水産振興ONLINE
637
2022年12月

水産研究125年の歴史

生田 和正(水産研究・教育機構 理事)  上原 伸二(水産資源研究所 企画調整部門長)  鈴木 敏之(水産技術研究所 環境・応用部門長)  下川 伸也(水産大学校 校長)

第4章 水産大学校の沿革と人材育成の推進

水産大学校
校長 下川 伸也

はじめに

水産研究125周年記念講演会において、国立研究開発法人水産研究・教育機構内で人材育成業務に取り組む水産大学校を紹介させていただく機会を得ました。平成28年(2016年)以前まで、国立研究開発法人水産総合研究センターと独立行政法人水産大学校とは、水産庁を主務官庁とする別の組織として存在し、水産大学校に着目しますと創立81年の歩みで本年を迎えております。今回は、水産大学校の生い立ちを振り返り、現在行っている人材育成業務の現状を紹介させていただきます。

水産大学校の概要について説明いたします。先ず、設置の目的ですが「水産に関する学理及び技術の教授及び研究を行うことにより、水産業を担う人材の育成を図るため」と定められています。このように、設置目的がより具体的に明示されていることが特徴として挙げられます。水産都市、山口県下関市のキャンパス(写真1)において、表1に示す通りの組織・規模で教育・研究活動が行われています。一般的な大学の学部に相当する本科5学科(水産流通経営学科、海洋生産管理学科、海洋機械工学科、食品科学科、生物生産学科)に加え、専攻科(船舶運航課程、舶用機関課程)と大学院の修士課程に相当する水産学研究科(水産技術管理学専攻、水産資源管理利用学専攻)が設置されています。学生の定員は 810 名、教職員数は174 名で教育が行われています。さらに、大学校附属の施設として、大型の練習船2隻と山口県宇部市に臨湖実験実習場が備えられています(表1)。

写真1 水産大学校キャンパス (講義棟)
表1 水産大学校の組織

水産大学校の沿革

水産大学校のルーツは、昭和16年(1941年)に朝鮮総督府釜山高等水産学校として設立されたことから始まります。大学校の沿革を表2に示します。現在は、平成28年(2016年)に旧(国研)水産総合研究センターと統合し、(国研)水産研究・教育機構の人材育成部門を担当する部署として、業務運営が行われています(表2)。

沿革の内容について紹介しますと、当初昭和16年(1941年) 4月に設立されましたが、同年12月に太平洋戦争が勃発しており、非常に混乱した時期に設立されております。昭和19年(1944年)には朝鮮総督府諸学校官制改正が行われ、釜山水産専門学校に改称、昭和20年(1945年) 8月の終戦に伴い同校は解散となり、日本内地から釜山に出向いて教育を受けていた学生、教職員、その家族も含めて、急遽、内地に引き揚げる必要に迫られる状況となりました。その際、練習船を用いて釜山から山口県萩市へ3往復して学生、教職員らの引き揚げが完遂したと記録されています。さらに、引き揚げは完了したものの学生たちが路頭に迷うことにならないように、当時の所長や教頭を始め、教職員が一丸となって救済策が取られ、農林省所管の水産講習所(現:東京海洋大学)に特段のお願いをして編入学を認めていただいたとされています。同年12月農林省は、釜山水産専門学校引揚げ学生(第4、5期生約400名)を水産講習所(東京)への転入学を許可されています。さらに、翌年5月には水産講習所下関分所が開所し、第4、5期の転入学生370名が漁業、製造、養殖の3科の体制で下関に集うこととなりました(写真2)。

写真2 朝鮮総督府 釜山高等水産学校(1941年)

写真2に設立直後の釜山高等水産学校の校舎の写真を示します。立派な建物の提供を受けて開設されていたことが伺えます。終戦を迎え日本本土からの学生たちが引き揚げた後、韓国では釜山水産大学校として継続して存続されています。さらに、平成8年(1996年) 近隣にあった釜山工業大学と合併し、さらに他の学部等を吸収して拡大し、韓国でも指折りの総合大学「釜慶大学校」となり、水産科学大学、環境・海洋科学大学(ここで表記される“大学”は、日本の大学では“学部”にあたる)といった学部が存続されているようです。現在、同校と下関に移った水産大学校とのルーツは同じだということで、互いの関係者間では親近感を持って交流が続けられており、平成7年(1995年)から学術交流会を開催し、その後、毎年交互にお互いを訪問しながらの学術交流懇談会が続けられています。

引き揚げ後の昭和22年(1947年)、東京を第1水産講習所、下関を第2水産講習所として運営され、別組織として歩むことになりました。また、このタイミングで第2水産講習所に機関科が設置され、漁船の機関士養成が行われるようになっています。現在でも水産系大学で機関科を有している大学は他に存在しませんので水産大学校の特色の一つとなっております。

昭和27年(1952年)には、第1水産講習所が文部省への移管で東京水産大学校になりましたが、第2水産講習所はそのまま農林省所管として残留することになり、校名の“第2”の表記がなくなり、単に水産講習所と称すようになりました。それ以降、昭和38年(1963年)に水産大学校、平成13年(2001年)には(独)水産大学校、平成28年(2016年)には(国研)水産研究・教育機構水産大学校となり現在に至ります(表2)。

表2 水産大学校の沿革

昭和35年(1960年)代当時の夏期実習(海技実習)の風景を写真3に示します。現在でも、海技士(航海士、機関士)教育のために一部の学生にはこれらと同様の実習を続けておりますが、実習規模も期間も縮小しての実施となっています。当時は、夏休みに3週間をかけて入学した1年生全員が参加して行われていました。1学年200人の学生が隊列を組み5マイル遠泳として約10キロを泳ぐという、現在では想像できないほど過酷な実習が行われていたようです。現在でも、諸先輩の心意気に敬意を払い、海に馴れるという意味でも、この種の実習を大事に継続しなければいけないと思っております。実習を通して慣海性とともに協調性やリーダーシップを涵養するためにも非常に有効な実習です。

写真3 夏期実習

引き揚げ直後の下関キャンパスは、下関市吉見地区に旧日本海軍の下関防備隊として関門海峡を守るための基地があり、その施設・設備を防衛庁から農林省に移管されて水産大学校に提供いただくことになり、校舎を構えることになりました。戦後70数年を経過した現在、非常に広い敷地の中に講義棟や研究棟、実習棟などモダンな建物が立ち並び、正にキャンパスと名乗っても恥ずかしくない施設・設備を備えることができております。

次に、遠洋航海実習の出港式と遠洋航海中に撮影されたマグロ延縄実習の風景を写真4、写真5にそれぞれ示します。白い帽子を被った学生が並んでいますが、彼らがこれから遠洋航海に出港しようとする4年生です。それを“スタンバイ”と称す伝統行事で、上半身裸になった下級生たちが船内に溜まった“あか (海水) ”を船外に汲み出すという動作により、航海の安全を祈って見送ります。後方には沢山の方々が遠航見送りに集まっていただいているのも伺えます。当時から練習船の遠洋航海の出港は、地域にとっても大きなイベントだったことが推察されます。もう一枚の写真は、遠洋航海中インド洋や南太平洋においてマグロ延縄の漁業実習が行われている写真です。船内にたくさんのマグロが水揚げされ、実習生総出で解体処理がなされています。さらに、終戦直後から遠洋航海時にインド洋の国際調査に参加し海洋調査や生物資源の調査に当たっていた記録も残されています(写真4、写真5)。

写真4 遠洋航海 出港式
写真5 マグロ延縄実習

水産研究・教育機構と関連水産系大学の年次動向

水産講習所試験研究部設置から125年、現在に至るまでの研究所と水産系大学の動向について、水産大学校の沿革と併せて表3に示します。水産大学校設立の昭和16年(1941年)から遡ること60年ほど前の明治20年(1887年)に東京農林学校が設立され、明治21年(1888年)に大日本水産会の水産伝習所が設立されています。その後は水産講習所、総合大学としては東北帝国大学、さらには東京帝国大学に水産学科が設置されています。釜山高等水産学校ができる6年前に、函館高等水産学校が設置されています。 順番を見ると釜山高等水産学校は3番目なのですが、それ以降、立て続けに鹿児島大学、長崎大学、広島大学が設置されており、昭和21年(1946年)から昭和26年(1951年)の間に9つの水産系学部学科の大学が新設されております(表3)。

表3 水産研究・教育機構と関連水産系大学の年次動向

水産大学校の人材育成業務

水産大学校の人材育成業務について、概要を説明いたします。現在、(国研)水産研究・教育機構の中で人材育成を担当するということであり、人材育成を行う業務の目標を掲げております。基本的には「水産業を担う中核的な人材の育成」ということを大きな目標とし、農林水産大臣から示される中長期目標を基に中長期計画を立案し、それを実施することとなっています(表4)。

表4 人材育成業務の中長期目標

具体的な業務としまして、大学としてきちっとした教育を実施していくということです。さらに、その教育に対応する研究を確実にも行っていくことに尽きます。また、学生への多様な支援を手厚く行っていくというのも我々教職員に課せられた業務だと考えております。

教育対応の研究例を表5に示します。研究を推進するため、特に、以下の3課題を学内横断プロジェクトとして掲げています。即ち、「水産業の成長産業化を目指した生産技術の開発」、「漁業・漁村振興を目指した水産資源や多面的地域資源等の管理技術の研究」及び「船舶における省エネ技術や衛生等の管理技術を取り入れた海技士教育の高度化」といった研究課題です。これらの研究成果を授業に反映していくということを目標としています(表5)。

表5 教育対応研究例(学内横断プロジェクト)

また、水産物が生産現場から消費者に購入されて食卓に上がるまでの水産のプロセスを五つの分野に分け、本科5学科の体制で教育を行っております。さらに、海技士の免許を取るということを目指した専攻科、大学院の修士課程に相当する水産学研究科が設置されています。そこで実施される教育の基本的なカリキュラムの考え方を表6に示します。どのような授業科目を学生たちに開講すれば良いのか、カリキュラムを作成するに当たり、授業科目を効果的に配置し水産学の基本と応用を体系的に結びつけ、水産を学ぶのだという動機付けを行い、水産分野の第一線に立っておられる教員の方々にも講義を行っていただくことで、最新の動向を学生が把握できるように心がけています。さらには、リメディアル教育の充実や基礎教育の強化というのが重要と考えております(表6)。

表6 カリキュラムの設定方針

水産大学校では、本科において修業した学生には学士(水産学)の学位を、水産学研究科においては修士(水産学)の学位を授与できるだけのレベルがあるということを(独)大学改革支援・学位授与機構から認定してもらっております。さらに、(一社)日本技術者教育認定機構(JABEE)より水産分野の技術士の教育プログラムに適合していることの認定を受けています。

また、2隻の大型練習船が保有され、乗船実習、漁業実習、海洋調査等が実践されています。練習船の画像を写真6に示します。最新鋭の船舶であり、天鷹丸では実習のための練習航海のみならず、水産研究・教育機構内の研究部門で行われる海洋調査や漁獲調査などの業務も担える仕様になっておりますので、最先端の洋上調査に学生諸君が立ち会え相乗効果が期待できるようになっています(写真6)。

漁業練習船 耕洋丸
総トン数:2,352ton
L×B×D:87.59×13.60×8.80
定員:109名
竣工:2007年6月
漁業練習船 天鷹丸
総トン数:995ton
L×B×D:64.67×11.90×6.98
定員:87名
竣工:2017年10月
写真6 水産大学校所属の練習船

さらに、水産研究・教育機構の中で研究所と統合していることでシナジー効果をあげることが期待されています。研究所でのインターンシップや練習船により調査航海と練習航海を併用して航海する共用船としての利用により、学生諸君を最先端の調査に立ち会わせてもらうこと、それから研究者の方々の協力をすることによって知識を深めていくことなどが考えられます。

大学校としての社会(地域)貢献としては、下関市立の水族館である海響館に常時研究スぺースの提供をいただき週替わりで各教員が行って研究成果等を市民の方々に公開したり、夏休みには小学生や中学生の自由研究で魚や船や海に関する研究に対して“お助け先生”として各先生には自由研究のお手伝いをするといった活動も行なわれています。

最後に、卒業後の資格等について表7に示します、先に説明しました通り本科では学士(水産学)・水産学研究科では修士(水産学)の学位が取得できます。さらに、海技士(航海・機関)の資格を得て船上での活躍を目指す学生には、本科での大学の単位を取得し乗船実習を重ね専攻科の課程を修了することによって、三級海技士の筆記試験が免除となるといった認可も受けています(表7)。

表7 卒業後の資格

人材育成の実績

人材育成の実積を上げるための諸活動として、入試への対応では熱意のある受験生を確保するため、高校訪問やオープンキャンパスを行い、入試会場も下関以外に東京、大阪、福岡の3会場を設けています。また、就職支援では企業研究会、合同企業説明会、企業訪問、本校在職の水産庁出身職員による公務員セミナー、水産庁や機構研究所等でのインターンシップなどを行い、学生の進路開拓に努めています。その結果、令和3年(2021年)度は募集定員に対する倍率は3.2倍、水産分野への就職率は80.4%となりました。また、専攻科に進学した学生の2級海技士の合格率は93.8%でした(表8)。

表8 人材育成の実績

最後に、コロナ禍の中で、試行錯誤を繰り返しながらの教育実践で、確実に教育の質を維持するということを心がけております。水産大学校は、実学を尊重することを校是に掲げてきており、水産現場の最前線で活躍する人材の輩出のためにも、教育に手を抜かないようにしっかり進めていきたいと思います。

著者プロフィール

下川 伸也しもかわ しんや

【略歴】 水産大学校専攻科専攻課程修了。大洋漁業株式会社(現:マルハニチロ)に入社し遠洋トロール船航海士として活躍した後、教員として水産大学校にもどり、2012年には水産大学校 海洋生産管理学科 教授を務めた後、学科長を経て、2022年4月から水産大学校の校長に就任。日本航海学会 理事、副会長、九州地方交通審議会 船員部会長等多数の委員会などでの要職も務めている。