水産振興ONLINE
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2019年12月

太平洋島嶼国における日本漁業の将来 —ミクロネシアでの素晴らしき日々—

坂井 眞樹((公財) 水産物安定供給推進機構 専務理事)

13. 結び

農林水産省に勤務していた時代と同様、ミクロネシアでも山もあれば谷もあった。順調であった両国の漁業関係が在任中に前代未聞の最悪の状況に陥ってしまったが、クリスチャン大統領と協力して急ピッチで問題を解決できた。日本漁船が安全に操業できるようになり多くの人に感謝された。その過程で農林水産省時代の経験や知見を活かすことができ、改めてこうした活躍の場を与えられた幸運に感謝している。雨の多い当地で我が国が供与した体育館がスポーツ大会やバザーなどで地域コミュニティにフルに活用され、住民に大変感謝された。思い出に残る多くの仕事をすることができた。

図5 モトロック環礁訪問(左から市長、筆者、クリスチャン大統領)
図5 モトロック環礁訪問(左から市長、筆者、クリスチャン大統領)

当時のクリスチャン大統領に同行してチューク州モトロック環礁にある小島を訪問したことがある。交通インフラの整備を優先課題に掲げる大統領が、自らかつて日本軍が使用していた飛行場の視察に行ったのである。首都のあるポンペイ州から小型のプロペラ機で片道2時間ほど、入道雲の合間を縫うようにして飛行する。太平洋戦争当時多くの日本軍機が飛行していた地域である。操縦席の隣で巧みにプロペラ機を操るミクロネシア人パイロットの姿を見て、その多くが美しい海に散っていった当時の若い日本人搭乗員達がどのような思いで操縦桿を握っていたのかと思い、大変感慨深いものがあった。(図5)

図6 コスラエ州ワラン小学校の子供たち
図6 コスラエ州ワラン小学校の子供たち

2年間の在任中、4州を訪ね州議会から小学校まで約50か所で両国間の絆と題する講演を行った。コスラエ州のはずれにあるワラン小学校では、帰り際に全校の子供たちが講演のお礼に校歌を歌ってくれた。コスラエ語で歌われた校歌の歌詞は全く分からなかったが、最後が日本語の「頑張れ」という言葉で結ばれていて大変感動したことを今でもよく覚えている。得難い経験ができたことに感謝し、これからも子供たちの激励の言葉を胸に一歩ずつ前に進んでいきたいと思う。(図6)