水産振興ONLINE
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2023年8月

処理水の海洋放出を漁業者は認めない

濱田 武士(北海学園大学経済学部教授)

○ 残り続けている原子力災害=「原発事故の影響」

思い出して欲しい。東日本大震災は、地震による被害、津波による被害、そして福島第一原発の事故による原子力災害が重なった複合災害であった。

地震・津波により壊れた被災地の産地機能の復旧にはかなりの時間がかかった。水産加工品などの供給力は震災前に戻らなかったが、復旧の間に水産物市場において被災地の供給分を補ったのは、他の産地のものか、輸入ものであった。しかも、震災直後は急激な円高に見舞われていたことから、サケ類やワカメなど三陸地方を代表する水産物の輸入量が増大し、過剰在庫状態となった。このことにより被災地の産地は多くの販路を失う結果となった。

この「地震・津波被害」による市場喪失のうえに福島など被災地の水産業界には原子力災害としての「原発事故の影響」が重なった。ここでいう「原発事故の影響」とは、放射能に汚染されているという、ネガティブなイメージに基づく買い控えが生じて販路がなかなか広がらないことを意味している。放射性物質が含まれていたとしても科学的に安全な水準にある水産物までもが買い控えられている状態を「風評被害」だと表現されてきたが、福島第一原発の原子炉の爆発で放射性物質が飛散したり、あるいは高濃度汚染水が海に流れたりして、または放射性物質が飛散した広い範囲の農林水産物から基準値を超えるセシウムが、全てでなくもサンプルから検出されたのは事実だから、流通業界や消費者が「買い控え」ることになるのも無理もなく、すべてを「風評被害」という呼び方で括るのは無理がある。この由来は2011年3月12日に発生した原発事故なのだから「買い控え」されていることも含めて「原発事故の影響」と言っておきたい。

「原発事故の影響」はそれだけではない。被災地では魚の汚染状況を調べるモニタリング調査やスクリーニング検査を行うとともに科学的知見から食材の安全性を示すことで、リスクコミュニケーションを推進して、販路回復のための販売促進が行われてきた。これらは消費者に理解を得ていく大事な行程であり、時間を要した。そうした対策を進めていこうとしているとき、すでに他産地の産品で埋められた需要(売り場)から販路を取り戻すのは容易ではないことがわかった。毀損した生産・流通・消費の関係は簡単には取り戻せなかったのである。

福島県における漁業は、操業自粛を1年以上続け、その後は試験操業によって漁業の再開を慎重にすすめてきた。2021年3月末をもって試験操業を終え、現在は震災前の体制に戻す移行期間である。しかし、2022年の福島県の沿岸漁業の水揚量は漸く震災前の21%に達したに過ぎない。しかも近年の水揚量は伸び悩んでいる(図1参照)。

図1
図1 福島県水域の沿岸漁業の漁獲量の推移
資料;福島県漁連

損害賠償で漁業者の数も、復興事業で漁船の数も、震災前の6割以上は維持されているゆえ、漁業生産において操業を拡大する余力はまだある。しかし、生産量の回復が22%にも達しないのは、試験操業期間中にはスクリーニング検査体制(それにかかる人員と時間と)の関係から自由に操業機会を増やすことができなかったこと、慎重に漁業を再開してきたことでその間に福島の産地機能とくに消費地と結ぶ物流(運送事業などの需要)・商流(取引関係)・加工体制(従業員の確保)の回復を遅らせたこと、そのことによって漁獲量を増やすと過剰供給となり価格が大きく落ちこむため(価格形成力が弱まっているため)、試験操業が終了した現在も、出漁動機が働きにくくなっていること、震災前に出漁していた隣県の沖合への操業が制限されてきたことなど、が影響している。

価格形成力が弱まり、出漁動機が強まらないこの現状は、また物流・商流・加工体制を再生させない原因となっている。福島県の水産業は産地機能が再生の方向に向かわない構造的な問題を抱えているということになる。産地の供給構造を変革する取組により、この悪循環を断ち切らない限り、「原発事故の影響」を引きずるということになる。

ALPS処理水の海洋放出はこの状況に追い打ちをかけることになる。