初夏から夏にかけて福島県いわき市では潜水漁が行われる。いわきではこの漁法を「採鮑漁業」と言う。
採鮑漁業で採るのは、「エゾアワビ」と「キタムラサキウニ」。特に「キタムラサキウニ」は、「うにの貝焼」の加工までを漁家が一貫して行っており、加工風景も含めて夏のいわきの風物詩となっている。
「うにの貝焼」は、ホッキガイの貝殻にウニの身をのせて蒸し焼きにしたもの。独特の香ばしい香りがあり、しっとりふわっとした甘いウニの身がたっぷりのった、贅沢な一品だ。『江名漁業史』(江名町漁業協同組合、昭和37年発行)によると、「徳川末期から」存在していたという。採鮑漁業自体はそれ以前からの歴史がある。
今回は、そんな「うにの貝焼」と採鮑漁業の技術を引き継ぐ漁師である、馬目祐市さんに話を聞いた。そこには、100年続く秘訣があった。


下神白採鮑組合組合長、福島県ウニ・アワビ増殖協議会副会長、いわき市船曳網協議会会長。
(2024年9月現在)
「俺らの仕事は銀行からお金をおろしてくるのと一緒」
馬目さんが漁師になったのは今から44年前。地元の水産高校を卒業後、父の後を継ぎ採鮑漁業に参入した。採鮑漁業が禁漁の期間には、刺し網や船曳網漁業など多様な漁法を組み合わせて生計を立て、典型的な日本の沿岸漁業を営む。
馬目家は祖父の代から漁業をしており、馬目さんは3代目。「長男だから当然継ぐもの」と思い、自然な流れで漁師になったという。
この地域の採鮑漁業は“世襲制”が原則だ。目の前の磯の資源を手入れしながら管理・利用するこの漁は、磯の資源量に対して適正な人数がある。それを、世襲制という仕組みでコントロールしてきたのだろう。一見閉鎖的だが、理にかなった仕組みなのかもしれない。

採鮑漁業は5月に解禁になり、ウニ漁は産卵前の8月上旬まで、アワビ漁は9月まで続く。
法令で決められた期間に加え、ウニやアワビの生態や資源量、海の状況に合わせて漁期を決めている。また、一日一人あたりの漁獲量も制限している。
「大儲けはしないけど、安定しているのがこの漁業の良いところ」と、馬目さんは採鮑漁業のメリットを実感している。

長い禁漁期間にも、稚アワビを放流したり、ウニを餌場に移動したり(これを「移植」という)する。ウニの餌となる海藻を増やす取り組みをし、磯焼け対策にも挑戦してきたという。
「俺らの仕事は銀行からお金をおろしてくるのと一緒だから」と語る馬目さん。日常的に地先の磯を気に掛け、少しの変化にも気づき、対応する。安定の裏には、漁師たちが時間とコストをかけて積み重ねてきたものがあるのだ。
過剰な競争や投資がない分、20代も60代もちゃんと稼ぐことができる。実入りの良いウニや鮑を採れるようになれば、夏の間の採鮑漁業の収入だけで十分食べていける人もいたという。
東日本大震災・原発事故と向き合い

そんなふうに穏やかに海と付き合い、着実に磯を守ってきたいわきの沿岸部にも、東日本大震災の脅威は襲った。
「この世の終わりかと思った」と、当時を振り返る馬目さん。先祖代々手入れをし、利用してきた磯は、津波により壊滅的な状況になったという。アワビやウニは流され、これまで連綿と受け継がれてきた磯の資源はリセットされた。さらに、原発事故の影響で数年間磯に潜ることができず、満足に資源管理をすることができなくなった。放射性物質の水産資源への影響が不明確な中、毎年続けてきた稚アワビ放流も止めざるをえなかった。
採鮑漁業が “試験操業” として再開したのは震災から4年後の2015年。2021年に “通常操業” になり、資源の状況を見ながら操業回数や生産量を少しずつ増やしてきている。馬目さんは、「ここまで戻るとは思わなかった」と振り返る。
一方で、稚アワビの放流は、再開はしたものの放流数が震災前の10分の1程度に留まる。アワビが漁獲サイズになるには5〜6年かかる。海の状況も刻々と変わる中、一度リセットされてしまった磯を、再び漁師たちを養えるほどの資源量に戻すのは並大抵の事ではないのだ。
馬目さんは、「原発事故のことがなければ、もっと伸びしろがあったかもしれない」と悔しさを浮かべる。一度止まってしまった時計を戻すことがいかに大変なことか。「前に進んでいったときに、万が一のことがあったらどうしようと考えてしまう」と、抱えているリスクへの不安も口にする。
次の100年をつくる “今”

震災前、馬目さんが所属する地区では、約40人の漁師が操業をしていた。その漁師たちを養う豊かな地先の磯があったのだ。馬目さんの感覚だと、現状の資源量では10人ぐらいが適正な操業人数だと感じている。「今の形で操業を続けながら、磯の資源を何とか回復させたい。徹底してやっていかなければ元には戻らないと思っている」と、不安の中にも覚悟を感じさせる言葉を漏らす。
「後継者が将来安定して漁業をしていけるように、畜養などの新たな取組みや、消費者の皆さんに「いわきのうにの貝焼」を知ってもらうイベントなどもやってみたい」と、アイデアも話す馬目さん。
ここまで100年以上この漁業をつないできた先人たちも、こんな風に災害を乗り越えようとし、不安と葛藤しながらも、ずっと海のことを考え、安定を取り戻す努力をしてきたのかもしれない。
馬目さんを前に、次の100年も見えた気がした。