おわりに
本稿では、ノルウェーのサーモン養殖業の発展過程と経済的側面を分析してきた。約半世紀にわたる発展の中で、ノルウェーでは小規模養殖業者から始まり、政府の規制と市場の変化により大規模企業中心の産業構造へと変貌を遂げた。また、環境問題への対応や資源レント税の導入、陸上・沖合養殖への展開など、様々な課題とそれに対する業界や政府の対応を論じて世界最大のサーモン生産国となった経緯を明らかにした。 この分析から、日本の養殖業の政策立案に向けて、以下の示唆が得られる。
①産業の発展段階に応じた規制の枠組み
ノルウェーでは初期段階で小規模生産者を保護するライセンス制度を導入し、産業の基盤形成に成功した後、市場の需要や環境の変化に応じて規制を(結果的に)柔軟に変更してきた。日本においても、養殖業の発展段階を見極め、適切な時期に適切な規制を導入する戦略的アプローチが求められる。
②環境と経済のバランスを考慮した政策設計
ノルウェーのサケジラミ問題への対応や「信号機システム」のような革新的な環境規制は、養殖業の持続可能性を確保しつつ経済的発展を促している。日本においても、環境負荷を最小限に抑えながら産業を発展させるための科学的根拠に基づいた規制の枠組みが必要である。養殖業が特に地方の経済において重要な役割を担うポテンシャルを持っている一方、野生のサーモンが激減してしまったノルウェーの失敗に学び、環境問題の状態を把握するための調査研究を行い、適切な規制を行っていく必要がある。
③養殖業における資源レントの適切な配分メカニズムの検討
ノルウェーでは養殖ライセンスの高騰と業界の高収益性を背景に、公共資源である海の利用から生じる利益の一部を社会に還元する資源レント税が導入された。これは日本からすればある意味うらやましい話で、日本の水産業では追加的な税金を課せるほどの利益が生まれているという話は聞かない。しかし、水産資源や海洋環境を利用する産業において、どういう仕組みで高い利益(レント)を創出し、それを社会的に配分するかという議論は海洋立国の実現を目指す我が国にとって押さえておくべき議論である。
④地域の発展と規模の効率性とのバランス
ノルウェーのサーモン養殖業は当初「地元の所有権維持」を重視した小規模分散型の産業構造から始まり、次第に規模の経済を追求する大規模企業中心の構造へと移行した。この過程では、地域コミュニティの経済基盤としての役割と、国際競争力のための効率性向上というジレンマが生じた。日本においても、沿岸地域の活性化という社会的意義と産業としての競争力強化のバランスをどう取るかが重要な課題となる。特に、陸上養殖や沖合養殖など新たな生産方式の導入に際しては、技術や資本へのアクセスが不均等な中で、地域の中小事業者が取り残されないよう配慮した政策設計が求められる。
⑤国際的な市場開拓戦略
ノルウェーが水産業で成功している大きな要因の一つは、国際市場を視野に入れた長期的な産業戦略を重要視していることである。「プロジェクト・ジャパン」に代表されるように、ノルウェーは国を挙げてマーケティングに取り組み、国際市場の開拓に成功した。日本では、「ご当地サーモン」と呼ばれるようにブランドサーモンが群雄割拠の状態にあり、国内市場においては産地ブランドの競争が食文化の多様性を育んでいる。しかし、国際的な市場を視野にいれる場合は、「日本のサーモン」のようなジェネリック・マーケティングを行っていくことも検討する必要が出てくるだろう。
日本の養殖業は、国土の制約や漁業規制、市場構造などノルウェーとは異なる条件下にあるが、環境との調和を図りながら経済的価値を創出してきたノルウェーの経験から学ぶことは多い。ノルウェーの成功と失敗の歴史を参考にしながら、日本独自の文脈に適した持続可能で競争力のある養殖産業の発展モデルを構築していくことが期待される。前著[9]でも述べたが、他国の産業や制度を参考にするとき、成功している一面だけを踏襲するのではなく、その社会的な背景や実際の出来事の帰結を理解することで、本質的なメカニズムを学び、応用可能な政策やアプローチを議論することができると考えている。本稿がその一助となれば幸いである。
- [9] 阿部景太. ノルウェーの漁業管理から何を学ぶべきか?割当制度の利点と課題.水産振興. 2024 [cited 2025 Apr 2];