリの人だ」と思ったそうです。川崎さんは実習生に色々なことを学ばせようと、様々なことを教えてくれたり、作業させてくれたりして、本当に充実した実習にしてくれたと辻さんはいいます。一方の川崎さんも、わからなかったことは次の日には調べて伝えてくれるという辻さんの学ぶ姿勢をみて、「この子は学校の成績も優秀なんだろうなということはすぐにわかった」といいます。

また、その頃、川崎さんは農業で独立を目指し、辻さんは農業大学校での学びを通じて、自分は経営するよりもコツコツと作業をする雇われの方が向いていると認識し始めていました。2019年に川崎さんは独立。一人で一年目の農園を経営していましたが、一人だととにかく仕事が楽しくありません。そんな時、農大2年生の辻さんに「いっぱい働かせてしまうし、給料もたくさんは払えないけど、それでも良かったら、卒業後、自分の農園で一緒に働かない?」と声をかけました。辻さんは「新規就農者が2年目から人を雇えるまでになるのは本当にすごい!」と驚きと尊敬の念をあらためて抱き、冒険のようなワクワク感もあり、一緒に働くことを決めました。

3. 二人で作り上げてきた農園

川崎さんが最初からイメージを作っていた「色々な人やモノが集まる農園」というコンセプト。農園を二人だけのものにせず、みんなの場所にしたい、みんな行きつけの病院があるように、「行きつけの畑」があってもいいはず。そうすればきっと地域も明るくなる。二人は、その目標に向かって、一緒にアイディアを出し合い、多くのイベントを企画・開催したり、援農ボランティアを集める取り組みを行ってきました。

この農園の特色の一つである援農ボランティアは、SNSやホームページや口コミで募集をかけています。基本的に日曜日以外の8時~17時まで毎日畑作業をしているため、援農ボランティアにも、その人たちのための特別なプログラムを組むのではなく、その日来てもらった時にもともと自分たちがする予定の作業を手伝ってもらっています。年に1回、月に1回、半日だけ、1日中、2時間だけなど、援農ボランティアが行きたい時にその人たちの都合の良いように手伝えば良いスタイルです。こうして集まってきた援農ボランティアは、1日あたり多くて3~4人、2021年はのべ150人が作業に参加しました。

こうした援農ボランティアをどうやって増やしたら良いか、どうやったら定期的に来てもらえるかを考えてやり始めたのが、農園や二人の人となりを伝えることで、農園に来てもらいやすくしようと、農園のインスタに週一でアップする漫画です。川崎さんのことをいじりつつ、農園の楽しいところ、しんどいところも含めて農園の一コマを辻さんが漫画に描いています。

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辻さんの漫画

人々を惹きつけるキャッチコピー「行きつけの畑」を考えたのも辻さんです。羽曳野の農家グループ「煮込み会」の名付け親も辻さんです。色々な具が寄せ集まって煮込むといい味がでる煮込みをイメージしました。大まかな方向性を考え、それを文章や言葉で伝えるのは川崎さん、それをどう魅せるかと表現するのが辻さんと上手く役割を担っています。

4. 農園のこれから

とにかく働きづめの二人。今は寝れば疲れもとれますが、5年後、10年後もこの仕事量をこなせていけるかどうかはとても心配しています。そのため、売上も伸ばしつつ、働く時間を今よりも減らすにはどうしたら良いか、二人でじっくり話し合う時期に来ているといいます。どの部分に機械を入れれば良いか。良いものを作れば、出荷調整に割く時間を減らせます。そのためにはどのように作業をしやすい圃場とするか等、具体的に二人で考えているところです。一緒に考えて、言語化して、確実にできることを一つ一つやり、それを検証していく予定です。辻さんはいつかは加工部門を作りたいと考え、少しずつ動き出しています。

七彩ファームが目指す農業は、人を巻き込みながら、「おもしろいか」「意義があるか」「金になるかどうか」を常に検証し、農業経営を継続していくこと。小規模漁業が多数を占める日本の漁業・漁村にたくさんの示唆を与えてくれる女性たちです。

100年先に、おいしいをつなぐ
—— (株)MALU 縣紀子さん(大阪府貝塚市)

大阪は典型的な都市農業の地域です。農地は小規模で点在しており、家族経営が中心です。そのような中、100年先においしいをつなぐために、体験農園やおばんざい屋などを通して「まちなかの小さな畑の価値を再定義」しようと奔走する女性を紹介します。

1. 自分が働く意味を探してきた

(あがた)紀子さん(1987年生)は、生まれも育ちも貝塚市。実家は、6代続く葉物を中心とした専業農家です。現在はお兄さんが経営主となり、両親と一緒に、ホウレンソウ、コマツナ、春菊、枝豆、とうもろこしなどを生産しています。

写真3
MALUの縣紀子さん

縣さん自身は、お兄さんがいたこともあり、あまり農業に関わらずに育ち、大学卒業後は、中学の数学教師をしていました。8年間中学校を務めた後、不動産会社の事務職として働いたり、実家の農業も手伝ったりしながら、ある時、家で白い丸いパンを焼きました。それをきっかけに、パン作りにはまった縣さんは、あるパン屋が書いた本を読み、「このお店で働きたい!」と早速、オーナーに連絡をとり、大阪から東京へ引っ越し、東京のそのパン屋で働くことにしました。パン屋で製造を中心に忙しく働いた時、あまりにも忙しく働いていたため、知り合いから「あなたはパン職人になりたいの?」と聞かれ、「いいえ、私は経営者になりたいです」と咄嗟に答えていた縣さん。その時、「そうか、私は経営者になりたかったのか」と自分自身で気がつきました。そして、もし自分が経営者になるとすれば、どのような店をやりたいかと考えるようになり、野菜をPRする場所をもったパン屋をやりたいとイメージを作っていきました。そして、その時また気づきます。「私、あんまり野菜のことを知らない・・・」。では、野菜を知るにはどうしたら良いかと考えた時に、「八百屋だ!」と気づいた縣さんは、すぐに八百屋情報を集めます。その中で、東京都心に複数店舗展開し、農家も気持ちよく働けるような流通の仕組みをつくっていくことが都心の八百屋の責任だと考えるユニークな青果店を見つけ、すぐに連絡を入れ、働くことになりました。

その青果店のキャッチフレーズは、「新鮮、美味しい、適正価格」。縣さんは、この八百屋で、生産者も小売店もお客さんにとってもハッピーになれる価格があるということ、そしてそうした価格を創り出すのは八百屋だということを学びました。例えば、今日入荷してきたピーマンは、どの大きさの、どの形の袋に入れるのがよいか。その袋に入れる量はどれぐらいが良いか。店内のどの場所に、どのように並べれば良いか。季節だけでなく、その日の気温、天気、時間帯によっても並べる野菜の場所や順番なども入れ替える。また、もしこの野菜を100円で安売りすれば売れるかもしれないが、生産者は困る。だから150円で売りたい。そのためには、「これね、昨日食べたらめちゃくちゃおいしかったんですよ」と店員が一言添えたら売れる、ポップにお客さんが買おうと思えるような一言を添えたら売れる。このように販売という仕事は、その野菜の価値をちょっとでも高める役割をもっているのだということを学びました。

こうした工夫を考えることがとても楽しかったそうですが、2019年に、ふいに東京でシェアキッチンを使ってサンドイッチ屋を開業する機会が訪れました。もちろん、サンドイッチの具材には泉州(せんしゅう)地域(縣さんの実家がある貝塚市を含む大阪府の南西部に位置する地域のこと)のタマネギを使い、それは大人気商品となりました。その時には前々から考えていたMALUという名前を自分のお店につけました。2020年には東京の荒川区で自分の店を持てる機会がめぐってきました。この時からパン屋と泉州地域の野菜を売るお店をスタートさせました。また、OEMで作ったものを卸す卸業も始めたため、MALUを株式会社化しました。お店のオープンから1年もすると、イベントで出店した時には長蛇の列ができるほどの人気店となりました。

そのような中、大阪に帰るたびに、畑がなくなっていく様子を目の当たりにし、これで自分や家族は幸せになるのかと疑問がわいてくるようになりました。私は何をするべきか。私はどんな生き方をしたいのか。それを考えたときにたどり着いた答えが「100年先に、おいしいをつなぐ」というキャッチフレーズでした。これは、自分が道に迷ったときも戻るための道しるべ。そして、2022年に大阪に戻り、会社も移転させました。

2. 100年先に、おいしいをつなぐために

100年先に何をつなぐの?と考えた時に、まず大阪で「おいしい」を作ってみようと考えました。そこでまず取り組んだのが、実家の前にある使っていない畑を「体験農園MALUファーム」としたことです。最初からは誰も体験には来てくれないので、週末に行われる社会人農業スクールに1年間通い、自分だけで畑を始めました。今では畑を単においしいものを作る場所として捉えるのではなく、畑を空間として捉え、その空間全体を楽しんでもらいたいと色々な体験メニューを展開し、近所の人にも公園のように気軽に来てもらえるような畑を目指しています。現在では、MALUファームを会員制度とし、それぞれ作る作物によって、ポテト部、米米クラブ、CLUB PEANUT、スイートポテト部、おにんじん倶楽部というように部活動のような形で活動しています。ちなみに各部活でユニフォームとなるTシャツを作っていますが、そのTシャツのデザインをしたのは先に紹介した七彩ファームの辻さんです。

次に、おいしいをつなぐためにクラウドファンディングに挑戦し、体験農園のことを発信し、体験農園の環境を整えていきました。1か月で支援者約100人集まり、これだけの人たちが自分の取り組みに価値を感じてくれたのだと思っています。

さらに、「おいしい」を作って、その場所で待ってるだけではだめで、「おいしい」を作って届けないといけないと考え、「畑のおたよりセット」という季節の野菜詰め合わせセットをニュースレターとともに、全国に発送しています。

2023年には古民家を利用して「MALU。のえんがわ」というテイクアウトのお総菜屋さんもオープンさせました。地元の野菜をどんな風にして食べるか、実際に味わってもらう機会も必要だと考えたからです。

そして、地域で人材不足に悩んでいる農家と手伝いに行く人をつなぐということもしていますし、貝塚で余っている畑を貸農園にしたり、地域の農家の野菜をMALUがマルシェで販売したりと、地域の農家の困りごとに対応しています。全ては自分とみんなのハッピーのために!

地域の農業をけん引していく
—— めぐみちゃん農園 森川雅恵さん(大阪府八尾市)

最後に、農家に生まれ育ち、農業を継ぎ、地域の農業を牽引してきた女性についてみてみます。

1. 農家の女性後継者として

めぐみちゃん農園の森川雅恵さん(1954年生)は約55aの畑で八尾特産の若ごぼう、枝豆、ジャガイモ、玉ねぎ、サツマイモ、サトイモなどを生産しています。夫がJAを定年退職してからは二人で生産しています。

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森川雅恵さん

実家が代々農家だった雅恵さんは、小さい頃から見よう見まねで祖父母の袋詰めの作業など、幼くてもできることを手伝って過ごしていました。当時はもち米をつくり、その藁で大きなしめ縄をつくって大阪の神社に納めていたこともあったそうです。農業が地域の文化的な役割を担っていることがわかるこうした話も、古くから続く農家ならではのエピソードです。

高校時代は地域の子ども会のキャンプで引率をしたり、勉強を見たりと、地域の中で年代を越えたくさん交流をしてきたそうです。それがいつか評判となり勉強を見ていた生徒が増え、大学生の頃には妹と友人も手伝って、30人くらいの子どもたちに勉強を教えていました。当時はそれがとても楽しく、反対に農業は嫌で、家の作業の手伝いにも全く関わらず、農業をする気はなかったそうです。大学を卒業後、目指していた英語の教師として働きました。

しかし、年老いていく両親の姿を見るうちに森川家の後継ぎとして、農業を継ぐことを決めました。そして30歳を過ぎた頃からは本格的に農業に取り組みました。当時の若妻会(現在のJAのフレッシュミズ)、生活改善グループ(農業の経営や働き方など、知識、技術を研究、情報交換するグループ)に入会し、農業技術だけではなく、経営や農業の振興のために精力的に活動します。そのような中で郷土食の本作りにも関わりました。

本作りで関わった人から「森川さん、これからは宅急便で産直の時代やで」と教えられ、やってみよう!と思い、すぐに近所の仲間に声をかけました。今では当たり前の宅配ですが、当時は周りに始める人はおらず、結局、雅恵さんだけが始めました。

その後、周りでも宅配をする人たちがどんどん増え、今では八尾市内でもたくさんの人が枝豆や若ごぼうを発送しており、今はその様な農業経営が主流になっています。そういった意味では、雅恵さんは八尾の産地直送の先駆者であったといえます。

それからこれはめぐみちゃん農園の名づけのエピソードですが、宅配をはじめた当初のお客さんの中に料理研究家の “土井勝” さん(土井善晴さんの父)がいらっしゃいました。料理教室の材料や土井先生の家庭で食べる野菜を亡くなる直前まで定期的に送っていたそうです。勝さんがまだ元気で、土井家とのお付き合いも盛んだったある日、妻の土井信子さんに、ふと「農園の名前を付けてはどうか?」と言われ、「雅恵の『恵』をとって、『めぐみちゃん農園』がいいわよ」と言われたのをきっかけに、以来 “めぐみちゃん農園” と名前が付いたのだそうです。

さて、当時の農業は男性中心の時代でしたが、雅恵さんは分らないことや相談は臆せずなんでもしていたそうで、「周りは男性ばかりだったけど、みんなとても親切で農業を本格的に始めた頃から色々教えてもらいましたよ」とのこと。女性も相手が男性だからと臆せずに、どんどんと質問や相談をしてみたらいいのかもしれません。

その他、幼稚園児の枝豆収穫や、青少年の収穫体験等、学生の頃の様に変わらず現在も地域と深く係わってきました。

若ごぼうについても、「八尾の若ごぼうは最初の葉が伸びたらいったん全部刈って、次の葉を出荷するんです。だから柔らかくて美味しい。手がかかってる美味しい八尾のもんをみなさんに知って欲しいです。」

以前はシーズンに八尾市、柏原市、藤井寺市、羽曳野市、富田林市、太子町、大阪狭山市、河内長野市のコンビニエンスストアー82店舗で約2週間にわたって「若ごぼうパスタ」「若ごぼうチャーハン・ちらし・おにぎり」「若ごぼうスープ」が販売されたこともあります。

新しい事に積極的に取り組む雅恵さんは、柔らかな物腰の内に驚くほどのバイタリティを持ち地域の農業をけん引していく女性です。

2. 農の匠・農業委員としての現在

雅恵さんは、「農の匠」に認定されています。「農の匠」とは、優れた農業技術・経営はもちろんの事、後継者の育成や地域農業のリーダーとして活躍されている農業者が大阪府知事より認定されるものです。現在、大阪府下の農の匠は94名ですが、うち女性は8名のみです。学生の頃から地域のリーダー的存在として年下の世代と関わってきた、そんなもって生まれた資質の現れなのでしょう。

また、現在は農業委員として農業会議にも出席しています。「農業委員会で会議があっても、新規で土地を借りたい相談は2・3件やけど、売りたい、手放したい案件は10件以上に増えています。毎月農地手放そういう人が借りたい人より多くいます」。それから、農業を続けやすくするためにと行われている区画整理ですが、現状は違い、農業を廃業する人が増えていると感じるそうです。八尾の若ごぼう農家も一時期は溢れるほどいたのに今はすっかり減ってしまっているといいます。また、近年の異常気象なども重なって、住宅地の間の圃場が、ゲリラ豪雨により屋根から落ちる大量の雨水で浸水し、作物に影響が出るなど、栽培や環境に関しての懸念もしています。

女性が農業委員になることの意味合いですが、相談者が女性の場合、やはり女性の農業委員のほうが相談しやすいそうです。また、女性の方が地域や各家庭の事情をよく知っていることも多く、農業委員として判断が求められる際にもそうしたことがとても役立つそうです。地域の中で決め事をしていく際に、男性だけでなく女性も必要なことがよくわかります。

おわりに

今回は、大阪の農業女性4人を紹介しました。農業というフィールドですが、漁業・漁村に通じるキーワードがたくさんありました。その中でも、縣さんがいう「自分たちの「100年先に、おいしいをつなぐ」というキャッチフレーズ。これは、自分が道に迷ったときも戻るための道しるべ」という言葉が特に心に響きます。うみ・ひと・くらしネットワークのキャッチフレーズは「私たちが見つめるのは100年後の農山漁村」。これが私たちにとって、道に迷ったときの道しるべなのだと改めて気づかせてくれました。

連載 第12回 へ続く

プロフィール

副島 久実(そえじま くみ)

副島 久実

大阪府出身。現在、摂南大学農学部食農ビジネス学科准教授。大学では農水産物・食品マーケティング論、女性起業論に加えて、水産物流通論も担当している。この講義を通じて、「水産っておもしろいんだ!」と思ってくれる学生を一人でも増やそうと自称「草の根運動」を実施中。