水産振興ONLINE
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2023年8月

処理水の海洋放出を漁業者は認めない

濱田 武士(北海学園大学経済学部教授)

○ 開発で犠牲を被るのはいつも漁業者

政府の対応は、ALPS処理水の海洋放出に向けて自然環境や食への安全性については問題ないのだから、風評被害を防ぐことができれば良いという考えが強い。

しかし、そうした考えに基づいた対策が漁業者を納得させる材料にならないということを根本的に理解していない。そのひとつは、漁業者が水環境に影響が出る行為や開発を受け入れられないということである。それは自分たちの生業を行っている水域の環境を変えられ、生業が成り立たなくなるのではないかという恐れからくるものである。

これまでも、漁業者は、生態系を壊してしまう干潟などの臨海埋め立て開発計画や、臨海部での発電所の立地計画については抵抗してきた。発電所については、原発に限らず、火発でも温排水を放出するからである。また、ダム建設、河口堰建設、干拓事業、原生林における大規模圃場開発、河川近くの畜産施設の立地など陸域の開発についても抵抗してきた。これらの開発は陸域から流れ込んでくる水量や水質を変えてしまう可能性がある。こうした計画にはことごとく抵抗してきた。漁業者らは水環境に影響を与える計画を生理的に受け入れられないのである。

しかし、多くの場合、環境アセスメントという科学的手続きを経て、海への影響は少ないとされ、漁業者の抵抗は国益に反する、として無言の圧力で漁業者を追い詰めてきた。さらに開発サイドは問題があれば対処するとして、公害協定を結んだり、補償金を支払ったり、基金を積み上げたりして漁業者との間で妥協点を探ったのであった。そのうち、漁業者の抵抗力が弱まり、やがて開発が進められてきた。

開発行為は漁業者らの生業よりも国策や企業の利益を優先するものである。それらの開発のたびに、生業として営む漁業者らの誇りに傷がつけられてきた。抵抗してきた漁業者たちの間に残ったのは屈辱感であった。このように漁業者は国益追求の犠牲者となりやすい。

ALPS処理水の海洋放出においても、類似した構図が次のようなロジックで見えてくる。「ALPS処理水の処分方法は海洋放出でなければならないという理由はないにもかかわらず、東京電力にとっては海洋放出がもっともコストがかからず理にかなっている」→「国としては廃炉を進めるのに東京電力にムダなコストをかけさせるわけにはいかない」→「ALPS処理水は安全で環境や人体への影響は無視できるゆえ、国としては風評の影響を可能な限り封じ込める努力をする」→「さらに風評被害の対策も講じるし、基金も積み上げる」→「それでも理解できないというのなら、それは国益を無視している」という構図である。こうして漁業者を追い詰め、犠牲を強要する。

政府が漁業者にいくら丁寧に配慮を重ねても、生業を犠牲にする方策を選択している以上、漁業者は自分たちの生業が見下げられていると受け止めざるを得ない。それゆえ、漁業者から理解が得られないのも当然のことであろう。

現状を回避するとしたら政府がとりうる方法は2つある。海洋放出を撤回して、廃炉作業の全責任を国が担当して海洋放出以外の処分方法で実施するか、これまでと同じく東京電力の責任で実施するということならば、海洋放出がなぜ必要なのか、なぜ今なのかを、汚染水の貯蔵状態も含めて全ての事情を開示して説明することである。