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水産振興コラム
20246
私たちが見つめるのは100年後の農山漁村

第2回 うみひとネットが聴いた震災と漁村

関 いずみ
一般社団法人 うみ・ひと・くらしネットワーク 代表理事

オンラインミーティングでの発信

うみ・ひと・くらしネットワークでは、起業活動や地域活動の実践者である農山漁村の人々と、その活動に共感する人々との情報交換や交流の機会を創り出す、オンラインミーティングを開催している。遠く離れている人とも集まって話がしたい、そんな思いから始まったオンラインミーティングも、昨年度末には34回目を開催した。

これまでのミーティングの中で2回、震災について現場の話を聴くという企画を立てた。一つは東日本大震災から12年目の福島からの発信、もう一つは令和6年能登半島地震から2か月目の報告だ。今回のコラムでは、うみひとネットが聴いた震災と漁村について、2回のミーティングを振り返りながらお伝えする。

『うみひとネットが見た、福島の今』

第23回(2023年2月25日開催)のミーティングは、東日本大震災から12年目を迎えるタイミングで、改めて震災のことをみんなで考えたいという思いから、『うみひとネットが見た、福島の今』を企画した。ミーティングに先立ち、2022年12月に3人のうみひとメンバーが福島県南相馬市鹿島地区を訪ね、賛助会員の松野美紀子さんの声掛けで集まった鹿島地区女性部のメンバーと意見交換会を行った。ミーティング当日は、オンラインで松野さんと対談しながら、12月の訪問の様子なども報告した。

鹿島地区女性部との意見交換会
素材は全て地のもの 鹿島地区女性部さんによる昼食

相馬双葉漁協の支所の一つである鹿島地区は、震災前からシラス、コウナゴ、メロウド、カレイ、ヒラメ、沖タコ(ミズダコ)など、多種多様な魚を獲っていた。女性の漁業参加率は高く、震災前は浜で夫たちの船が戻るのを待ち、水揚げ作業、セリの準備、翌日の漁の準備と毎日作業に追われていた。しかし、震災後は試験操業(現在は拡大操業)となり、1週間毎に操業する日にちや漁業種類などが決められ、漁獲量も以前の水準にはまだ戻らず、女性たちの浜での仕事はなくなってしまった。現在女性たちの多くは漁業以外の仕事に就いている。しかし、本操業になったらいつでも浜に戻れるように、敢えて辞めやすいパートの仕事をしている、という人もいた。

真野川漁港(南相馬市鹿島地区)

一方で、震災前は漁業が忙しかったため、女性部活動は年に1回の海のサケまつりでイクラご飯の販売をするくらいだったのだが、震災後は様々な支援事業もあり、ツブガイの生姜煮やホッキのアヒージョといった水産加工商品の開発、姉妹都市のイベントへの出店など、活動自体は活発になったという。しかし、こういった活動もコロナ禍で思うように集まることができなくなり、さらに原料の高騰もあって、現在は停滞気味である。震災とコロナは、鹿島地区の女性たちの暮らしにも深く影響を与えたことが分かる。

それでも、漁業を継ぐ地元の若者たちが出てきている。そういう若者たちが希望をもって漁業で暮らしていけるように、復旧ではなく復興に力を入れて行ってほしい、という女性たちの言葉は切実だった。

『能登半島の今 輪島の漁業関係者からの報告』

第34回(2024年3月16日開催)のミーティングは、1月に発生した令和6年能登半島地震から2か月の動向について、水産加工で起業している輪島・海美味工房の新木順子さんと、輪島の漁師、東野竹夫さんと亜希さん夫妻にお話を伺った。新木さんには現地からオンラインで、東野さん夫妻には東京にお越しいただき対面で、それぞれご参加いただいた。

新木さんはこの度仮設住宅への入居が決まったそうだが、ミーティング時点では輪島市立港公民館(輪島市輪島崎町)で避難所のリーダーとして避難生活を送っていた。震災直後は避難してきた住民が120名もいた。公民館の1階は高齢者や体の不自由な人、2階には若い人に上がってもらうように決め、公民館にあった座布団を敷き詰めて芋の子を洗うようにして4日間ほどを過ごした。とにかく水がなかったので、市役所に水を要望したのだが、みんな困っているだろうに、声を出して要望したのは港公民館が初めてだと言われたという。わずかでも水が確保できた時にはちょっとホッとしたそうだ。

その後1週間くらいのうちに、スマホなどで連絡を取り合った家族や親戚などが迎えに来る人もいて、徐々に公民館の人数が減っていった。市役所からは二次避難所に行ってほしい、という要請が来た。二次避難所は加賀の山代温泉や山中温泉、福井県などで、インフラ整備ができるまでは、ということでみんなあちこちに散らばっていっている。しかし、年齢的に二次避難所まで行けない人もいて、公民館に残る高齢者もいた。入浴のサービスも、高齢者は足元が危ないので利用できなかったり、なかなか散髪にも来てもらえないなど、日常生活の不便さについて早目の支援が求められる。また、家はなんとか無事だったが、一人で家にいると心細く寂しいので避難所にやってくるお年寄りもいる。3月の段階では20名ほどが寝泊まりしているということだった。

二次避難所となったホテルでは、3月に北陸新幹線の金沢、敦賀間が開通したことで、本来の営業を再開するようになり、三次避難所(アパートなどへの仮入居)へ移動する人たちも出てきており、避難所難民といった状況も見られる。

東野さん夫妻は、住宅が倒壊し、漁港が隆起してしまったため漁船も動かせない状況であり、現在は金沢市内にアパートを借りて暮らしている。震災の4日後くらいに初めて港に行ったときは、これまでの景色が全く変わってしまって唖然としたという。今はとにかく仕事がない、収入がないことが大きな問題だ。港の工事でも海底調査でも何でも良いので、とにかく早く働ける場所をつくってほしい、住宅は自分たちの土地を提供してもよいから、被災者のための共同住宅を建ててほしい、というのが強い想いだ。そうしないと若い漁業者はみんな出ていってしまうという危機感がある。時間が経過する程、元へ戻ることは難しくなる。

一人一人の声をつないでいくこと

最近は大きな自然災害が頻発している。自然の猛威の前で、私たちは無力だ。それでもいずれ私たちは立ち上がり、大事な日常を積みなおしていく。立ち上がるためには、願いや思いをきちんと声に出して伝えなければダメ、と言った人がいる。横のつながりが本当に大事だと実感した人がいる。いざという時の備えは人とのつながりだと教えてくれた人がいる。

うみひとネットが発信したこれらのミーティングは、本当に小さな試みに過ぎない。けれど、そこにあがった様々な思いや声を、一つ一つ丁寧に聞き取って伝えていくこと、そして顔の見える強い関係性を創っていくこと。小さくとも、私たちにできることに取り組み、積み重ねていきたいと思う。

第34回ミーティング後の打上げ

連載 第3回 へ続く

プロフィール

関 いずみ(せき いずみ)

関 いずみ

東京生まれ。東海大学人文学部教授。漁村における生活・文化や人々の活動に興味を持ち、日本の漁村を歩き続けている。地域主体の新たな産業おこしとしての漁村ツーリズムの可能性や、漁村の女性を中心として活発化している起業活動について、実践活動と併せた調査研究を行っている。2020年に仲間たちと(一社)うみ・ひと・くらしネットワークを設立。農山漁村女性の応援団として活動中。