水産振興ONLINE
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2023年8月

処理水の海洋放出を漁業者は認めない

濱田 武士(北海学園大学経済学部教授)

○ おわりに-「政治決断」の失敗

原子炉建屋内にある燃料デブリを取り出さなければ、汚染水は増え続ける。早く取り出す必要がある。しかし、現状では「燃料デブリの取り出し」は開始時期さえ見通しが付いていない。このような中で、ALPS処理水をタンクに溜め続けていくことへの負担とリスクは時間の経過とともに拡大していく。このことは廃炉作業の行程に直接影響するものではないが、東京電力が廃炉に投入する資金や人力を分散させる原因にはなっている。

他方、東京電力はALPS処理水の海洋放出の理由をタンクの設置敷地がないということとしてきた。汚染水が増え続けるという状況では、タンク設置のための敷地確保に限界があるというのも理解できる。また陸域に汚染水タンクが乱立している状況に、地元住民が抵抗感をもっているという話もある。そのような観点からもALPS処理水を何らかの形で処分しなければならないのは確かである。

そこで政府はALPS処理水の処分方法を決断するための検討会を経済産業省資源エネルギー庁内に設置した。ここまでは理解できるが、それ以降で漁業者の不信感を強める行動をとっている。まず、検討会に漁業関係者をメンバーに入れなかった。漁業関係者と公式の席で向き合うことを全面的に避けたのである。しかも、「トリチウム水タスクフォース」(2013年12月25日設置)そして「多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会」(以下、「ALPS小委員会」;2016年9月27日設置)と検討は長期間にわたり続けられ、最終結果をとりまとめたのは2020年2月10日であった。二つの委員会を介して、6年以上という長い月日をかけた(表3参照)。だが、その結果は東京電力が構想していた「海洋放出」を後押しするものでしかなかった。「海洋放出」という処分方法は、たしかに東京電力という民間企業にとって合理的である。しかし、その合理性とは、「安全なのだから問題ない」しかも「安上がり」で「抵抗するのは漁業者ぐらい」というものであった。「政府の対応は海洋放出ありき」だと報道があったが、そう言われても仕方がないセッティングで進められていた。

表3 「ALPS処理水の海洋放出」決定までの展開
表3
資料:著者作成
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ならば「海洋放出」が既定路線だったとして、何が論点になるのか。それは「海洋放出」を誰がどう決めるかというところにある。現状では漁業者を追い詰めて漁業者に決めさせるという方向で進んでいる。ではなぜ、そうなったのかである。少し振り返る。

東京電力の「ALPS処理水の海洋放出案」は、地下水を海洋放出するサブドレン復旧計画を受け入れるかわりに、交渉すらも受け付けないという約束だったので完全に封じ込められていた。それがゆえに国が決めるということになったのだが、その政府(=経済産業省)も福島県漁連に「関係者の理解なしにいかなる処分も行わない」と約束したのであった。2015年8月24日のことである。こうなると後は、国が漁業者を説得するか、漁業者が反対していても政治決断により「海洋放出」を強行するか、ということになる。そのような状態の中で、「トリチウム水タスクフォース」によって海洋放出の合理性を結論づけるかのような結果が出された。2016年6月3日のことである。政治決断するタイミングはここにあった。しかし、故・安倍晋三元首相が決断できなかったのかどうかはわからないが、政府が選んだのは社会的影響を検討する「ALPS小委員会」の設置であった。その検討は「海洋放出」をほぼ念頭にして約4年も費やしたが、「海洋放出」を正当化するばかりで、漁業者が納得できる材料を全く揃えることができなかった。結局、「ALPS小委員会」は何のための委員会であったのか。「海洋放出」に抵抗する漁業者の「外堀を埋める」ための検討が行われただけであった。

「トリチウム水タスクフォース」の結論のあとに、政治家が全責任を負うとして漁業者に謝罪して「海洋放出」を決断していればどうなっただろうか。少なくとも2023年夏までは6年近くあった。政治家の責任で決断した上で、これだけの期間があれば、理解醸成の活動はそれなりの効果を出していたかもしれない。少なくとも2021年4月13日に「海洋放出」を政治決定して、2022年から大々的であるが急ごしらえの対策を開始し、2023年夏に海洋放出するよりかは、よほど理解醸成が進み、社会的インパクトを和らげることができたのではなかろうか。

東日本大震災以来、福島産や東北産の食材に対する消費者のためらいは時間経過と共に確実に消えてきた。それが風化によるものか、あるいは理解醸成が進んだ結果であるのかは判断できないが、少なくとも時間がある程度解決してくれることは確かだった。6年もの時間があれば、国内外への理解醸成が進めば、漁業者も納得できたかもしれない。「海洋放出」を実施すれば廃炉作業が早まるという話があれば、廃炉への協力を呼びかける上で説得材料になるのだが、そのような話も出てこない。それは「海洋放出」がそもそも廃炉の決め手ではないということなのだろう。これでは漁業者を納得させることはできるわけがない。

このまま海洋放出を強行するというのならば、国民にも漁業者にもなぜ海洋放出が必要かということについて腹に落ちる説明をすべきである。今福島第一原発の構内の危機的状況をタンク設置の敷地がないというような準備された話だけでは理解できない。危機的状態であるとする構内の全容が明らかにならなければ「今海洋放出が必要だ」という真意が多くの人の心に届かない。

また本当に危機であるというのならば東京電力という私企業に運営を任せるのではなく国営にして国家管理にすべきではないだろうか。意思決定や社会的影響に対する対策は国の責任であっても、廃炉運営の責任は未だ東京電力にあり、全ての責任を国が引き受けていないからである。私企業は利益を出すために活動する。その動機が失われている中で、厳しい廃炉作業を続けさせるから、「海洋放出」という安易な考えができたのではないか。

廃炉が早く進むことは誰もが望んでいる。そのような観点からも、廃炉と国家の関係の在り方が問われている。