函館 — 海の律動との齟齬
ここまでで漁獲漁業のなかで、海の律動と社会の時間スケールが調和するときに多魚種漁獲漁業が成立することを見た。そしてその調和を、宮古の底曳網漁業に体現された姿として確認した。
しかし、現代の漁獲漁業のあり様は、いつもこの調和を保てているわけではない。むしろ、調和が静かに、しかし確実に齟齬がうまれる場面が、各所に観察される。
そのひとつの街のスケールで、三十年という長さで実際に進行してしまった例がある。北海道函館市である。本章では、その函館の30年を、海の律動と社会の時間スケールの調和という観点から、見つめ直したい。
街の記憶
筆者が、北海道函館市で数年間を学生として過ごしたのは、1990年代のことだ。当時、朝市にはまだスルメイカが溢れていた。函館の街には、8月の港まつりで「いか踊り」が踊られ、駅前の食堂のメニューでは生きのよいイカソーメンが皿の上で躍った。だれもが、それを当たり前と思い疑うことはなかった。
あれから30年余りの時が流れた。
30年の変容
椴法華大型定置網漁業で言えば、2013年に1,763トンあったスルメイカの水揚は、2018年には250トンへと落ち込んでいる。5年で85.6パーセントの減である[12]。社会の時計のなかでは、漁船の耐用年数の7年が、まだ半分も尽きていないあいだに、こうして姿を変えてしまった。
しかし、椴法華は、函館市の北東に伸びる小さな半島の漁港ではあるが、函館の物語のすべてではない。同じ函館市内で、もう少し視野を広げて見たい。函館市の水産物地方卸売市場における「鮮スルメイカ取扱量」は、1993年度に1.3万トンあった。それが、2021年度には490トンに落ち込んでいる[13]。28年間で、約30分の1の減少である。さらに、2024年6月2日、スルメイカ漁の解禁日に函館港で水揚げされたのは、わずか数匹であり、1965年の市場開設以来、史上初めて、初競りが中止された[14]。
- [12] 函館市『漁業生産高資料』(2013年/2018年比較)。
- [13] 函館市『函館市水産物地方卸売市場年度別取扱実績』、1993年度/2021年度。
- [14] 共同通信報道、2024年6月。1965年の市場開設以来、スルメイカ漁解禁日の初競りが中止されたのは初めて。
私たちの椴法華大型定置網漁業研究データは2008年から始まり、2019年で閉じるあいだ、椴法華の海ではスルメイカの漁獲量がはっきりと落ちていった。同じ時間軸の延長線上で、もう少し広い範囲を見れば、イカの街、函館は、より長い時間幅のなかで、いっそう大きな喪失を抱えていた。
私たちのデータは、椴法華という漁港の物語である。だが、それと同じ時間の中で、函館の街もまた、いつのまにか、別のかたちに変わっていた。海の律動を社会の時間スケールが受け止めきれなかった、ひとつの物語だ。そして同時に、それは、函館市椴法華町という一つの漁港の12年と、その背後にある函館という一つの街の30年とが、同じ海を受けとめてきた物語でもある。
何が齟齬をうむのか
漁獲漁業のあり様は — 海洋生態系、漁獲漁業、関連産業と社会の関わりが、海の律動と同じ時間スケールで育てられるとき、成立する。海の律動に比べて極端に短期的な時間スケールでの意思決定は、海の律動と時間スケールの調和を崩してゆく。
個々の時計、会計年度、五年の政策計画、減価償却年数は、それぞれの内側では合理的である。問題は、それらが重なり合わさった結果として、漁獲漁業のあり様全体の時間スケールが、海の律動と乖離してしまうことにある。
ある年の漁獲量が落ち込んだとき、社会はその年の漁業者の年間収入を補填しようとする。収入補償、燃油補填、緊急融資などにより漁業者の落ち込みを和らげる、その時点で必要な短期政策施策である。しかし、こうした短期政策施策が積み重なっても、それだけでは経営体の持続性を担保してゆく長期的な意思決定、たとえば設備更新のための積極的な投資や健全な世代交代による継承、を可能にする基盤とはならない。本来そこには持続的経営を前提とする長期的視点に立つ政策設計が必要であるはずだが、その設計は不十分なままにとどまり、それに向けた議論も乏しい。短期の痛み止めで痛みを和らげる政策施策、痛みの発生源を治癒させ持続的な経営健全性を担保してゆく政策施策、この二つが一体で進められなければ、痛み止めの効力も消えてしまう。
減価償却年数という時計は、海の律動と特に深刻なズレを起こす。椴法華の大型定置網漁業を考えてみよう。本稿前半で見たとおり、2008年時点でスルメイカが主役だったこの漁業は、その後の10年余りで、ブリ・イナダ・サバへと主役を譲った。もし2008年スルメイカの活気からの経営判断で特化した漁業に転換していたら、2014年以降のスルメイカ激減は、減価償却の途中で、経営を難しくしたはずだ。
椴法華と宮古の現場が示しているのは、こうした漁獲漁業の投資判断のリスクを、地場の加工・流通業者が長い時間をかけて、複数の魚種を扱う汎用設備により乗り越えてきた、ということである。つまり、減価償却年数という時計は、海の律動とは異なる時間スケールでの投資判断を導く。十年単位の主役魚種の交替が現実に起きているのに、税法上の耐用年数は対象魚種の不変を暗に前提とする。汎用性への投資は税制上有利にならず、専用性への投資が経営判断のなかで合理化される。その結果、変わる海に対応できる適応力、多魚種漁獲漁業の中核としての汎用性が、時計の重みに押されて、静かに削られていく。
椴法華の定置網漁業は、100年以上にわたって、変わり続ける海と向き合い、漁業を営んできた。宮古の底曳網漁業も、半世紀以上の経験のなかで、その日その日に水揚される多様な魚を捌くための加工・流通の仕組みを、地場のなかで育ててきた。こうして引き継がれた仕組みのなかには、地元市場のセリ人がどの魚にどう値をつけるか、加工業者がどの魚を何にどう加工するか、流通業者はどの魚をどこに運ぶのか、漁業者がどの天候でどう網を立てるか、そのような、口では説明しきれないけれど確かに引き継がれてきた数えきれない意思決定が含まれる。これらの意思決定こそが、漁業のあり様全体が海の変化に耐える力を、いちばん根のところで支えている。
漁業者や漁業の尊重に重きをおく現在の水産政策が、こうした世代を貫く海の律動との調和を、直接壊してしまうことは、めったにないように思う。だが、五年間で縛られた水産基本計画のもとで、目前の意思決定を繰り返すうちに、それを次の世代に引き継ぐための時間も、人も、お金も、知らないあいだに少しずつ削られていく。後継者がいなくなる。加工工場が廃業する。地場の流通網が小さくなる。そのひとつひとつは、その時々の経済合理性に従って起こる、ごく自然な選択である。しかし、それらが積み重なり、私たちは、日本の海との関係において、もう引き返せない地点をすでに越えてしまうのかもしれない。
いま私たちが置かれている現実は、この齟齬をのんびり見ていられるような状況ではない、と突きつけてくる。2011年の東日本大震災、2021年からのコロナ禍、2024年元日の能登半島地震、地球温暖化に伴う海洋環境の急激な変動 — 漁獲漁業のあり様に外から襲ってくる予期せぬ衝撃は、明らかに、これまでより頻繁に、そしてより大きな規模で起きるようになっている。これらの衝撃に耐えるためには、これまでの海の律動にとどまらない社会の時間スケールを考えることが、いまあらためて必要である。
ここで、確認しておきたい。「いま海が変わっていること」そのものが問題なのではない。海が変わるのは、海洋生態系のあたりまえの姿である。問題は、海が変わる時間の長さと、私たちが毎日を生きる社会の時間の長さとのあいだに、調和がないことにある。
そして、この問題は、漁業者一人ひとりの努力でも、解けない。漁獲漁業が海の律動を俯瞰できる時間スケールで向き合える制度に社会は組み替えられるかどうか。これが、日本の海と社会の狭間にある問題ではないだろうか。
海の律動という眼差しに立てば、海が、すなわち漁場を支える海洋生態系が変わっていくこと自体は、受け入れられる。しかし、いま私たちの眼前で進む海の変化、魚の変化は、その海の律動の視点からさえも逸脱したものなのかもしれない。少なくとも、この国の定置網漁業や底曳網漁業の歴史において、いまだかつてなかった事態だ。この海にどう適応し、日々の漁業の営みをいかに持続させていくかは、切実な課題だ。
海の律動という眼差しは、「海が変わるのはあたりまえだ」と自らを納得させるためのものでない。むしろそれは、この国がそうした海の律動のただなかで漁業を育んできたという事実、そしてその営みが決してここで終わるものではないという確かな自信を、少なくとも私には与えてくれる。
函館の30年で失われたものと、宮古の世代を貫いて引き継がれてきたものは、同じ三陸・北海道の海の上に、対をなして並んでいる。それは、別の場所の別の物語ではない。同じ海と同じ気候変動を、ふたつの異なる時計で受け止めてきた、ひとつの時代の二つの相だ。
宮古は、海と共にある時間を引き受けることで、調和を体現してきた。函館は、社会の時間スケールのなかで調和を失っていった。
函館の30年で失われたものを、私たちはいま、考えることができる。そして、これからの百年を、私たちは、どちらの時計に近づけていくかを、いま選ばなければならない。