水産振興ONLINE
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2020年12月

漁村女性のこれまで、そしてこれから
—全国漁協女性部連絡協議会60周年を記念して—

副島久実(摂南大学 准教授)
三木奈都子(水産研究・教育機構 室長)
関いずみ(東海大学 教授)

第2章 漁業・漁村における女性の役割

まず、漁業・漁村における女性の役割を確認したいと思います。

(1) 海上作業と女性

日本の漁村には、魚を獲ったり、魚を育てたりする生産に関わる仕事(海上作業)に関わる女性たちがいます。彼女たちはどのように関わり、どのような役割を果たしているのでしょうか。実態調査をもとに、彼女たちの仕事や役割をみてみます。

自家漁業の陸上作業に従事する女性の割合は30.6%、加工場の従業員は女性が60.1%(2018年漁業センサス)となっており、女性の漁業・水産業における役割の中心は陸上活動であることがわかります。しかし、海女や夫婦操業のように、女性が海上作業に従事する地域は少なくありません。海上作業に占める女性の割合は11.5%(2018年漁業センサス)となっています。近年では、神奈川県や三重県の事例のように、自らが経営者として漁船漁業を営む女性も出てきています。K漁協に所属するMさんは、地元のシラス加工場で働き始めたことがきっかけで海に魅せられ、シラス漁だけでなく見突き漁や刺網などを親方に教わりながら、2006年に漁協の准組合員となりました。中古の漁船を譲ってもらい、休まず操業して実績を積み、2008年には正組合員になりました。水揚げで貯めた資金で、0.5トンの新造船を造り、今ではベテラン漁師となっています。

大分県臼杵市では、いくつかの地区で古くから一般的に夫婦単位で海上作業に従事してきました。臼杵市の漁業就業者の男女の割合は、男性75%、女性25%(2018年漁業センサス)となっており、全国(男性88.5%、女性11.5%)と比較すると、女性の割合がかなり高いことがわかります。臼杵市泊ケ内地区ではタチウオひきなわ漁業が営まれており、基本的に夫婦操業が行われています。泊ケ内地区では、昭和50年代からタチウオ漁が盛んになり、多くの漁家で、夫婦ともに海上作業に従事しました。船上では夫が操船作業を行い、妻は縄の投入と回収、針からタチウオを外し選別して発泡の箱に納める作業を担当しています。タチウオは表面の銀がはがれると値段が下がります。女性は概して魚の扱いが丁寧で手仕事が得意であることから、男性からも頼りにされています。2013年に泊ケ内地区の女性漁業者に海上作業に従事することについて尋ねたところ、『家業であるから仕方なく乗船している』、『船に乗り始めたころは船酔いがひどく、薬を飲みながらの作業で非常に辛かった』といった負の意見も聞かれました。しかし、『自分は泳げないし、最初のころは船に乗るのは怖くて嫌だったけれど、タチウオ漁は儲かることがわかって、積極的に乗るようになった』というように、漁家収入が動機づけとなって、海上作業に意欲を持てるようになった経緯を語った女性もいました。一方で、『積極的に海上作業に参画している』、『海上作業は大変だが、船に乗ることによって、漁業収入の把握と確保、管理ができる』といった、海上操業について前向きに取り組む女性の姿も見ることができました。『魚を獲る現場にいると欲が出て、少しでも魚が獲れるように夫に意見を言うこともある』、『夫とともに船に乗ることで、自分の仕事としての自信と自負心が持てる』、『夫と同等な立場で働いているという自信が持てる』というように、夫と共に海上作業を行うことが、漁家における女性の位置づけを明確にしていることも伺えました。漁家によっては、家計管理をする中で、自分自身の稼ぎ分をきちんと受け取り、個人で自由に使えるお金の確保ができているという女性もいます。男性からも、『共に仕事をするパートナーとして、女性の存在に一目置き、女性の役割が収入の多寡を左右するという認識を持っている』という意見が聞かれました。また、タチウオは水揚げしてからの取り扱い方が値段に反映されることから、選別や箱詰めの作業は重要だという認識は男女ともに高く、『タチ釣りは妻が主役』と言い切る男性もいました。夫婦で乗船する理由としては、船上での作業分担ができることが第一に挙げられます。近隣では一人操業を主とする地区もあるということですが、泊ケ内の漁業者は、二人の方が作業は効率的で売り上げも高くなるという認識を持っています。また、安全面でも二人で乗って行く方が良いという意見が多いようです。

このような地区では、夫が高齢化し漁業を引退すると、妻はおのずと船を降りることになります。また、妻の体調の問題で乗船を続けられなくなるというケースもあります。泊ケ内地区で行った調査では、『妻の足が悪くなって、だんだん船に乗れなくなった。しばらくは一人で乗って行っていたが、負担も多く、自分の体調も悪くなったためタチウオ漁はやめた。』という事例も聞かれました。

女性の海上作業の状況について、泊ケ内地区と同じく夫婦操業が行われている岡山県瀬戸内市牛窓地区で行った事例を用いて整理してみます。牛窓地区では、海苔やカキの養殖、底曳、つぼ網、建網、刺網、アナゴ縄、アナゴ筒、釣りなど多様な漁業が営まれています。ここでは古くから小舟に2〜3名が乗船して操業する形態が一般的であり、戦前までは人を雇って乗船していたと思われますが、戦後の漁業不振の時期に経費削減を目的として夫婦で乗船する形態が定着したと見られます。調査当時(2009年)の牛窓地区の海上作業者数を見てみると、男性70名(正組合員)、女性38名(漁協女性部所属者のみ)となっており、女性の海上作業に占める割合は35.2%でした。近年でも海上作業に占める女性の割合は28.9%(漁業センサス2018年、岡山県瀬戸内市)となっており、全国と比べて女性が海上作業に従事する比率はやはり高い傾向にあります。船上での女性の作業は、主に水揚げされた漁獲物の選別です。女性の海上作業は、地区で営まれる漁業種類全般にわたっていますが、カキ養殖では女性の作業は陸上のカキ剥きが中心であり、乗船機会は少なく、釣り漁業は比較的高齢のUターン従事者が多いことから女性が乗船する割合が低いといった特徴があります。

比較的若い世代では、夫婦操業をせず妻は家の漁業ではなくあえて外の仕事に従事している、ということもしばしば聞くようになりました。泊ケ内地区の男性S氏(50歳代、2014年当時)は70歳代の父親と二人で船に乗り、妻は外で働いています。実際に自分が病気で倒れた時には1年程休漁せざるを得なくなり、その時は妻の収入があったおかげで家計を維持できたといいます。他の地域でも、『家族での作業を行ってきた養殖漁家で、漁業不振の時のための家計の危機回避策として、後継者の妻があえて他の職に就いている』、『漁業不振が続き、それほど女性の手がかかることもなくなってきたので、外で働くようになった』(いずれも青森県)という対応がなされています。

一方で、最近増えつつある自営漁業のIターン漁業者の場合、漁業者になりたての夫の安全面が心配であえて妻も乗船するケースや、一人よりも二人で乗って作業を分担したほうが結果的に水揚げが増えるために妻が積極的に海上作業に従事するケースもみられます(山口県など)。彼女らが今後も海上作業に従事していくのかどうか、長い目で観察していきたいと思っています。

(2) 陸上作業と女性

漁村女性の多くは陸上作業を通じて漁業に貢献しています。既に示したものもありますが、陸上作業にはどのようなものがあるのでしょうか。それらは漁業にどのような意味があるのでしょうか。あらためて実態調査をもとにみていきます。

特に沿岸漁業においては、陸上作業を担う女性たちの存在があってこそ、海上作業の継続が可能となっているという漁業種類も少なくありません。また、水揚げ量の増大が見込まれない昨今では、漁業経営や地域において、細やかな選別作業や販売方法の改善などの陸上作業のありようが、ますます重要になってきています。漁業における女性の役割は、海上作業に出かける夫たちのための弁当作り、陸揚げの手伝い、カゴや漁具の洗浄作業といった、漁労を行う男性をサポートする仕事から、陸揚げされた水産物の選別、運搬、加工、販売といった流通にかかわる仕事など多岐にわたります。こうした陸上作業には大別してみると次のようなものがあります。

① 漁具の準備・漁獲後の後処理

漁具の準備として、はえ縄漁業の鉢づくり作業等が挙げられます。山口県萩市のある地区では、一人乗りのはえ縄漁業のためのエサ切りや鉢づくりに女性が深く関わっています。以前は、地元で漁業を引退した高齢者に外注していました。その際には、外注作業や人員集め、材料の運搬などを漁家女性の采配で行っていました。しかし、それを請け負う高齢者そのものが少なくなっているため、今では全面的に漁家女性が行っています。作業の中でも、餌用のイカを切る作業が非常に大変ですが、漁家の女性たちは天気や漁模様、家事の状況をみながら、細切れの時間を綴り合わせながら餌づくりを行っています。

漁獲後の後処理としては、刺網漁業、船びき網漁業、小型底曳網漁業、イカ釣漁業等における荷揚げ、選別、出荷作業が挙げられます。漁獲後の後処理に関して、中村(1994)は、茨城県大津地区での船びき網漁業における女性たちの荷揚げ作業について「漁業が沖で魚を取っているだけでは成り立たない。いかに陸回りの働きが重要で相互協力体制が必要か」と述べています1。同時に、重労働であるとはいえ、その部分を単に機械化すれば良いというわけではなく、「かえって非効率で危険であることもあるため、一見、原始的にみえる人力作業も、協同作業になることで大量の漁獲物を効率良く処理することができる」という陸上作業の特徴も指摘しています2

② 商品化プロセス(自家加工)

日本は、コンブ、ワカメ、ノリ等の海藻類やカキは自家加工を基本としてきました3。これらの漁業種類の中で、例えばカキ養殖業では、むき身作業という陸上作業で、漁家女性はもちろんのこと、地元の女性たちも深く関与してきました。しかし、現在は外国人労働力によって労働力不足を解消しようとする動きが強まっています。また、ウニのから剥き作業にも漁家の女性が関与しています。ウニのむき方や陳列の仕方等によって大きく値段が左右されるので、高い技能が必要とされる作業の一つです。山口県ではIターンの妻が積極的にウニ剥き身作業に従事し、自ら市場へ出荷し、仲買人たちの反応をみたり、意見を聞いたりして、それをまた自分の作業に活かすことによって、より高い収入を確保していこうと努力している様子がいくつも観察されました。彼女たちは一様に、「ウニの作業は本当に大変だけれど、自分の仕事が売り上げという目に見える形で返ってくるのでやりがいがある」と言っていました。

③ 販売

特に瀬戸内海地区や西日本地区における小型底曳網漁業等では、いわゆる市場価格がつきにくい雑魚とよばれるような漁獲物が水揚げの多くを占めることが多いという特徴があります。そのため、漁家女性たちによる漁獲物の消費者への直接販売という実態が広く観察されています4。地域によっては、こうした直接販売による売上が漁家経営の状況を大きく左右するケースもあります。

④ 経営管理

営漁簿や漁作業日誌の記帳、税の申告等も漁家女性の労働となっていることが多いです。また、漁協女性部としても、自分たちの生活を向上させたいという思いから家計簿記帳活動として勉強会等を積極的に展開した例も多く、自分たちで学習する機会をつくってきました。他にも、なかなか表立ってはみえてきませんが、漁家女性による労働力をつなぎとめるための労働があります。例えば、北海道のコンブ漁業等では雇用者の管理作業として、人集め、彼らをつなぎとめるためのサービス、賃金支払い、作業の指示等を女性が行っています。鹿児島県垂水市牛根地区のブリ養殖経営体では、養殖の作業を漁家以外の地元の人たちに手伝ってもらうことが多いのですが、近年、彼らに賃金を出すほどの経営的余裕がなくなってきました。そこで重要となってきているのが漁家女性による弁当づくりです。いかに自分たちの弁当に魅力を出し、人を惹きつけるかが、手伝い人員を集められるか否かに大きく関わっています。そのため、漁家の女性たちはほぼ毎日のようにメニューに頭を悩ませながら数十人分の弁当をつくっているのですが、高齢になるとこの労働が体力的にも精神的にも厳しいものとなり、魅力的な弁当づくりができず、人集めもできなくなるという課題が大きくなりつつあるといいます。そこで、個別漁家で弁当づくりを行うのではなく、地域として弁当づくりを行うような仕組みを作ってはどうかという意見が、若手の漁家女性から挙がっていました5。しかし、こうした労働は、家事の延長、つまり周辺化された労働とみなされがちで,実際の貢献度に比べて評価は低くみなされていると思われます。

⑤ 漁村女性起業

現代的な部分として漁村女性起業という形の陸上作業の変化もあります。漁村女性起業は、漁家という単位を超えて、漁家女性たちが組織をつくり、地域の漁獲物に加工する等して付加価値をつけ販売していこうとするケースが多いことが特徴で、陸上作業の様相の変化の一つと捉えることができます。少し古い情報になりますが、東京水産振興会・うみ・ひと・くらしフォーラム・株式会社漁村計画の報告によると、現在、漁村女性起業グループは全国で少なくとも364グループ(2010年)が確認されています6

このように多様に存在する陸上作業ですが、それを主に担ってきた女性たちも高齢化し、労働力不足が大きな課題となっています。それを補うように外国人労働力の活用やICT化による省力化・省人化の取り組みなどが行われています。一方で、陸上作業の労働力が確保できないために、その漁業自体をやめる例も出てきています。漁獲物の商品化にむけて重要な過程である陸上作業の労働力を漁家や地域でどのように確保するのか、どのように陸上作業の技能を継承、発展させていくのかが重要な課題となってきています。

(3) 漁協女性部の取り組み

多くの漁村女性が関わる組織として漁協女性部があります。漁協女性部とはどのような組織でしょうか。2019年に60周年を迎えた漁協女性部は今、どのような状況にあるのでしょうか。いくつかの事例を盛り込みながらみていきます。

① 漁協女性部の始まり

漁協女性部活動は、1951年の北海道の積丹半島にある泊村の盃(さかずき)漁協の女性たちの一言から始まりました。その当時、それまで大漁にとれていたニシンがパタっととれなくなってしまい、イカも不漁続きになってしまった盃漁協地区では、このままでは正月も迎えることができないとみなが心配するような家計状況でした。そこで、組合長が信漁連にお金を借りにいったところ、「貯金がなければお金は貸せない。1日1円でもいいから貯金してください」と言われてしまったといいます。お金がないから借金を頼みに行ったのに、貯金がないとお金を貸してくれないなんて…と思いながら村へ帰った組合長が家事をやりくりする女性たちにそのことを伝え、何度もみんなで話し合いをした結果、女性たちが立ち上がりました。盃漁協婦人貯蓄実行組合を組織して、「1日10円、1か月300円」を目標に貯金推進活動を開始したのです7。この動きが長崎県にも伝わると、早速、翌年1952年の2月には長崎県壱岐郡に勝本町漁協婦人部が結成されました。その後、漁協女性部作りの熱が壱岐郡内にあっという間に広がり、5つの漁協女性部が誕生しました。そして1955年10月には、壱岐郡漁協婦人部連絡協議会結成へと発展しました8

その後、長崎県以外でも次々に漁協女性部が誕生し、都道府県別の漁協女性部連絡協議会の設立も相次ぎました。これを受けて1957年9月には第1回全国漁協婦人部連絡協議会が開催され、全国的視野に立った漁協女性部の組織化が検討されました。そして1959年9月の第3回全国漁協婦人部大会で、24都道府県の漁業婦人部連絡協議会を直接会員とする「全国漁協婦人部連絡協議会」の発足が満場一致で可決されました9

1951年に北海道の盃漁協から始まった漁協女性部は、8年後の1959年3月時点で1,065部、部員数が約19万600人にも増加しました。漁村の女性がここまで組織化されたのは、初めてでした。その後も、漁協女性部の貯蓄推進活動は活発化しました。1974年から実施された全国漁協貯蓄1兆円達成運動が1年繰り上げて目標達成できたのは、漁協女性部が大きく貢献したためと評価されています。漁協女性部の初期の活動は、このように貯蓄推進活動を柱にして展開し、漁協信用力の強化に深く関係してきました10

② 主な活動

漁協女性部の主な活動としては以下のようなものがあります。

海難遺児を励ます運動

漁業はもともと海難というリスクが高い産業ですが、労働安全の考えが十分ではなかった頃、沖合・遠洋漁業を中心に海難事故が多発し、1961年・1963年・1965年の海難による年間の死亡・行方不明者は500人台に達していました11。当時、夫や父を亡くした海難遺族は、わずかな補償と世帯主である女性の低い就労所得で生活していかざるを得ませんでした。多くの漁村では海難事故が発生した場合、地域の漁業者が漁を停止して捜索活動を行い、陸上では漁協女性部など女性たちが中心となり捜索活動をする漁業者に食事を提供する炊き出しをして、地域一丸となって海難事故に対応しました。海難遺族に地区内の仕事を優先的に斡旋するなど地域的には強い相互扶助の関係も示されました。漁業者や漁協女性部が組織的に海難遺児を支援する大きなきっかけとなったのは、1965年10月に発生したアグリガン事件でした。これは、マリアナ諸島アグリガン島沖でカツオ釣り漁船7隻が台風に遭って集団遭難し、208人が死亡するという大事故であり、大勢の子供たちが海難遺児として取り残されました。

基本的に海難の危険性はどこの漁村でも同じで、また、働き手を失った遺族が大変な状況下に置かれてしまうことが多かったため、漁村の女性たちはこの事件を人ごとではないととらえ、カンパやチャリティなど海難遺児達を励ます全国運動を展開させました。1969年には「漁船海難遺児を励ます全国協議会」が設置され、本格的な運動が進められるようになりました。この運動は当時としては画期的なもので、海難により父親を亡くした子供達を精神的・経済的に励ます手作りの活動として、社会的にも注目を集めました。運動は継続して取り組まれ、1970年10月に海難遺児の教育費の貸与・給付を行う現在の「社団法人漁船海難遺児育英会」が設立されました12

漁協女性部の活動としては、1986年度から「漁船海難遺児を励ます運動」として募金活動を展開してきました。その他、都道府県ごとに活動が行われ、例えば兵庫県では、1977年から「県内海難遺児を励ます運動」に取り組み、海難遺児の小中学生を対象にした高野山への参詣や、入進学祝い金の贈呈を開始しました13

この運動は、漁船海難遺児を励ます募金という形で現在も続けられています。漁協女性部数や漁協女性部員数の減少が影響して募金額が減少しているものの、2015〜2018年度の全国の募金額は300万円台を維持しています。

石けん使用推進運動

高度経済成長期に多発した公害問題に対して、漁業側としては、まず1966年に全国汚水公害対策協議会を組織しました。1970年10月には全国漁業協同組合連合会が「公害絶滅全国漁民総決起大会」を開催し、全国的な反公害運動を開始し、同年、漁場油濁被害救済基金も作られました。漁協女性部でも1974年から合成洗剤追放運動に取り組み始め、1975年度の全国漁協女性部連絡協議会の総会で、「有害合成洗剤追放運動」を展開する決議がなされました14。本州の最東端に位置する岩手県の重茂漁協では、1976年から「売らない・買わない・使わない」という合成洗剤3ない運動を開始しました。地区内の各世帯に合成洗剤の危険性を知らせるチラシを配布したり、戸別訪問を実施して合成洗剤を漁協が買い上げ、石けん製品を漁協の購買経由で扱ってもらったりと積極的な行動を起こしていきました15

公害問題に対して漁業側は、上記のような組織的対応を図ったものの、水質汚染は原因が発電所、工業廃水、油の流出、農薬、家庭排水と多岐に渡り、また、大気汚染と異なり直接的な影響がほぼ漁業者だけに限られるため、漁業者中心の住民運動から市民運動にはつながりにくいものでした。同じ高度経済成長期に生じた埋め立て問題と同様に、漁村内の資本側との雇用関係や被害状況の違いから漁業者が分裂・対立し、この時期に漁村の共同体的性格が急速に変容していきました。さらにその後も原子力発電所問題が加わり、漁村は分断されていきました。漁協女性部が始めた合成洗剤追放運動は、1996年からは「森と川と海をつなぐ環境保全運動」という名前に変わり、水環境への負荷の少ない石けんを使う運動や、木を植えて魚を増やす運動(植樹運動)などに展開し、漁協系統組織や漁協女性部だけでなく地域住民等をまき込む幅広い環境保全運動に成長していきました。

現在、石けん使用推進運動として、わかしお石けん類の取り扱い実績が示されています。その取扱い実績は2016年度に約3,240万円だったものが、2018年度には約2,940万円に減少しました。これには漁協女性部数や漁協女性部員数の減少だけでなく、「おせっかい」を控えるような近隣との関わり方の変化等も影響していると考えられます。

魚食普及活動

1980年代半ば以降の漁協女性部活動のなかで広く展開したのは、魚食普及活動でした。この活動の広がりは、後に漁協女性部が経済活動に乗り出す基盤を作ったという意味でも評価できます。1983年度の全国漁協女性部連絡協議会の通常総会で、「健康をめざした食生活の見直しと私たちが進める魚食普及活動推進要領」が定められたのを受けて、全国漁協女性部連絡協議会は第1次魚食普及活動3ヶ年計画(1983〜1985年度)を作成し、自主運動を進めました。1986年度からは、3年間の第2次魚食普及活動をスタートさせました。「沿岸水産物(魚貝藻類)・近海魚を通じての消費拡大(魚食普及)のキャンペーンを地域において具体的に実行しよう」がそのスローガンでした。

各地の漁協女性部では、魚食普及を進めるための消費者との交流や学校関係者との提携による魚食普及活動、学校給食の食材の供給、その他各種イベントへの参加、地域特産品の開発などの水産物加工、アンテナショップ・直売所、朝市などにおける販売活動など、様々な活動に取り組みました。

早くから開始された魚食普及活動の事例としては、島根県漁協婦人部をあげることができます。地域に水産物の行商人が多かった恵曇漁協婦人部では、1970年代の漁協女性部発足当初から魚食普及活動が熱心に行われてきました。当時、売れ残るほど漁獲されていたイワシをなんとか利用したい、それを医師から骨の弱さを指摘された地元の子供達に食べさせたいという気持ちからだったといいます。恵曇漁協婦人部では①大衆魚の普及、②未利用資源の開発、③新製品の開発、④添加物を入れない、⑤健康な食品を作る、を目標にしてきました。1989年には、電源三法交付金制度を利用して漁協女性部の水産加工センターを完成させ、安定的に加工製品を作ることが可能となりました。1992年には、イワシ料理を集大成した小冊子「ふるさと鹿島のいわし料理」を印刷物として世に出しました。積極的な商品開発の結果、加工品のレパートリーを年間40種類以上にも広げ、これらを学校給食や老人施設などを中心として販売し、経済活動の規模を拡大していきました。恵曇地区での漁協女性部活動による魚食普及活動は、2019年度まで魚料理教室の開催などの形で継続されていましたが、部員の高齢化などを理由に2020年度に休止しました。

このような息の長い活動の背景には、当時の漁協女性部員の多くが松江の街まで行商し、鮮魚・ワカメ等を販売し生活を支えていたという行商人であったために、魚食普及・食育・地産地消の基本を身につけていたことがあります。顧客のニーズに合わせ、刺身・煮付け用等に下ごしらえをして顧客の家をまわり、ゴミは持ち帰るという商いです16

愛媛県では、1985年頃から消費者との相互交流や県内産水産物のPRなどを通じ魚食普及の総合的な推進を目的に「愛媛県魚食普及推進協議会」が発足しました。地域に密着した魚食普及活動を推進しようと、漁協女性部員を中心とした「おさかなママさん」の育成・認定が行われるようになりました。彼女らを中心に、各地域で「おさかな料理教室」や「おさかなキャラバン隊」による人形劇が上演され、魚食普及活動が進められました17

現在も魚食普及活動を行う都道府県は多く、2018年度は全国漁協女性部連絡協議会に入っている35都道府県のうち、33都道府県の漁協女性部がなんらかの魚食普及活動を行っています18

男女共同参画推進活動

男女共同参画社会基本法第2条によれば、男女共同参画社会とは、「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」のことです。

日本においては、1983年に婦人問題推進本部が策定した「西暦2000年に向けての新国内行動計画」で男女共同参画推進の方向が示され、1999年6月の「男女共同参画社会基本法」後に、男女共同参画社会の実現に向けた政策が出されるようになっていきました。農林水産分野では、上記の「西暦2000年に向けての新国内行動計画」をふまえ、農林水産省が1988年に3月10日を農山漁村婦人の日と定めました。農山漁村で働く女性は、農山漁村で働く人の約6割を占め、しかも家事・育児や高齢者の介護などにも大きな貢献をし、農山漁村で重要な役割を果たしているにもかかわらず、地位が低いのが現状です。このような状況を打破し、農山漁村女性の適切な評価と、能力の活用を促す運動の一環として「農山漁村婦人の日」が定められました19

1992年には農林水産省から「農山漁村女性に関する中長期ビジョン」が示され、その実現に向けた女性の参画等の促進のための啓発や女性の起業支援等が行われるようになりました。その課題として、①あらゆる場における意識と行動の変革、②経済的地位の向上と就業条件・就業環境の整備、③女性が住みやすく活動しやすい環境づくり、④能力の向上と多様な能力開発システムの整備が挙げられました20

漁業分野では、浜の女性の声を国政へ届けてもらうため、全国漁協女性部連絡協議会は1988年に役員と水産庁長官との懇談会を開始し、それ以降、定例的に毎年1回開催しています21。このような動きは、漁業白書の書きぶりにも若干影響しました。漁業白書の1990度版から「漁業者の健康の維持・増進、及び女性・高齢者対策」という項目で、男女共同参画の啓発事業や漁家女性グル-プ活動の推進援助などに関して記述されるようになったのです。1992年には、沿岸漁業改善資金のうち高齢者活動資金が女性・高齢者活動資金に組み替えられ、女性漁業者グル-プが行う水産物加工等のための機器設置等に必要な無利子資金が加えられるようになりました。

漁協女性部でも、男女共同参画に関する研修会の開催やアピールなどを行ってきましたが、目に見える効果は出にくいものでした。漁村社会に具体的な変化を迫ったのは、行政が提示した目標でした。水産分野での目標は、漁協組合員数・漁協役員数の増加や家族経営協定の締結数、起業数などでした。例えば、千葉県は2001年に農林水産業共通で起業グループ数と起業家数の増加、審議会委員の女性割合の上昇を目標として示しました。水産分野では、漁協組合員数に占める女性割合の上昇、お魚普及員の増加、女性漁業士の増加を目標に掲げました22

しかし、漁協組合員数・漁協役員数の増加だけでなく、家族経営協定の締結もなかなか進まなかったため、男女共同参画の推進施策は行政がコントロールできる審議会等の委員割合の向上や女性漁業士の認定の方向に向かいました。水産関係の各種委員会の委員等への女性の登用については、データが古いですが、2006年の漁協女性部員が他団体の役員や委員に就任している人数と延べ職数は、60人・197であり、2000年の約80人・249よりも減少していました。漁協女性部員の他団体の役員や委員への就任が全く見られない都道府県も少なくなく、また、特定の人に役が集中する傾向がありました。

一方、漁業士の認定は、従来、水産庁が定めた全国一律の条件で行われ、青年漁業士の場合には「経験が2年以上」で、指導漁業士の場合は「40歳以上かつ経験10年以上で地域での指導経験あり」でした。2005年からは都道府県独自の認定が可能となり、女性の「漁業士」、あるいは「女性漁業士」が誕生しました23。しかし、都道府県によって、認定される女性の数や漁業士全体に占める割合のばらつきが大きいようです。

女性の漁業士数が比較的多い茨城県では、2006年度の漁業士85人のうち、女性漁業士は16人であり、役員13人に女性が3人含まれていました。女性漁業士の条件は「ア、県が行う漁業士講座を履修した者又は県知事がこれらと同等以上の資質を有すると認めた者であること。イ、漁村社会における集団活動等に積極的に参画し、漁業経営、漁家生活の向上に意欲的に取り組むと見込まれる、満60才未満の者であること。」としています。2004年度からは、漁業士会の運営に女性の意見を反映させやすい体制作りを目指し、副会長3人のうち1人を女性枠としたそうです。

現在、全国の男女別の漁業士数は明示されていませんが、都道府県によっては女性の漁業士、あるいは女性漁業士の数を増やしたり、位置づけを工夫しているようです。例えば、大分県では2019年の漁業士数は全体で139人でそのうち女性は8人ですが、同年、はじめて女性の漁業士会会長が誕生しました。

一方で、後述されるような女性たちが自ら開始した水産物の加工・流通などの起業の動きが地域での女性の経済的な地位の向上や地域活性化に結びつき、地域や漁家内で一目置かれる存在となったり、起業に結びつけて家族経営協定が締結されたりすることもありました24

2018年の全国女性漁業者グループリーダー研究集会やフレッシュ・ミズプログラムで実施した参加者アンケートの結果によれば、農山漁村の男女共同参画を進めるためには、「男女双方の意識改革」「女性自身の意思表明」「組織トップのリーダーシップ」「ネットワークづくり」等が必要であるという結果が示されました。また、農山漁村において女性がいきいきと活動する環境づくりのために必要なことに対しては、「家族の協力と理解」「地域の協力と理解」「地域における女性リーダーの育成」「自分自身の努力」等が回答数の上位にあがりました25

環境保全活動

1990年代になって環境問題に関する市民活動が活発化するなかで、漁協女性部の石けん使用推進運動や海浜清掃、植樹運動が、漁業者による環境保全の活動として新しく意味づけられるようになりました。全国漁協女性部連絡協議会では、1996年からこれらの活動を「森と川をつなぐ環境保全活動」という名称でくくり、環境保全活動を続けています。2019年時点で、全国漁協女性部連絡協議会に加わっている35都道府県のうち、32都道府県の漁協女性部が環境保全活動を行っています26。ここでは海浜清掃活動と植樹運動について示します。

海浜清掃活動

漁協女性部が中心となった沿岸域の清掃活動は、1970年代半ば頃から盛んになりました。それには、投棄されたり漂着したりしたゴミを定期的に収集する活動と、ゴミの放置や投棄をやめるよう看板の設置等によって啓発する活動とがあります。定期的なゴミ収集活動では、ボランティアとしてあるいは市町村からいくらかの補助を受けながら、月に数回の割合で活動している例が多いです。

1955年に発足した福岡県玄海島漁協婦人部も、早くから海浜清掃活動を開始しました。福岡市に面する玄海島では、高度経済成長期の都市の巨大化に伴い海へ流入するゴミの量が次第に増加し、島の各浜に打ち上げられるようになりました。そこで「豊かで美しい島を後世に」、「自分たちの島は自らの手で守ろう」をスローガンに漁場と島全体の環境保全に取り組み始めました。島内を8組に分け、毎月2日と16日を海岸清掃日とし、夏季は午前6時30分、冬季は7時30分からそれぞれの担当区域の清掃を行ってきました。しかしながら、その後も海洋レジャー客が持ち込むゴミの処理が課題となりました27。このような海岸清掃活動は、近年、市民が気軽に参加できる環境ボランティアとして全国的に普及してきています。漁協女性部でも、他の地域組織等と連携しながら行うことが多くなっています。

植樹活動

北海道漁協婦人部連絡協議会は1988年に結成30周年の記念事業として、森林の消失や河川の汚染が原因と考えられる漁獲量の減少を阻止しようと「百年かけて百年前の自然を取り戻そう」をスローガンに植樹運動を開始しました。地域の女性発のダイナミックな環境保全の捉え方が漁業分野内外の人々の関心を集め、漁協女性部や漁業者による植樹活動が全国に広がりました。この北海道漁協婦人部連絡協議会の植樹活動の基盤を作ったのは、北海道サロマ湖に面し湖を共有して漁業を営んでいる佐呂間漁協、常呂漁協、湧別漁協の活動でした28

漁業者、とりわけ漁協女性部を中心とするこれらの活動がきっかけとなり、漁業者の全国組織である全国漁業協同組合連合会では1998年に「全国漁民の森サミット」、翌1999年には「全国漁民の森フォーラム」を開催し、全国の森づくりの全国的な運動を推進するようになりました。2000年代以降になって、水産基本法のなかで水産動植物の生育環境の保全や改善を図る策として「森林の保全及び整備」を盛り込んだことを受け、水産庁では2001年度から5カ年の補助事業として「漁民の森づくり活動推進事業」を開始しました。それ以外にも2005年から離島漁業再生支援交付金(海岸清掃、藻場・干潟の管理・改善、水質維持改善、植樹・魚付き林の整備)等により、流域環境の保全活動を後押しする施策が行われるようになりました。

植樹活動のなかには、漁業者だけでなく地域住民や子供たち、都市部の人々を巻き込む活動として展開したものもあります29。関東地域の9生協を会員とする首都圏コープ事業連合と野付漁協は1999年より取引を開始し、翌2000年には漁協の植樹活動に生協から20名が参加しました。このことをきっかけとして、野付漁協、北海道漁業協同組合連合会、首都圏コープ事業連合の3者で「海を守るふーどの森づくり野付植樹協議会」を設立し、生協組合員に植樹経費の負担を依頼するとともに、実際の活動に参加する会員を募集し、植樹活動を実施しています30

経済活動

漁協女性部は目的を変えながらも、長年、経済活動に取り組んできました。1950年代は、主に女性部の活動資金を獲得するために、経済活動が模索されていました。和歌山県白浜漁協婦人部では、日用品の共同購入や内職の斡旋を活発に行い、漁協女性部の財政の独立を果たしました。また、山口県の埴生漁協婦人部では、アサリの漁場を漁協から借り受けて積極的にアサリの増殖を行うほか夏の海水浴時期に入場料をとり、活動資金に充てました。その他にも佐賀県小川島の漁協婦人部では、煮干しイワシの集荷を行い代金の一部を手数料として受け取ったり、山形県では漁協女性部活動の活動費を捻出するために、ノリの採取生産のほか、その他の日常生活用品などの販売を手がけたりして、活動費に充てていました31

1980年代以降は、先行していた農業・農村の起業活動を追うようにして、漁業・漁村でも漁協女性部による経済活動の動きが示されました。その後、2000年代の地産地消の流れのなかで、経済活動を行う漁協女性部の数は増加し、それらの活動が社会的にも認知されていくようになりました。内容は水産物加工品の製造販売や鮮魚販売、レストランなどです。このような経済活動の背景には、漁協女性部が行ってきた魚食普及活動があると考えられます。とはいえ農業分野の生活改善グループによる料理講習会ほどの歴史や組織化がなされていなかったために、その裾野は農業分野ほどに広くはありませんでした。また、生活改良普及員の配置が農業と比べて手薄であったこともそのことに関係していると考えられます。経済活動を行ううえで組織を見直す漁協女性部も出現しました。漁協女性部内で加工部を別にしたり、漁協女性部と別に任意グループを作るケースです。

2019年4月時点の漁協女性部の経済活動は、次のような状況です。食堂経営をしている漁協女性部数数が28、加工品開発・販売をしている部数が101、その他の活動を行っている部数が19でした。食堂経営をしている漁協女性部数28のうち、起業しているのが7、女性部で運営しているのが28、漁協が経営しているのが6、その他が4でした。都道府県別に食堂経営をしている部数を多い順にみると、山口県が6、北海道が5、茨城・愛媛・高知が2でした。青森、岩手、神奈川、富山、福井、和歌山、鳥取、広島・福岡・大分・沖縄は各1です。同様に、加工品開発・販売をしている101の漁協女性部のうち、起業しているのが18、女性部で運営しているのが57、漁協が経営しているのが13、その他が19でした。加工品開発・販売をしている部数が多い都道府県を部数の多い順にみると、北海道19、愛媛14、青森・山口11でした。そして今回、全国漁協女性部連絡協議会が、設立60周年記念事業の一環として『浜のおもてなし〜明るい笑顔と美味しさあふれる浜の味〜』を出版しました(2020年10月)。これには北海道から宮崎県まで120もの漁協女性部や漁村女性グループの加工品や食堂などの情報が掲載されています。ぜひ手にとって各浜の女性たちが行っている経済活動に触れてみて下さい。(ちなみに、購入できる場所や連絡先、商品価格なども書いてありますので、消費者としても本冊子をご活用下さい!)

高齢者福祉活動

以前から漁協女性部は地域の高齢者への慰問やプレゼントなどを実施していましたが、漁村住民の高齢化が進行すると以前よりも高齢者の生活をサポートする配食など具体的な高齢者福祉活動も行われるようになっていきました。例えば、山口県萩市にある山口県漁協三見支店の漁協女性部を母体とした起業グループの三見シーマザーズでは、買い物に行けない高齢者が多くなった地区で何か手助けできないか、食事作りが困難になった高齢者にも食べ慣れた地元の味を味わってもらいたいと、2007年5月から水産物惣菜の加工・販売を開始し、高齢者に対してはお弁当の配達をはじめました。2018年時点で高齢者福祉活動を行っている漁協女性部がある都道府県は、青森・宮城・三重・愛媛・山口・大分の6県です。

③ 漁協女性部が直面する課題

このように多様な活動に取り組んできた漁協女性部ですが、部員数のピークは1961年の22万6,664人で、その後、1974年まで20万人規模を維持したものの、2000年に10万1千人、2018年に3万2千人へと減少の一途をたどっています。これは高齢化に伴う漁協女性部員の引退だけでなく、漁協合併が進み、漁協合併及び漁協女性部の合併を機とした退部者が増加したためです。都道府県別にみると、2018年時点で漁協女性部員数が多いのは多い順に岩手5,373人、北海道3,588人、長崎1,863人、三重1,654人、山口1,782人、福岡1,519人、佐賀1,454人、兵庫1,101人、宮崎1,097人、宮城1,022人です。1漁協女性部あたりの部員数も多いときは約200人でしたが、現在は約4分の1の50人程度になっています(表1)。

表1 漁協女性部数と漁協女性部員数の推移
表1 漁協女性部数と漁協女性部員数の推移
資料:全国漁協女性部連絡協議会「第32回JF全国女性連懇談会用資料」, 2019年

漁協女性部員の高齢化も問題となっています。年代別にみると60〜70歳代層が部員数のピークとなっている都道府県がほとんどです。

このように、全国的には部員数の減少や高齢化に悩む漁協女性部の今後が課題となっていますが、北海道、三重、兵庫、福岡、長崎など都道府県によっては20〜30歳代が比較的多いなど、漁協女性部員数やその年齢構成、活動の活発さなどは、歴史的経緯等を反映し都道府県により異なるようです。

後述する新たな若手女性の動きや近年の社会的な環境保全活動への関心の高まりのなかで、地域に根差して長く活動してきた漁協女性部活動が再評価され、何らかの形で持続していくことが期待されます。

  • 1中村(1994)、pp.20〜21
  • 2中村「前掲書」、pp.20〜21
  • 3コンブ等の陸上作業については、荒井・長野・児玉(1993)等による報告がある。
  • 4小型底びき網漁業の漁獲物を漁家女性が消費者へ直接販売する事例として岡山県日生町の五味の市の事例(甫喜本(2008))等がある。
  • 52014年4月の牛根漁協女性部のヒアリング調査時点。
  • 6財団法人東京水産振興会・うみ・ひと・くらしフォーラム・株式会社漁村計画(2011)、p.5
  • 7全国漁協婦人部連絡協議会、1994
  • 8全国漁協婦人部連絡協議会、1994
  • 9全国漁協婦人部連絡協議会、1989
  • 10全国漁協婦人部連絡協議会、1989
  • 11水産庁、1973
  • 12全国漁協婦人部連絡協議会、1999
  • 13全国漁協女性部連絡協議会、2010
  • 14全国漁協婦人部連絡協議会、1999
  • 15関、2008
  • 16全国漁協女性部連絡協議会、2010
  • 17全国漁協女性部連絡協議会、2010
  • 18全国漁協女性部連絡協議会、2019
  • 19全国漁協婦人部連絡協議会、1989
  • 20農山漁村の女性に関する中長期ビジョン懇談会、1992
  • 21全国漁協婦人部連絡協議会、1994
  • 22三木、2004
  • 23藤井、2008
  • 24農山漁村女性・生活活動支援協会、2006
  • 25全国漁協女性部連絡協議会、2019
  • 26全国漁協女性部連絡協議会、2019、pp.32〜34
  • 27全国漁協婦人部連絡協議会、1989、pp.23〜24
  • 28関、2008、pp.115〜117
  • 29関、2008、p.118
  • 30関、2008、p.118
  • 31宮城、1959、p.76