海の律動と社会の時間スケール
海が変わるという事実そのものは、ここからの主題ではない。主題は、私たちが変えることのできない海が刻む時間と、私たちの社会の時間スケールが、漁獲漁業のなかで、どのように出会い、調和するかにある。
海の律動
海、ここではさらに焦点をもって海洋生態系として考えると、海洋生態系は複数の周期が重なる律動の時間をもつ。
最も短く刻まれる時間は、潮汐の半日周期である。潮の上下は、沿岸の生きものの摂餌や移動を制御する。次に、一日のなかの太陽の周期、プランクトンの上下移動、魚群の昼夜の切り替えがこれにあたる。月の満ち欠けは潮の動きを伸び縮みさせ、海の表層と深層をかき混ぜるリズムを刻む。さらに季節の周期がある。日本の沿岸では、春の親潮(冷たい流れ)と秋の黒潮(暖かい流れ)のせめぎ合いが、来遊する魚種を年内で何度も入れ替える。スルメイカが回遊し、サバやブリが流れに乗って日本列島を回遊してゆく。こうした、短い時間の長針・短針に刻まれる海の律動は、日々の漁業の時間とも重なっているだろう。
しかし、海はもっと長い周期でも時間を刻む。たとえば、海面水温が20〜30年単位で寒暖を入れ替える長い周期がある。こうした長期的な周期は、日本の水揚統計の長い時系列を辿ると、「イワシの時代」「サバの時代」など水揚における主要魚種の入れ替わりに呼応し、数十年単位で繰り返されてきたように見える。
椴法華の大型定置網漁業の漁獲データは、こうした海の律動をはっきりと示している。本稿前半で見たように、2008年に年間水揚量が2000トン超を占めていたスルメイカが、2014年以降に急速に縮小し、2019年にはブリ・イナダ・サバへと主役の座を譲っていく。年単位では「不漁」「豊漁」として現れる現象が、20年・30年の時間軸で並べ直すと、ひとつの大きな入れ替わりであることがわかる。さらに詳しく見て行く必要があるが、図6に示した、1990年代からの30年あまりの日本の漁獲漁業の水揚量・水揚高の魚種多様性の動きは、こうした変遷を凝縮しているのかもしれない。
さらに長い時計もある。日本周辺の大海流は、世紀スケールで気候の長い波と連動して、流れの方向と強度を変えていく。1900年前後のニシン豊凶、1950年代以降のサバ・マイワシ卓越期の交替 — 過去数百年の漁業史を眺めれば、世代を貫く海の大きなうねりが、何度も繰り返されてきたことがわかる。地球温暖化などの人為起源の気候変動が、これらすべての地球スケールでの時計に上書きしているのなら、海の律動のなかにある海洋生態系は、大きく揺さぶられる。
季節の周期が、年内に複数の主役魚種を入れ替えていく。十年規模の変動が、世代の中で主要魚種を交替させる。世紀単位の長いうねりが、地域の海洋生態系の様子を組み替える。これらの時計が同時に走っているからこそ、定置網漁業は70〜100魚種を、底曳網漁業は60魚種以上を、同じ海で漁獲し続けることができる。多魚種漁業は、多層の海の律動を前提とした漁業のあり様とは、いえないだろうか。
この海の律動を、一年単位の水揚統計や経営収支、五年単位の政策計画から見ようとすると、必ず取りこぼしが生じる。単年の認識は、近い過去との比較から、ひとつひとつが「異常事態」のように響く。だが、海の律動から見れば、これらは決して例外ではない。長い時間スケールのなかの、一瞬でしかない。異常を見つめる視点と、律動を見つめる視点は、まったく別の時間軸に立つ二つの視点である。
社会の時間スケール
では、日本の海の律動と向き合う私たちの社会の日々は、いま、どのような時間スケールで動いているだろうか。
社会の時間は「制度に決められた時計」だ。法律・会計基準・税制・行政手続きなどによって規定された、社会を構成する私たち一人ひとりの誰にとっても同じ刻みで進む時間とそのまとまりの時間スケールと言ってよい。一人ひとりの体感や、地域ごとの違いとは独立に、この時計は同じ速さで進む。日本の会計年度は、宮古の春が遅かろうが椴法華の冬が暖かろうが、3月31日に必ず締まる[9]。
- [9] 日本の会計年度は、財政法第11条「国の会計年度は、毎年4月1日に始まり、翌年3月31日に終るものとする」により規定されている。地方公共団体の会計年度も地方自治法第208条により同様に定められる。漁業協同組合の事業年度も多くがこれに準じる。
社会の時間が制度によって決められていることは、それ自体は必要なことだ。多数の人びとが共通のルールに基づき生活し社会を形作るためには、共通の時計が要る。問題は、その時計の刻み方が、漁業が向き合う海の律動とどう噛み合うのか、にある。
日本の最も基本的な制度の時計は、会計年度である。すべてが4月1日を起点に、一年単位で締め切られる。年度は、税制・会計・金融といった社会の基幹インフラに深く埋め込まれている。会計年度そのものを動かすことは、容易ではない。
課題のひとつは、この1年が、海の時間と一致しないことだ。ある年の不漁が、海の十年規模の入れ替わりの初期兆候なのか、単年の偶発変動なのか — 私たちが年度単位で見分けることは、ほぼ不可能だ。にもかかわらず、その年度単位で決定的な判断が迫られる。海の長い律動の中の一瞬の波が、年単位の波として増幅されて社会では認識される構造が、ここにある。
次に、国の水産基本計画は五年ごとに更新される。「今後10年程度を見通し」と書かれてはいるが、実施期間は五年である。5年たてば評価と見直しが行われ、次の五年が始まる。計画 → 実行 → 評価 — 見直しを繰り返すことで改善してゆく考え方として、これは合理的に見える。しかし、この五年というサイクルは、いくつかの対象に対して短い。海洋生物資源を持続可能なレベルまで回復させるには、魚種によっては10年以上の期間が必要である。投資による新規の漁船や加工設備の更新、経営安定のための内部留保の形成、経営・労働の世代の交替 — どれにも、五年は短すぎる。5年で評価できないものは、五年の計画では育てられない。これは制度の限界ということではない。海の律動と社会の制度の時計をどう響き合わせ、調和させるか、という、日本の海に関わる私たちが共有すべき課題である。
さらに、もう一つの課題は、減価償却年数である。税法上、漁船の耐用年数は用途や構造によって決められている。沿岸漁業の主力である強化プラスチック(FRP)製の漁船は七年。漁網などの漁具は五年。加工機械は十年。冷凍冷蔵設備は十三年。漁港の岸壁や防波堤などの鉄筋コンクリート構造物は三十年から五十年[10]。これらは税務上の規則であり、減価償却として会計による経営意思決定の前提となる。
- [10] 減価償却資産の耐用年数等に関する省令(昭和40年大蔵省令第15号)。建物・構築物・船舶・建物附属設備は別表第一に、機械及び装置は別表第二に、それぞれの耐用年数が定められている。沿岸漁業の主力である強化プラスチック(FRP)製漁船は別表第一「船舶」の規定により7年、漁ろう用設備は別表第二・番号323により5年、食料品製造業用設備は別表第二・番号1により10年、冷凍機(22キロワット以下)を含む建物附属設備の冷暖房設備は別表第一により13年。本省令の最新の条文は e-Gov 法令検索(https://laws.e-gov.go.jp/law/340M50000040015)で参照できる。
制度的な漁船の耐用年数が七年・漁具が五年だとすると、その間に漁獲対象の主役魚種が交替する可能性は十分にある。椴法華や宮古の事例が示すように、十年あれば主役の入れ替わりは現実に起きる。スルメイカ漁を前提に設計された漁船が、10年余り後には同じ海でサバの大群の中心に立っているかもしれない。減価償却が終わらないうちに、対象魚種そのものが漁場からいなくなるのなら、この資産への投資は有効ではなくなる。
不漁時の漁業収入安定対策や燃油補填は、対象期間が一年から数年である。さらに上流には、政治・選挙の時間がある。国会議員の任期は四年、地方首長は四年、都道府県議会は四年。健全で民主的な国ならば政治家の時間軸は、自らの在任中に成果を示せる範囲に、必然的に偏らざるをえない。
こうした制度の時間だけではなく、より広い範囲で社会の時間を重ね合わせると、我々の社会全体の時間スケールは、それ自体としては、海の律動と響き合うだけの幅をもっている。短い時計だけがあるわけではない。30〜50年の漁港インフラ、世代を貫く家業継承。これらは、海の律動と調和できる時間スケールをもつ。課題は、制度の時計を、海の律動とどう響き合わせ、調和させるかにある。次に、漁獲漁業のしくみのなかで、海の律動と社会の時間スケールが調和したとき何が起こるかを、多魚種漁獲漁業で見ていきたい。
海の律動と社会の時間スケールの調和としての多魚種漁獲漁業
漁獲漁業のなかで、海の律動と社会の時間スケールが調和するとは、どういうことか。
海の律動と、社会の時間スケールが調和するとき、漁獲漁業は、海の変動[11]を受け止め、それでも継続できる。その姿が、多魚種漁獲漁業ではないだろうか。
- [11] 筆者が所属するWPI変動海洋エコシステム高等研究所(https://wpi-aimec.jp/)は2024年に地球システム変動に対する海洋生態系の応答・適応メカニズムの解明と予測の世界トップレベル研究拠点として政府の集中的な支援により設立された。本年度(2026年)より筆者らの海洋経済・政策分野が加わり、積極的な経済・政策研究・実践活動をあらたに展開してゆく。
漁法においては、定置網漁業は海から多様な水産資源を漁獲として受け取り、底曳網漁業は日帰り操業で網に入るものを漁獲とする。魚を選ばず、複数の魚種を漁獲する。これらの漁法は、とくに日本の沿岸漁業では世代を貫いて引き継がれ、近年、その占める割合は日本漁業で大きくなりつつある。
加工においては、地場の加工業者は、特定魚種専用の加工ラインではなく、複数魚種を扱う汎用設備とノウハウを継承し、それをさばくことのできる流通網を育ててきた。短期の生産性で見れば、大規模な魚種特化の専用設備のほうが効率は高いし、市場での優位性も高い。だが、汎用性への投資は、より長い時間スケールの海の律動と歩んできた結果ではないだろうか。長い時間軸のなかで、海と社会の対話のうえに育まれた判断である。
流通においては、多魚種漁獲漁業の地元の卸売市場と加工業者と流通業者の重層的な結びつきが、魚種が変わっても、経済を支え続けられる経路を保つ。
食においては、多様な魚を味わう食文化が、多魚種漁獲を消費価値に変換する社会の側面として、世代を越えて受け継がれて育まれてきた。情報網・流通技術の発達とともに、多様な新鮮な魚を日本中のあらゆる場所で味わうことが可能になりつつある。
多魚種漁獲漁業は、海の律動と同じ時間スケールで調和してきた。多魚種漁獲漁業とは、漁獲漁業のあり様が、海の律動と呼応した漁業のかたちである。主役の魚種が変わってもなお、水揚高を維持し、ときに増加させ続けることができる。
本稿前半で立てた「魚種交替」の文脈から見直すならば、こう言える。多魚種漁獲漁業は、「魚種交替」を問題とする漁業ではない。それは、海の律動を前提として、その律動と同じ時間スケールで、漁法・加工・流通・食の四つの場面を、世代を貫いて引き継ぐことで、海の変動そのものを受け入れながら成立する漁業である。「魚種交替」は問題ではなく、調和の前提として、すでに取り込まれている、それゆえの多魚種漁獲だ。
このような調和は、抽象的な理論ではない。日本の沿岸の現場には、この調和を世代を越えて体現してきた漁業の現実が、確かに存在する。次にその現実を、岩手県宮古市の底曳網漁業の姿を通して、もう一度、しかし「時間」という焦点を絞って、立ち戻りたい。