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2019年9月

中・小型漁船市場をめぐる産業構造の変遷—船価高騰にどう影響したか—

濱田 武士(北海学園大学経済学部 教授)

第二章 中・小型漁船の市場構造の変遷

FRP漁船市場に参入した企業群の展開

東洋化学経済研究所の調査ⅰ)によると、1970年代になって、FRP漁船市場に本格参入したメーカー群ははっきりしていました。
①大型漁船建造主力メーカー
②小型量産主力メーカー
③官公庁向船主力メーカー
です。①に該当する企業は、東九州造船、酒井造船、IHIクラフト、船忠造船所、ガルーダなど、②に該当する企業は、ヤマハ発動機、共立レジンクラフト、東邦セールス、西日本FRP漁船、富士紡績、愛媛プラスティック造船、八光船舶産業、大船渡FRP造船、小浜ドッグ、トーハツなど、③に該当する企業は、IHIクラフト、石原造船所、日本飛行機です。

このなかで活発だったのは、②の企業群です。②の企業群は、ヤマハ発動機などのように大企業が直接市場参入していたケースも少なからずありましたが、三菱重工やヤンマーディーゼル、日本触媒化学などの大企業が系列企業をグループの傘下に入れて活動をしていたのが目立っていました。以下のように大きく4つに分けられます。
ヤマハグループ:ヤマハ天草精造、ヤマハ大船渡製造、蒲郡港開発、ヤマハ志度製造
ヤンマーグループ:共立レジンクラフト、ヤンマー造船、東邦セールス
三菱商事グループ:ダイヤクラフト、愛媛プラスティック造船、北海クラフト、名古屋クラフト、西日本クラフト他
日本触媒化学グループ:八光船舶産業、大船渡FRP造船、西日本FRP造船、小浜ドッグ
では、これらの活発だった企業の展開を個別にみましょう。

まずヤマハ発動機です。ヤマハ発動機は1960年5月にはFRP製モーターボートを発売し、プレジャーボートの先進メーカーになった。その翌年には木造船だった「和船」向けの船外機を商品化し、漁船市場に参入しました。漁船市場への参入は漁船用ディーゼルエンジンを供給していたメーカーと比較すると遅かったです。しかし、先にも触れましたが、FRP漁船の開発と量産体制の本格化は早かったのです。1965年、日本楽器が静岡県新居工場において建造したFRP製のマグロ延縄漁船(母船に搭載する漁船:第三富士丸)がその嚆矢でした。その後、日本楽器の漁船部門をヤマハ発動機に移管、新居工場第3工場で(1968年4月完成)において、平磯場でウニやアワビを獲る磯船タイプのFRP船外機船の船体(名称:「ヤマハ和船」)を開発、そしてその生産ラインの導入を計画しました。ヤマハ発動機は船外機のシェアの拡大には成功していたゆえに、FRP漁船市場においても優位なポジションにたてると思われました。しかし、FRP船体(ヤマハ和船)においては地域性に対応できず、販売不振に終わり、十分な結果を出せなかったわけです。それは他の大手メーカーも同じでした。

その後、地域性に対応するためにヤマハ発動機は、熊本県天草(1970年6月:ヤマハ天草精造)、岩手県大船渡(1973年5月:ヤマハ大船渡製造)、愛知県蒲郡(1974年3月:蒲郡港開発へヤマハ発動機が資本参加)、香川県志度(1974年7月:ヤマハ志度製造)、北海道八雲(1977年10月:ヤマハ北海道製造)に工場を設置して、ブロック別のFRP船体の商品を開発して、一気に販路を広げました。全国100カ所の営業所から、500人の人員を投入して、漁村に向けてカタログを用いた営業活動を展開したといいます。その結果、例えば、九州有明海の海苔養殖業の摘み取り漁船においては、約6,000隻のうち75%のシェアを獲得するなど、FRP漁船市場のシェアを伸ばしました。天草工場だけで、1976年に漁船5,000隻、和船20,000隻の生産を達成しています。

漁船用ディーゼルエンジンの大手メーカーであったヤンマーディーゼル(現ヤンマー株式会社)は、FRP船体市場の参入を具体化させたのは1971年でした。各地方の造船所、ヤマハ発動機と提携したり、グループ傘下の共立レジンクラフトや東邦セールスと連携を図ったりして、FRP漁船市場への参入を進めていました。ヤンマーディーゼルは小型漁船のディーゼルエンジンの70%のシェアを持っており、その優位性を発揮できるといわれていましたⅱ)。そこで、ヤンマーディーゼルは独自のFRP船体を開発するために、1972年1月に(株)ヤンマー造船を岡山県牛窓に設立し、FRP船体の大量生産をめざしました。舶用ディーゼルエンジンのトップメーカーとしてその販売網(漁村近郊の鉄工所を特約店契約で系列化)を生かして、FRP船体を市場に供給しました。1976年にヤンマー造船の東北事業部を設置、1979年にはヤンマー造船大分工場を竣工して、毎年、小型船を中心に次々に新商品を開発してラインナップを取り揃えて、1981年には累計8,000台、1986年には累計30,000台、1998年には累計50,000台を突破しました。

なお、ヤマハ発動機とヤンマーディーゼルは競合関係でありながら、FRP船体ではヤマハが、舶用ディーゼルエンジンではヤンマーが最も顧客を獲得していたことから、互いの販売網でそれぞれの製品を末端まで流通させる販売連携を1970年代から実施していました。例えば、ヤマハ発動機の船体にヤンマーディーゼルの舶用ディーゼルエンジンが搭載される場合、このような販売協力が発生する。ユーザーができる限り自由に船体とエンジンの仕様を決めることができるような供給体制を、大手二社が協力して構築しましたⅲ)

三菱商事グループは、1970年に三菱商事内に漁船研究所を設置し、ダイヤクラフト(略称:ダイヤ)というブランドでのFRP漁船市場への参入を決めています。1971年6月には、愛媛県宇和島に愛媛プラスティック造船を設立し、その他関連会社と共同出資してFRP漁船の製造会社を設立しました。北海道根室に北海クラフト(1971年9月稼働)、愛知県飛島村に名古屋クラフト(1972年4月稼働)、千葉県勝浦にダイヤクラフト(1972年5月稼働)、西日本クラフト(1972年10月稼働)などです。その他にも造船所を系列化していきました。

日本触媒化学工業は、1971年に各地の造船所との共同出資や業務提携で全国4カ所にFRP漁船の船体供給拠点をもうけました。山口県豊北町(現:下関市豊北町)に西日本FRP造船、福井県小浜に小浜ドッグ、三重県浜島に八光船舶産業、岩手県大船渡に大船渡FRP造船を設立しました。日本触媒化学工業はあくまでFRP資材の供給を担い、漁船の販売は造船所が行いました。

FRP漁船市場への参入を目的に、その他の大企業が出資して設立した造船所もありますが、中・小型FRP漁船市場においてグループとして圧倒的シェアを握ったのはヤマハグループであり、次いでヤンマーグループでした。

  • 東洋化学経済研究所(1972)
  • ヤンマー70年史編纂委員会(1983)、p90
  • ヤマハ発動機は、舶用ディーゼルエンジンに関しては後発隊であり、工場を有していないものの、トヨタ自動車やダイハツなど関連会社の協力を得て、ヤマハ発動機製ディーゼルエンジンを販売していました。