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2022年3月

定置網の急潮被害と対策
—本日天気晴朗なれども浪高し(潮速し)—

石戸谷 博範(東京大学平塚総合海洋実験場)

3. 天気晴朗で音も無く忍び寄る黒潮流入による急潮の事例

(1) 相模湾

ア 相模湾における1994年1月9日(日)に起こった急潮現象と定置網の挙動

相模湾は東西幅(城ケ島~真鶴間)40km、奥行(大島~相模川河口間)57km、最大水深が1,500mを越える開放的な湾です(図5)。沖合を東進する黒潮はその流路をしばしば大きく変化させることはよく知られています。1994年1月9日(日)夜半、湾西部に位置する大型定置網が急潮により600m移動させられました。1994年1月9日は、新年から、西高東低の冬型の気圧配置のもと、数日間続いた「天気晴朗な新春の海」でした。試験場の海の初仕事は、1月6日(木)の相模湾一周の沿岸定線観測です。後日判る事ですが、1月9日(日)の3日前の相模湾の入口である真鶴と城ヶ島の間の海を縦切りにする、水温・塩分の調査も含まれていました。この中には、水深500mまでのナンセン採水器での観測もあり、苦労は多いのですが、この急潮の解明には大変重要な調査でした。

皆様は、「寒の一発潮」という漁師さんの用語を聞いたことがあるでしょうか。1994年1月9日の急潮被害を見た先代の大船頭が、怖ろしいものに出会ったかのように、そう呟いたのです。

「寒の一発潮」という潮の呼び名は、相模湾西部の伝統漁場の漁業者の皆様の間で古くから言い伝えられてきたたもので、海の変化をこれほどまで的確に表現したものは少ないのではないでしょうか。本当に、驚くばかりです。まさに、寒中の晴れ上がった空の下で「本日天気晴朗なれども潮速し」の大自然の驚異が襲い掛かった様子を表しています。沖を流れる黒潮の何らかの変化が、原因となるもので、海況図や衛星画像もない昔では、不意を突かれた驚きがその表現に良く表されています。ここでは、「本日天気晴朗なれども潮速し」の「寒の一発潮」のお話をさせていただきます。

この時、湾西部と湾中央部の2点で流速、4点で水温のそれぞれ連続観測を行っていました。ここでは、各測点での解析を通して、天候とは無関係に静かに忍び寄る黒潮流入による急潮や定置網の状況を述べたいと思います。

(ア)流れと水温の変化

図16 (a) に小田原市江之浦沖(図5:EN)における流速ベクトルと水温の時系列記録を示します。1994年1月9日(日)の20:00に突然南向きの強流が発生し最大流速は23:20の1.4ノット(0.74m/sec)でした。この強流は、約2°Cの水温の急上昇を伴っていました。1月10日(月)の朝には、南向きの流れは弱まり、急潮の前とほぼ同程度の流れとなりましたが、高水温は、急潮後も続きました。強流の期間は約半日でした。流れと水温記録ともに、水温前線が岸に沿って江之浦沖を南向きに通過したことを示しています。

図16 (b) に江之浦沖と同時期の平塚沖での流れと水温の時系列変化を示します。強い西向流と水温の急上昇が江之浦沖で水温前線が通過した同日の1月9日に起こっています。平塚沖における西向流の最大流速は、5:00に観測された1.1ノット(0.52m/sec)であり、ほぼこの時間に水温が上昇しています。2地点における流向と観測点の位置関係(図5)から容易に判るように、平塚における西向流と江之浦における南向流は湾内に反時計回りの流れがあったことを示しています。最大流速は、江之浦より平塚が小さく、前者は後者の18時間後に起こっていました。

図16 (a) 江之(10m)の流向流速と水温変化
 (b) 平塚(3m)における流向流速と水温変化 E、N は磁東、磁北を示す(M.Matsuyama et al. 1999)
(イ)水温前線の伝播

図17に江之浦、平塚、鎌倉、城ヶ島における水温変化を示します。鎌倉における測定は10、20、30mで行われましたが、3層ともに表層混合層内で行われたため、データ間の水温変化は殆ど差が認められません。水温上昇は全ての水温記録に見られますが、暖水流入に関係した水温上昇の時間は、これら4測点間で明らかに差が認められます。急潮後の最初のピーク水温とその時刻は、城ヶ島では、9日0:00の18.6°C、鎌倉では9日08:00の18.4°C、平塚では9日14:00の17.9°C、江之浦では10日0:00の17.5°Cでした。ピーク水温が記録された時刻に明瞭なずれがみられ、湾内を反時計回りに水温前線が伝播していることを示しています。さらに、各測点における最高水温値は、東から西に向かって次第に低下しています。急潮前後の水温変化は、城ヶ島で3.5°C、鎌倉で2.5°C、平塚で2.5°C、江之浦で2.0°Cでした。水温前線の伝播速度は、時間差と距離から推算することができます。城ヶ島と鎌倉、鎌倉と平塚、平塚と江之浦との距離はそれぞれ20、13、23kmです。伝播速度は、城ヶ島と鎌倉間で0.69m/sec、鎌倉と平塚間で0.60m/sec、平塚と江之浦間で0.64m/secでした。推算される伝播速度はそれぞれ、ほぼ等しく、水温前線が0.6~0.7m/secのほぼ一定速度で岸に沿って伝播することを示しています。

図17 江之浦(水深10m)、平塚(水深3m)、鎌倉(水深10m, 20m, 30m)、
城ヶ島(水深3m)の水温の時系列変化(M.Matsuyama et al. 1999)
(ウ)気象衛星NOAAによる赤外線海面水温画像

流れと水温の記録は、暖水が岸沿いに反時計回りに移動することを明瞭に示しています。幸いなことに、暖水の流入前にNOAAの赤外線画像が相模湾周辺で薄く雲が掛かった程度で撮られていました。図18に1994年1月4日(火)から9日(日)までの画像を示します。図18の時間は日本標準時(JST)です。赤で塗られた海域は、黒潮起源の暖水によって占められている区域を示します。一方、青で示された海域は、低温な沿岸水や親潮系水で占められている区域を示します。

図18  気象衛星NOAAによる赤外線海面水温画像
(1994年1月4~9日)(石戸谷他、1995)
1:17:00(日本標準時)、1月4日
2:03:50、1月7日
3:17:27、1月7日
4:18:20、1月9日

1月4日17:00(図18の1)には、暖水はまだ相模湾内に流入していませんが、相模湾沖にやや接近していました。1月7日03:50(図18の2)には暖水は既に大島西水道から湾内に流入し、湾の東部まで達しています。次項に示すCTD観測は前日(1月6日午前)に行われています。1月7日17:27(図18の3)には、中程度の水温の暖水が湾内全域に及んでいますが、黒潮系暖水の大半は大島東水道から太平洋に流れ出しています。1月9日18:20(図18の4)には黒潮起源の暖水が湾内全域に波及し、この時に湾西部で定置網の流出被害が発生しています。これらの画像は、相模湾内へ流入する黒潮系暖水の流入過程を明瞭に示しています。

(エ)相模湾内における水温と塩分の鉛直構造

CTD観測は、1994年1月6日(木)に相模湾試験場の調査船しおかぜにより湾内の5地点で行われました。5地点の位置を図5に示します。水温と塩分の垂直分布を図19に示します。高温・高塩分水が湾の東側に分布しています。この図から暖水の厚さは約70m、幅15kmと見積もられました。

図19 真鶴~城ヶ島間の水温、塩分の鉛直断面(1994年1月6日に観測)
(石戸谷他、1995)
(オ)相模湾周辺における海面水位の変化

相模湾における水位の変化は、暖水流入に伴う水温や流れの変化に関連することが期待されます。図20に湾内における大気圧補正済の潮位を示します。各測点における1月1日から15日までの15日間の平均値を潮位ゼロとして表示しています。潮位上昇は三宅島(図5のMK)と神津島(図5のKZ)で1月2~3日に始まり、1月6日に最大となりました。両島における潮位の上昇は、僅か4日間で20~35cmに達したのです。両島における潮位の上昇は、黒潮が相模湾に接近していることを示しています。黒潮を横断する際の潮位差は80~100cmであることから、神津島における1月2~6日の急激な潮位上昇は、相模湾に黒潮が急激に接近したことを示唆します。両島の潮位は1月6日に最高に達した後、神津島では低下しましたが、三宅島では小変動はあるものの高潮位を維持しました。

図20  相模湾周辺海域における海面水位の時系列変化
(M.Matsuyama et al. 1999)

相模湾における潮位は、1月5日の早朝に最低になりましたが、1月5日から6日の僅か1日間で、全測点の潮位が約10cm上昇しました。その後、潮位は穏やかに上昇し、高潮位は1月9日または10日まで続いていました。顕著な潮位上昇は、相模湾内で水温と流れが変化する3~4日前に起こり、急潮予報の重要な鍵となっています。

(カ)黒潮流路の変動

相模湾の表層の流れは、黒潮流路の変動に強い影響を受けます。係留観測点と観測塔における流れと水温、CTDとNOAAの赤外線画像を含む全てのデータは、急潮が相模湾への黒潮の急接近により引き起こされたことを示しています。そこで、急潮の前後に黒潮流路に注目すべき変化があったかを調べてみます。黒潮流路の変化を図21に示す海上保安庁水路部発行の海洋速報から見ることができます。200m深における水温水平分布図は、1993年12月初めから1994年1月末までの間に半月ことに描かれたものです。

図21  日本南方における水深200mの連続する4期間の水温分布
(M.Matsuyama et al. 1999)
(1) 1993年12月1日~14日
(2) 1993年12月15日~1994年1月5日
(3) 1994年1月6日~19日
(4) 1994年1月19日~2月2日

黒潮流軸は、統計的に日本南方の200m深の15°C等温線と良く一致すると報告されています。加えて、図21が示すように15°C等温線は黒潮を横断する水温傾度の最大値に近くなります。15°Cの等温線から推定される黒潮の流路は急潮の前後で変化しています。黒潮は1993年12月まで非大蛇行接岸型(nNLM)でありましたが、1994年1月6日から19日の期間に非常に複雑な流路に変わりました。黒潮から分岐した暖水は、日本沿岸に沿って西向きに移動し、冷水塊を形成しました。その後。黒潮は冷水塊を伴って沖合に移動して非大蛇行離岸型流路(oNLM)になりました。急潮は黒潮流路が非大蛇行接岸型から離岸型に遷移する過程で発生したといえます。相模湾沿岸で観測された水温、塩分の急激な上昇は、黒潮を起源とする高温・高塩分水が相模湾に流入したことを示していました。

(キ)急潮の再現と定置網の網成り変化

急潮と定置網の網成り変化の関係を図22および23に示します。図22は最大流速時の流向と定置網の中心軸の差は6.5度であったことを示しています。そして、定置網は、矢印下流の方向に600m移動しました。図23より、0.0ノットでは、全ての浮子は水面にあり、網の各部は、理想的な形に展開しています。0.6ノットでは、潮上側の台浮子は、数メートル沈下し僅かに上下振動を始めます。運動場、登網、第一箱網が吹かれてその容積が減少します。1.0ノットでは、潮上側の台浮子が20mほど海面下に沈下し、振動が加速し、運動場、第一箱網、第二箱網が吹かれるとともに、側張りが沈下するため、全体がスリム化します。しかし、速い流れが細目の箱網部を直撃するようになります。1.4ノットでは潮上側の台浮子が30mほど海面下に沈下し、振動がさらに加速します。運動場、登網、第一箱網、第二箱網が吹かれ、側張りの沈下が更に進み、全体が益々スリム化します。そして、速い流れの細目部(箱網部)への直撃が進み、全体が急激に沈下します。そして、ついには、潮上側の錨が動き出します。錨の転倒順序は、潮上側台浮子の錨の内、流れの上流に張り出した陸側の錨から転倒が始まりました。その後、連鎖的に隣の錨へと転倒現象が伝播しました。台浮子の錨が全て転倒した後、2号前、運動場の錨が転倒します。

図22 大型定置網に対する最大流速時の流れの向きと流出方向
(石戸谷他、1995)
図23 二段箱式落網の流速と網成り(石戸谷 2001)
(相模湾試験場回流水槽実験より)

錨の転倒した順序は、大きな力が作用した順序とみなすことができるので、錨の転倒順序に従って錨綱を外す実験を行いました。台浮子の錨綱の破断が進むに従って、台浮子の片振動(図24)が激しくなり、残された錨綱の破断が更に発生し易い状況になります。台浮子の全ての錨綱が破断すると台浮子が急激に浮上し、渡綱に大きな衝撃を与えます。自由になった台浮子は運動場の中に入り込み側張りを引きずりながら潮下へと流れ、定置網全体の流出へと続く状況が観察されました。

図24 錨綱の破断と台浮子の片振動(石戸谷他1995)
(相模湾試験場回流水槽実験より

イ 2001年1月23日(火)に発生した急潮

この日は、試験場は調査船うしおで小田原沖の定置網の水中カメラによる錨綱調査を行っていました。水中カメラ調査が可能ということは、凪であることが条件で、まさに「天気晴朗なれども潮速し」を象徴する一日でした。調査も順調に進んでいた船上に、試験場より「二宮漁場で急潮被害発生」との一報が入りました。急潮が発生すると定置網の台浮子が急激に沈下し、船の面手綱が外せなくなることと、二宮漁場の被害状況を一刻も早く調査するため、急遽、水中カメラ調査を中止し、被害のあった二宮漁場に向かいました。二宮沖に向かうまで、海は次第にその青さを増し、黒潮色なす群青の海に変化していきました。現場に到着すると定置網は、ワイヤーロープが切断された様子で「転倒返し[*]」という大被害の状況でした。二宮漁場の近くに設置していた流速計を引き上げ、早川港に戻り、湾西部の定置網を一望できる、源頼朝挙兵の地、石橋山から海を見ると、午前中よりやや風が出てきましたが、晴朗な海が広がっていました。その時刻には、近くの定置網の台浮子は正常に海面に浮いていました。それから数時間後に急潮は湾西部に到達しました。定置網に設置されていたテレサウンダーの画像は、19時頃から箱網の大きな吹かれを記録しました。そして、19:40最大流速1.5ノットを記録しました。翌早朝02:40でもまだ流れは速く1.0ノットで、台浮子は沈下したままで、「網が見えない。流出か。」と漁業者の皆様の間に動揺が走りましたが、07:40頃より0.6ノットを下回り、台浮子が浮上し、無事であることが判りました。皆様、一安心したのです。この急潮も「本日天気晴朗なれども潮速し」しかも「寒の一発潮」でありましたが、その状況をお話しします。

(*「転倒返し」とは、急潮により上流側の台浮子の錨綱や渡綱が破断して、破断した綱に連結している数百mのすべての部材が下流側の台浮子を越えて下流へ流され、定置網が裏返しになることを言います。)

(ア)大島東水道からの黒潮系暖水の侵入と天気晴朗な日々

図25に、急潮発生前日の一都三県漁海況速報図を示します。伊豆諸島東岸を北上する黒潮本流から大島東水道に向かって小さな矢印が出ているのが判ります。19°Cの暖水が城ヶ島に到っています。

図25 2001年1月23日の相模湾における急潮発生前日の一都三県漁海況速報図
(1月22日)(神奈川県水産技術センターHPより)

図26に2001年1月の江之浦10mの流れと平塚における風、1/3有義波高を示します。23日の江之浦沖の急潮発生が記録され、波、風ともに穏やかな、「天気晴朗」な天候で発生した、「寒の一発潮」であることが判ります。

図26 2001年1月の江之浦10mの流向流速と平塚の風、平塚の1/3有義波高
(イ)流れの記録と網成りの変化

図27に2001年1月23日に相模湾で発生した急潮の二宮、米神、江之浦の10m水深における流れ図を示します。1月23日に二宮で1.0ノット(西向流)、米神で1.5ノット(南向流)、江之浦でも1.5ノット(南向流)の急潮が記録されています。

図27 2001年1月23日に相模湾で発生した急潮
(上段:江之浦、中段:米神、下段:二宮 いずれも水深10m)

湾央部の二宮より湾西部の米神・江之浦で流速が速くなっていることが判ります。

図28に二宮沖に敷設されていた両中層網の流れと網成りの関係を示します。0.0ノットでは全ての網が形よく展開しています。被害が発生した1.0ノットでは、垣網、運動場、両袋網が大きく吹かれ、潮上側の台浮子は数m沈下しています。この流速で主側張りのワイヤーロープが破断されました。その後、漁場から試験場に急潮被害に対する網捜索依頼がありました。試験場では、流向流速データから、網の移動方向と距離を計算し、流出予想位置を定めて水中カメラで調査を行い、網を無事、発見しました。

図28 両中層網の網成り(石戸谷2005)(相模湾試験場回流水槽実験より)
(ウ)寒の一発潮の特徴

図29に1994年1月9日と2001年1月23日の両日に発生した急潮の流れ図を示します。両日の流れともに、一挙に1.4ノットから1.5ノットの流れが発生し、10~18時間かけてゆっくりと流れが低速化することが判ります。この流れ始めに、強流が発生する突発的な現象が特徴的で、このことが「寒の一発潮」の語源になっているとも考えられます。相模湾西部の漁業者の皆様は、流速計の無い時代より、肌身でこの急潮を感じ取り、寒い時期に突然にかつ最初の第一発が極めて速い流れであることが多いことから、「寒の一発潮」と言い伝えてきたものと、これらのデータを見て実感できます。

図29 寒の一発潮の流れの様子
(相模湾西部・小田原市江之浦沖水深10mにおける黒潮による急潮)
左図:1994年1月9日 右図:2001年1月23日

ウ 1994年1月9日と2001年1月23日の急潮の伝搬時間

図30に城ヶ島沖ブイを基点とした黒潮系急潮の到達所要時間を示します。1994年1月9日の急潮は大島西水道から侵入しました。この当時は城ヶ島沖ブイはまだ設置されていませんでしたので、2001年1月23日の城ヶ島沖ブイと三崎の所要時間を用いて計算しています。その結果、城ヶ島沖ブイを起点とする到達所要時間は、鎌倉まで14時間、平塚20時間、江之浦30時間と推算されました。

図30 城ケ島沖ブイを基点とした黒潮系急潮の到達所要時間

2001年1月23日の急潮は大島東水道から侵入しました。この急潮では、城ヶ島沖ブイを起点とする到達所要時間は、三崎まで6時間、平塚23時間30分、大磯24時間20分、二宮27時間、米神35時間30分、江之浦35時間50分と推算されました。2001年1月23日の急潮の方がややゆっくりと伝わっていますが、城ヶ島沖ブイで水温の急上昇(=急潮発生のシグナル)が感知されてから、湾西部の江之浦まで1日と数時間~12時間前後を要することが判っています。この間に箱網撤去等の対策を講じることが重要となります。

黒潮の急潮による被害は、相模湾では、特に湾西部沿岸で多く、冬の「寒の一発潮」として恐れられています。また、夏には、江之島など湘南海域の沿岸で2ノット近い急潮が観測されています。

(2) 千葉県外房の例

ア 2007年8月6日(月)

この日は、真夏の晴天の暑い日で、風も波も無い、「天気晴朗」な一日でした。外房の大型定置網で「逆潮の急潮が発生した。」との情報がありました。逆潮とは、南向流で、銚子から洲崎に向かう潮の方向を呼びます。ちなみに北向流を真潮と呼びます。黒潮が数日前より外房に接近し始め、急潮発生の当日から翌日には、特に大接近したことが判ります(図31)。

図31 外房に黒潮本流が接近する状況 2007年8月6日、7日
関東・東海海域漁海況速報(神奈川県水産技術センターHPより)

イ 2020年6月7日(日)

この日も「沖縄・奄美は前線の影響で雨、その他各地は高気圧に覆われて概ね晴れ」で、風も波も無い「天気晴朗な」一日でした。外房の大型定置網漁場で逆潮の急潮が発生しました。1.9ノットの流れとの情報もありました。この日の衛星画像を図32に示します。外房沖近くを流れる黒潮本流から分岐した暖水が沿岸に沿って南西方向に侵入し、この暖水が逆潮の原因となっていると考えられました。

図32 外房に黒潮本流から分岐した暖水が来襲する状況(2020年6月7日)
NOAA衛星画像(神奈川県水産技術センターHPより)

ウ 2020年12月7日(月)

この日は、冬型の気圧配置で関東地方は晴れ、風も波も無い「天気晴朗な」一日でした。外房の大型定置網で「沖作業中に強い逆潮が発生した。」との情報がありました。図33にNOAAの衛星画像を示しますが、少し雲が掛かっていますが、関東の沿岸は綺麗な画像が撮れていました。2020年12月7~8日の画像は、黒潮本流から分岐した暖水が外房に沿って南下し、この暖水が逆潮を発生させていると考えられました。

図33 外房に黒潮本流から分岐した暖水が来襲する状況(2020年12月7日、8日)
NOAA衛星画像(神奈川県水産技術センターHPより)

このように、外房の定置網漁場は、夏期・冬期ともに、黒潮の影響により発生する逆潮の急潮により、網が被害を受けることが多く、また、外房から茨城沖の北寄りの強風後には、鴨川沖海底谷で強化された逆潮が発生しますので、時間的余裕を持った慎重な網管理が望まれます。

外房の定置網の漁場に立つと、沖の方向には、まったく陸地はなく、海が荒れれば浪は高く、黒潮本流が目と鼻の先を流れ、北からは親潮が差し込み、これほど厳しい自然条件の漁場は少ないと思いますが、その分、海の幸も驚くほど豊かであると感じます(図34)。

図34 鮮度抜群の外房の定置網漁