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水産振興コラム
20248
私たちが見つめるのは100年後の農山漁村

第4回 海女の素潜り漁から考える漁村の継続

三木 奈都子
一般社団法人 うみ・ひと・くらしネットワーク 会員

海女の素潜り漁

私が水産業界に入るきっかけとなったのは、海女調査である。そこでお世話になった海女たちのことを振り返りながら、連載タイトルになっている「私たちが見つめるのは100年後の農山漁村」、すなわち今後、沿岸漁村が続くのだろうかについて少し考えてみたい。

海に潜って、はじめて水中生物を自分の目の高さで間近で見たときの驚きを思い出す。陸上や船上からは水面としか見えない海のなかに、こんな豊かな世界が広がっていたのかと。いろんな海を潜るうち、自分のように趣味で気まぐれに海に潜るのではなく、仕事として日々海に潜っている人たち、すなわち海女さんたちはどんな風に海の空間と自分の漁労活動や労働をとらえているのだろうか。そんな疑問から海女の陸上生活だけでなく集団で漁に向かう船上での動きや会話、海中の採捕行動と漁獲も含め、海女の追っかけ調査に取り組んだのは1990年前後である。あれから早30年余りが経過した。

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八幡浦地区において、1980年代末のレオタード導入は海女の着衣についての大きな技術革新であった。衣服がひらひらしないため水中の動作がスムースで、かつ、着衣が岩場等に引っかかるリスクを軽減し、また乾きがよいため連日の使用を可能とした(1991年)。
写真2
1990年前後に30代であった海女たちの一部は今も現役で素潜り漁に出ている。
自信にあふれ、レオタード姿もスパッツが柄入りになるなど洗練された(2021年)。

使用できる漁具がシンプルな海女の素潜り漁は、最も原始的な漁業といえる。地域によって異なるが私がフィールドとさせていただいた長崎県壱岐の八幡浦地区では、口開け期間や使用できる道具を制限していることはもちろん、ウエットスーツも着用禁止にしてあえて身体的に厳しい条件を課して、過剰な漁獲を防止し同時に資源を個人の能力に帰するそれぞれの漁獲という形で配分できるように調整してきたといえる。当時既に、労働負荷を低減させ、かつ人数的にも少数で集中的に漁獲できる機械潜水(アクアラング)にして過酷な裸潜り漁を合理化すべきという研究者の声が示されていた。しかしながら、現在も海女は人数が少なくなりながらも素潜り漁が継続され、かつやはり少数ながらも海女という仕事に惹かれて参入する若年者もいる。

海女の着業とお心

写真3
八幡浦地区の海辺にある「はらほげ地蔵」

写真4
干潮時に姿を現す神社の鳥居

八幡浦地区の海女たちは、積極的な職業選択として海女になったというよりは、女性が地元で働くことができる仕事として仕方なく、あるいはそれを当然のものとして海女という仕事をするようになったケースが大半であった。例えば、高度経済成長期に中学を卒業した女性は、いったんは県外の紡績工場に勤務したものの親の健康問題から地元に戻り、海女になった。それでも続けているうちに、海女という仕事が身に染まってやめられなくなっていったという。それは一つには漁獲金額であり、もうひとつは素潜り労働の身体感覚の特質ゆえであると。海女たちは漁獲物のことを「品物(しなもん)」と呼び、「今日は品物がよく見えた」などと表現していた。潮汐と天候の組み合わせによって長ければ1日に7時間もの潜水活動を続ける海女の運動量はすごいものである。当時はまだ単価も資源状態もよく、海底に大アワビを見つければ、岩盤からはがすための息こらえの時間も自然と長くなった。品物が少なければ単なるキツイ労働であるものの、品物が見えてくると欲が出て運動量を忘れる。時化等を理由とした出漁停止日には、海女は品物がどうなっているか気になり始め、また消耗されるはずであったエネルギーを持て余し、ソワソワしてくる。そんな風で口開け期間中、心穏やかな海女のオフ日はそんなに多くはなかった。

漁獲の不確実性があり、かつ海中で生の自然と対峙する海女たちは、リスク対応として毎日の地区内の墓・神社へのお参りや地区外の有名神社等の年中行事的なお参りに示される篤い信仰心、相互扶助的な講の組織などを保持していた。

現在、漁業の多くの分野で新しい技術が導入されて、漁業者の労働負担を軽減させ人手不足をカバーする方向に進んでいる。そのようななかで海女の現状はどうだろうか。想像通りであろうと思うが、海女の数は日本の海女地区や韓国(主に済州島)で確実に減少している1)2)

1) 三重県の鳥羽市立海の博物館と三重大海女研究センターが2022年秋に実施した鳥羽、志摩両市の海女人数の調査結果では、前回調査の2017年比で146人減の514人であった。
海女さん激減で大ピンチ 最高齢は88歳 三重で5年ぶり調査 | 毎日新聞 (mainichi.jp)(2023.1.14)

2) 済州特別自治道議会によると、1970年に1万4,143人だった済州海女は1980年7,804人、1990年6,827人、2000年5,789人、2010年4,995人、2017年3,985人、2023年は3,000人台ながらさらに減少し、かつその約97%が50代以上であるという。
韓国・済州島で減り続ける若い海女…「体力が続く限り、働いて引退する」という小さな願い(KOREA WAVE) - Yahoo!ニュース(2024.2.29)

漁村の特徴と今後

地域が漁村として継続するためには、水産資源の維持が求められる。そのため、漁村では江戸時代から「磯は地付き、沖は入会」等の漁場利用ルールを共有し、基本的にはそのルールを現在まで継続させてきた。すなわち、資源を囲い込み漁獲圧力の抑制のため漁業者数を制限した。その裏返しとして、地域外や漁協組合員外に対する排他性や近隣漁協との対抗性が示されてきた。

地域によって異なるが、漁協の内部では平等主義的な漁獲機会の提供や漁獲物の配分のルールを定めて漁業者間の関係調整を図りつつ、同時に個々の能力が発揮できるようにして漁獲に対するモチベーションの保持も図られてきた。その典型例が上記のウエットスーツの着用を禁止し個々の身体能力がより反映されるようにしている海女の素潜り漁である。

近年、漁業に比べて生産のコントロールが比較的行いやすい養殖の漁獲金額に占める割合が上昇し陸上養殖もしばしば話題に上るようになってきているものの、基本的に水産物は生産をコントロールしにくいという特徴が保持されている。

かつては水産資源の枯渇や変動により地域が必ずしも漁村として継続していないこともあったであろうし、資源がより豊富な漁場に漁業者が移動して生活することも特別なことではなかったようである。船上生活を行う家船の形態もあったし、海女漁村も資源を求めて分村して技術を伝えていった。現在は漁船・漁具の能力の高まりと漁業者の定住化により、船で漁場を広く探索し移動することが当たり前であり、今後については水温上昇の影響が強くなることが容易に想像される。

海女漁はあえて生の労働を残して労働の大変さから全体として漁獲圧力を抑え、かつ身体能力が漁獲に直接反映されることにより漁獲のモチベーションを維持させてきた漁業である。今後、海女の人数や漁獲対象水産物の資源量の減少傾向のなかでルール改変や技術導入がどのように図られていくのか、素潜り漁という原始的な漁業の行方を引き続きみていきたい。

写真5
船出港時の海女さんたち

連載 第5回 へ続く

プロフィール

三木 奈都子(みき なつこ)

三木 奈都子

静岡県の農家出身。全漁連職員や水産大学校水産流通経営学科教員等を経て、現在、水産研究・教育機構理事。水産を取り巻く環境が大きく変化するなかで、お世話になった漁村や水産業界の方々のお顔を思い浮かべながら、何ができるかと考える日々です。