-執筆をおえて
筆者は、東日本大震災後からこれまで福島県の漁業をウオッチしてきた。いろいろな執筆機会を頂き、福島県の漁業復興と原子力災害の関係を著してきたxiii。2012年7月から今日まで福島県地域漁業復興協議会の委員としても現地の状況をみてきた。
そのような立場ではあるが、「海洋放出」については反対も賛成もしていない。ニュートラルな立場でないと見過ごしてしまうものがあると考えたからである。その立場から東京電力から出てくる情報を疑わずに受け止めてきた(情報が全て開示されていないことも踏まえてである)。一方で「トリチウム水タスクフォース」が結論を出したときから、ALPS処理水の海洋放出をどうしても行わなければならないのならば漁業者が抵抗する中でも実施する信念をもって時の首相が政治責任(政治生命をかけて)でやるしかないと考えてきた。政治家も気が進まないであろうが、それしかないと。その後、訪問してくるALPS処理水対策の資源エネルギー庁の担当者にも、漁業者が納得するシナリオはどこにもないということも含めて、そのことを話した。ただ、「政治責任でやるしかない」ということは、紙面に残したり、コメントとして残したりすることはできなかった。それは筆者が政治学者でもないし、政治については深く語る立場ではないからである。
筆者は2022年9月に「「ALPS処理水の海洋放出」の政治決定をめぐる諸論点-原子力災害からの政府と漁業界の動向を踏まえてー」という拙論xivを公表した。そのことがきっかけで今回の「海洋放出を漁業者は認めない」というタイトルでの執筆を受けることになった。あまり書き残したくはなかったが、今回ばかりは「政治責任でやるしかない」を書くことにした。そう考えたのは、漁業者が置かれている立場を綴りながらも、このことについて触れないわけにはいかないからである。
他方で、廃炉に向けて「なぜ、海洋放出が必要なのか」ということについては筆者の中では全く腑に落ちていない。直近の世論調査でもALPS処理水の海洋放出に関する政府の説明に約80%が不十分としているxv。報道からは読み取れないが、「ALPS処理水の安全性」よりも「海洋放出を行わなければならない」理由が不十分と判断しているのかもしれない。海洋放出を行うリスクと、行わないリスクを天秤にかけた議論をすればはっきりすると思うのだが、そうした議論が出てこないのである。なぜ、だろうか。そうした議論には都合が悪いことがあるのだろうか。
もし、東京電力に言えないことがあるのならば、それこそ誰かがそのことを背負って実施するしかない。どう考えても、時の首相が政治責任でやらなければならないのではないかと思うのだが、考えすぎであろうか。
今後の状況を見守っていきたい。
- xiii たとえば、濱田武士・小山良太・早尻正宏『福島に農林漁業をとり戻す』(みすず書房,2015年)
- xiv 北海学園大学『経済論集』(70巻2号, 2022年9月), U R L:https://researchmap.jp/03t-hamada/published_papers/39876671
- xv 「原発処理水、説明不十分80% マイナ総点検74%解決せず」『共同通信』(2023/7/16, URL:https://nordot.app/1053231773703930277)