水産振興ONLINE
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2019年12月

太平洋島嶼国における日本漁業の将来 —ミクロネシアでの素晴らしき日々—

坂井 眞樹((公財) 水産物安定供給推進機構 専務理事)

3. 米国の信託統治領からの独立

太平洋戦争が終わると、米国は、開戦当初日本軍の進攻を許した苦い経験から、ミクロネシア地域を軍事的に押さえておくことの重要性を強く認識し、国連の信託統治領としての管理を開始した。高等弁務官を行政府の長として送り込み、信託統治事務局をサイパンに置いている。事務局には、各地域の若く有為な人材が行政官として多く登用されていた。後にミクロネシア連邦の初代大統領となるナカヤマ・トシオもその一人である。

高まる独立の気運は抑えがたく、1980年代に入ってミクロネシア連邦、マーシャル、パラオのミクロネシア三国は分離独立し、米国による信託統治も終焉を迎える。当時、ミクロネシア議会の上院議長に転じていたナカヤマは、ミクロネシア地域全体を一つの国家として独立させるため奮闘するが、サイパンを含む北マリアナ諸島は米国自治領となることを選択、夫々観光収入、米軍基地借地料が入るパラオ、マーシャルが分離独立し、残された地域が東西3,000㎞におよび、言語も習慣も異なる4州で構成するミクロネシア連邦として独立した。米国による激しい切り崩し工作が行われたとも言われている。ナカヤマは、前述のとおり、ミクロネシア連邦の初代大統領に就任し、2期8年を務めた後2007年に75歳で亡くなっている。蓄財には一切関心を持たずミクロネシアのためにその生涯を捧げ、大統領退任後生活が困窮したナカヤマを見かねて、多くの人々が建国の英雄を支えたと伝えられている。

ミクロネシア三国は独立に際し、米国との間で自由連合協定を締結している。協定に基づいて、米国が防衛を担い、第三国による軍事施設の設置を拒否する権限を有している。ミクロネシア連邦の場合、米国による援助額は国の予算の半分を超え、GDPの3分の1程度を占めて経済の根幹を支えている。米ドルが使用され、米国の国際郵便や気象予報サービスを利用することができる。

協定の規定によってビザなしで米国での就労が可能なため、多くのミクロネシア人が雇用機会を求めてグアム、ハワイ、米国本土に渡っており、国内10万人に対し米国内に5万人が在住していると言われている。米軍に志願することが認められており、毎年数十名の若者が入隊し、米国大使館で大統領も参列してセレモニーが行われる。湾岸戦争で尊い命を捧げたミクロネシアの若者達の写真が空港ビルに掲げられており、毎年慰霊祭が挙行されている。

連邦を構成する4州では異なった言語が使われているため、共通語として英語が用いられており小学校から教えられている。小学校でも高学年になれば多くの子供たちが流暢な英語を話す。ポンペイ州にある連邦政府から他州は余りにも遠いため、道路、電気等のインフラ整備や教育、医療といった行政施策の太宗は各州政府で実施されている。