水産振興ONLINE
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2019年12月

太平洋島嶼国における日本漁業の将来 —ミクロネシアでの素晴らしき日々—

坂井 眞樹((公財) 水産物安定供給推進機構 専務理事)

12. 伝統的社会のやさしさ

(1) 自給自足の豊かさ(Subsistence Affluence)

米国による財政援助の先行きを懸念する声は強いが、人々は穏やかに日々を過ごしている。市場経済の導入により希薄化したとは言え、自給自足の豊かさがこの国の原点であり、人々の生活を支えその優しさを生み出している。赤道に近い強烈な日差しの下でヤム、タロイモ、パンの実が豊かにみのり、地先で獲れる魚も豊富で、こうした自然の恵みを平等に分け合うことで、ミクロネシアの人々は平和な暮らしを営んできた。狭い地域で自己完結的な生活が可能なことから、各コミュニティの独立性は高く、人口3万人程度のポンペイ島でも5つの市があって独自の憲法を持ち毎年建国記念日を祝っている。大平洋島嶼国特有の飲み物であるSakauのセレモニーのマナーも異なっているという。各コミュニティの伝統的リーダーは、Sakauセレモニーを主宰し収穫物を住民に平等に分配する司祭として、今でも人々の精神的支柱となっている。

もともとミクロネシアの人々は、タロイモ、ヤムイモ、パンの実といった栄養バランスの取れた作物と地先で豊富に取れる魚を食べて健康的な生活を送っていた。ところが、前述のように、日本や米国の統治時代を経て、調理に手間がかかる伝統的作物から輸入されるコメと肉を中心とする食生活に変わり、多くの人々が肥満し高血圧、糖尿病といった非感染症(Non Communicable Disease)に苦しむこととなってしまった。脂ぎった七面鳥の尻尾(Turkey Tail)が塩辛く味付けされご飯の上に乗せられた弁当(ちなみにBentoは4州で日常使われている言葉)がよく売れていた。スナック類も人気があって、品揃えに乏しいスーパーマーケットにあって多くの品目が売り場を占領している。

米国の財政援助で公務員に給与が支給され消費経済が形成されるとともに経済構造は大きく変容しているが、自給自足の豊かさに支えられた伝統社会はまだまだ人々の生活に力強く息づいている。この国にはホームレスはいない、肉体的あるいは精神的なハンディキャップを負った人も大家族制の下で誰かが面倒を見てくれる。東京を訪れ聳え立つビル群に圧倒されたミクロネシアの人々に、その下にはホームレスがいる、アパートの一室で誰にも看取られることなく死んでいく高齢者もいるという話をすると、一様に信じられないという顔をする。私に対して、日本に帰って一人になってしまったら自分のところにきて一緒に住んだらいいという人もいる。

所有するアパートに住んで1年にもならない日本人が亡くなった時、自分の庭に手厚く葬ってくれたポンペイ人がいた。当地では家族を庭に埋葬するのが習慣であり死に対する考え方も日本とは異なっているが、どのような事情があったかはわからないが、自らの死に際して血の繋がった兄弟や子供から何ら顧みられることのなかったこの日本人は、ミクロネシア人のやさしさに救われたのだと思う。

今後予想される米国の財政援助の減少は人々の生活に少なからぬ影響を与えるであろうが、彼らがこうしたやさしさを失わないでいてほしいと願う。そして援助する側に立つできる限り多くの人々に,伝統社会の素晴らしさを理解し、外貨を獲得する有力な手段が入漁料以外には存在しないこの国において一般的な経済開発理論が通用しないこと、伝統社会と折り合いをつけた形でしか真の意味での社会の発展や人々の生活の向上を図ることができないことをわかってもらいたいと願う。

(2) Water Salute

離任の日2016年5月26日は私達夫婦にとって生涯忘れることができない日となった。週に4便しかないグアム行きに搭乗するために向かった空港では、Kalahngan Oh Kaselehlie Ambassador Masaki Sakaiと書かれた垂れ幕が迎えてくれた。Kalahnganは首都のあるポンペイ州の現地語でありがとう、Kaselehlieは最もよく使われる挨拶の言葉、人と会った時別れる時どちらにも使える便利な言葉で、別れる際も単なるさようならではなく、また会いましょう、それまでお元気でといったニュアンスを持つ、ミクロネシアの人々の穏やかでやさしい気質にふさわしい言葉だ。(図3)

図3 空港のKaselehlie垂れ幕
図3 空港のKaselehlie垂れ幕

私達のために垂れ幕を準備してくれたことに感激し、見送りに来て頂いた方々と多くの写真を撮影してから向かったVIPルームでは、さらに大きな驚きが待っていた。伝統的リーダーが私達を送るSakauセレモニーを主宰してくれたのだった。Sakauは胡椒科の木の根を砕いて作る沈静効果を持つ飲み物で、玄武岩の上で根を叩いて砕くところから始まるセレモニーは主要な行事では必ず行われる。上半身裸の若者達が作法に則って作ったSakauはまず伝統的リーダーのもとに運ばれる。主宰者であるリーダーは、セレモニーの趣旨や伝統的なランクに応じて、一杯ずつゲストが飲む順番を決めていく。彼の指名により最初の一杯が私のもとに運ばれてきた。最初にSakauを飲むことは当地では大変な名誉で、このような機会を得ることができるとは夢にも思っていなかった。VIPルームには、シャンパンやワイン、多くの食べ物が用意されていて、到着時ではなく出発に際してSakauセレモニーを行うのは今回が初めてとのことであった。在任中現場の視点で援助の実現に努力してきたことがミクロネシアの人々に伝わっていたことがわかり、これまでの苦労が報われた思いだった。

図4 Water Salute
図4 Water Salute

最後に待っていたのがWaterSaluteだった。搭乗した飛行機が滑走路に向かう際、2台の消防車による放水が行われた。機長から、この飛行機で日本大使が離任するので特別のセレモニーが行われる旨のアナウンスがあり、機内の人々から暖かい拍手を頂いた。ミクロネシア連邦が国として私達を暖かく送ってくれていることに感激し、苦労も多かったが2年間頑張ってきてよかったという思いがこみ上げてきた。(図4)