水産振興ONLINE
636
2022年9月

東京湾と魚食の再生にむけて

牧野 光琢(東京湾再生官民連携フォーラム江戸前PT長、東京大学大気海洋研究所教授)

6. おわりに

東京湾再生官民連携フォーラムは、これまでの伝統的な省庁別政策の枠を超えて、民間の様々な主体が有する多様なアイデアと経験を共有し、連携し、ともに解決策を模索し、新しい試みや工夫を生み出していくという、新しい政策立案のモデルである。特に東京湾は、利害関係者が多く、開発が進み、利用も集中している極めて特殊な場である。その持続可能性を、流域圏に居住する3000万人の市民の日々のライフスタイルにわかりやすく、かつ直接につなげていくうえで、「おいしい魚介類」が有するアピール力は実に強力である。この点は、他の海洋産業に比して水産業が有する絶対的なアドバンテージである。皆で楽しみながら「エコでおいしい江戸前」にむけた知恵と工夫を出し合い、東京湾再生の輪を広げてゆくことで、もう一度首都圏に住む人々の暮らしと東京湾のつながりが取り戻せるはずである。それこそが東京湾の再生にむけた最も着実で根本的な方策であると考える。

その意味において、東京湾の水産業関係者は決して「首都圏開発の影響をうける被害者」という立場にとどまっていてはいけない。老若男女すべての市民が楽しむ、おいしい江戸前の魚介類とその文化を提供することこそが、人類の持続可能性を高めるうえで最も端的な、そして古来から続く最も本質的な人間活動なのである。水産業関係者は、市民から負託された東京湾の恵みを末永く利用し、伝えていくという重大な役割と責任を担っているのであり、そのプライドを胸に、今後も水産業界から一層積極的な魚食の魅力の情報発信を期待したい。第一章で示した各種調査や今回のオンライン大感謝祭のアンケート結果が示すように、市民はそれを強く求めている。

また同時に消費者側にも変化が必要である。価格だけで食べ物を選ぶ時代はもう過ぎ去ったのではないだろうか。多くの商品の中から特定のものを選び、購買するという行動は、その商品に対する応援活動であり、一種の意思表示でもある。特に、食品を消費するという行為は、他の生物の命をいただくという行為である。地元の海で生まれたエコでおいしい恵みを、一市民として適正に評価し、最後まで美味しくいただくことは、東京湾のみならず、日本と世界の持続可能性にむけ一人一人の消費者が担う責任でもある。

最後に、これからの日本でより高度に水産資源の持続的な利用を追求していくうえで、魚食文化の重要性を再度強調したい。おなじ1㎏の魚介類であっても、社会が変われば、その価値は変わる。たとえば海苔やフグなどは、日本を含むアジアのごく一部の国で資源として認識されているに過ぎない。イスラム文化圏にとってタコは悪魔の生物であった(現在は日本への輸出商材)。クジラも、食用の資源とみるか、観光の資源とみるかは、その国・地域の文化や価値観に依存する。社会科学者のEWジンマーマンは、資源を「自然―人間―文化の相互作用から生まれるもの」と定義している(Zimmermann1933)。いくら海の中に魚がたくさん泳いでいても、それを有効に活用し、おいしくいただく食文化がなければ、水産資源は存在せず、したがってその持続的な利用もないのである。社会が変われば資源は変わるのであり、バイオマスとして同じ1㎏の魚でも、社会が変わることによって、水産資源として大きくなったり、小さくなったりするのである。

このような、より広い意味での、そして本質的な意味での“水産資源”の考え方に基づいて、その持続的な利用の概念を表したものが図14である。海の中での生物再生産やそれを支える生態系、海の上で行われる漁業生産活動、そして陸の上での加工・流通を経て、調理された水産動植物が食卓に上がり消費されるまでの全体の繋がりを概念的にまとめたものである。このうち、どこか一部が細くなったり、あるいは途切れてしまったりすると、水産資源は縮小し、場合によっては消滅することになり、その持続性は担保されない。海洋生態系の中での再生産から社会を通じて各家庭の食卓にあがるまで、この水産資源の流れ全体を、強く、太く、滑らかにしていくことこそが、2018年に改正された漁業法の第1条に謳われている「水産資源の持続的な利用を確保する」ことが目指す状態ではないだろうか(牧野2020)。そのためには、生態系・環境への配慮や、資源の状態、漁業の管理、地域の持続性、健康と安全・安心、魚食文化の振興など、海の中から食卓までの様々な側面について、多様な施策を適切に組み合わせて実施していくことが重要である。このような視点から、我々江戸前PTは今後も水産業界と消費者の両方への働きかけを続けていきたい。

図14 水産資源の持続的な利用
(水産研究教育機構SH“U”Nプロジェクトウェブページ
https://sh-u-n.fra.go.jp/)より転載)