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水産振興コラム
202512
変わる水産資源2-生産と消費の好循環をめざして

第7回 日本の海洋空間計画の策定を急ごう

道田 豊
東京大学総長特使(「国連海洋科学の10年」担当/ユネスコ政府間海洋学委員会議長

1 はじめに

令和7年6月3日、改正再エネ海域利用法が成立した。成立に際して、改正前の法律の名称にあった「海域の利用の促進」の語は除かれ、「海洋再生可能エネルギー発電設備の整備に関する法律」とされた。令和6年度に審議未了となっていたものがいわば仕切り直しでの成立となった。これにより、領海の外側、排他的経済水域に洋上風力発電施設を設置するための法的環境が一応整ったことになる。

同法の採択にあたり12項目からなる付帯決議がなされた。このうち、最初の項目に海洋空間計画への言及がある。20年ほど前から欧州各国を中心に整備が進められている海洋空間計画であるが、わが国では取り組みが遅れていると言わざるを得ず、この語が初めて海洋基本計画に登場したのは2018年の第3期計画からである。2023年の第4期計画ではより一段と踏み込んだ書きぶりで海洋空間計画が位置付けられてはいるものの、その歩みは遅い。

ここでは、わが国でもようやく議論が開始される兆しがみられる海洋空間計画について、その意義と筆者なりの今後の展望を述べる。

2 海洋基本計画における海洋空間計画

海洋空間計画 (Marine Spatial Planning: MSP) とは何か。2009年にユネスコ政府間海洋学委員会 (Intergovernmental Oceanographic Commission: IOC) が刊行したガイドラインによれば、「生態学的、経済的、社会的政策目標を達成するため、海洋における種々の人間活動について時空間的な配置を解析し、適切に空間配置する等の公共施策」といったことになる。これを洋上風力発電設備の設置に照らして敷衍を試みるならば、そうした施策の展開において海洋空間計画が必要であることは、私にはほぼ自明である。海洋環境を保全しつつ洋上風力発電施設を展開する(生態学的、経済的、社会的政策目標)ため、水産業、海運その他の海域利用(海洋における種々の人間活動)について時空間的な配置を解析し、適切に空間配置する等の公共施策。わが国の洋上風力発電を現在想定されている規模で整備していく場合、その全体像を踏まえて適切かつ持続的な海域利用計画を作る必要があることは間違いない。

海洋空間計画の概念について一つ注意しておきたい点がある。海洋空間計画の目的は、例えば特定の生物種の保護とか、特定のサービスの発展だけを狙ったものではない、ということである。もちろん、様々な海域利用を完全に同列に扱うということではなく、国によって、海域によって、あるいは時代によっておのずと優先度や重みづけなどはあるはずで、その判断の部分こそ最も重要な合意形成のポイントとなる。

第1期、第2期の海洋基本計画においても「海洋の総合的管理」という項目において類似の考え方が盛り込まれてはいたが、海洋基本計画の中に初めて海洋空間計画に関する記述がなされたのは第3期計画である。同計画の第2部「計画的に講ずべき施策」の第6項「離島の保全等及び排他的経済水域等の開発等の推進」に、諸外国で導入事例のある海洋空間計画について実態を把握し、必要性、課題、活用可能性を検討することとされた。要は基礎的な調査をするということであり、この時点ではその実現は視野に入っていない。

第4期海洋基本計画では、2か所に「海洋空間計画」が登場する。一つ目は、第1部の「海洋におけるDXの推進」の文脈のうち、「データの共有、利活用の促進」の項に記載がある。引用すると「海洋データの共有を通じて、我が国独自の海洋空間計画の手法を確立する。その際、これまでに日本各地で行われてきている再エネ海域利用法等の定める促進区域等での取組等を海洋空間計画の一形態として適切に位置づける。それを踏まえ、複合的な海域利用をより適切かつ効果的に推進するための取組を進める」とある。本来は、適切な海洋空間計画を策定するために必要なデータや情報を整備し共有するものであり、目的と手段が入れ替わっている気がしなくもないが、それでも、これまでに比べれば一段踏み込んだ表現で海洋空間計画への取り組みが明記された。なお、パブリックコメントに付された素案では、第2文の「適切に位置づける」で終わっていたところ、コメントが採用されて第3文が追記された。

もう一か所は、第2部の「排他的経済水域等の開発等の推進」のうち、「排他的経済水域等の有効な利用等の推進のための基盤・環境整備」の項に位置付けられた。これは基本的には第3期海洋基本計画における位置づけと同様といえる。これも引用すると、「我が国の海洋空間計画として既に取り組まれている管轄海域における法令等の適用による規制や利用の整理について、海洋状況表示システム「海しる」における共有・可視化を進める。その上で、排他的経済水域等における他の個別課題への展開や、複合的な海域利用への適用を検討する」といった記述となった。ここでも、「複合的な海域利用への適用」は、パブコメの結果として付記された部分である。

3 改正再エネ海域利用法の付帯決議

本稿の第1節で述べた通り、このたびの改正法では12項にわたる付帯決議がなされ、その最初の項目が海洋空間計画に関するものである。いわく、「国際基準に則った生物多様性の保全を重視し、利害関係者の意見を反映させるため、海外で導入事例のある海洋空間計画の実態を把握し、関係府省庁や環境専門家等との連携のもと、我が国の実情を踏まえつつ、我が国独自の海洋空間計画の手法を早急に確立すること」とある。第3期海洋基本計画に「諸外国の海洋空間計画の実態を把握」と記載されてからすでに7年経過している中でいまだに実態把握の段階か、とか、「我が国独自の海洋空間計画」が具体的にどのようなものを想定しているのか、など疑問や指摘すべき部分はあるものの、早急にこれを確立すべしという意気やよしといったところだろうか。関係府省庁におかれては、この付帯決議の精神をないがしろにせず、真摯に取り上げていただきたいところである。

付帯決議の他の部分では複数の項目にわたって水産業との調整に意を尽くすことの必要性が強調されている。もちろん法律の本文においてもこの点は重視されており、領海及び内水では「漁業に支障を及ぼさないことが見込まれること」(第十条)が、排他的経済水域では「漁業に明白な支障が及ぶとは見込まれないこと」(第三十二条)が求められている。領海内と外とでは要求水準に差があるとはいえ、発電設備の整備に当たっては漁業との協調が前提である。わが国の脱炭素目標の達成の観点から、従前とはけた違いの数量の洋上風力発電設備が整備されようとしている中、漁業を含む海域利用との適切な調整を図るためにも海洋空間計画の策定が求められる。

4 今後の展望

洋上風力発電設備の整備という政策展開を契機に、海洋空間計画の必要性に対する認識は高まっていると思われる。「洋上風力」対「漁業」という構図の議論になりがちではあるが、本来はその他の多種多様な海洋空間利用を含めた総合的な計画づくりが必要である。ただ、洋上風力発電設備の大規模展開が始まろうとしている現下の情勢を踏まえれば、洋上風力と漁業の適切かつ効果的な共存や住み分けは喫緊の課題であるため、この両者の協調という課題を基軸として、他の海域利用をも含めた海洋空間計画の策定に今こそ取り組むべきであると思う。

容易ではない課題であることは十分理解するが、個別の案件に係る調整をいわばモザイクのように積み重ねるような対応では、全体像を見失った海域利用になりかねない。ここでいう全体像は、洋上風力発電の全体像もさることながら、加えて他の重要な海域利用、例えば海洋保護区の設定、ブルーカーボンのための海域などを含むものとご理解いただきたい。上記の付帯決議には「我が国独自の」と書かれているが、それを実現するためにも諸外国の先行事例に学ぶ姿勢は不可欠だろう。現在5年目を迎えている「持続可能な開発のための国連海洋科学の10年」においても、科学の成果およびそれに基づく諸情報を政策に生かす重要な出口の一つとして海洋空間計画が位置付けられており、国際標準の概念になっているといってよい。

ここは、「国家百年の計」と言えば大げさに過ぎるかもしれないが、海洋基本法にうたわれた基本理念の実現に向けて、総合的かつ適切な海域利用を次世代につなぐための一歩を踏み出す時であると認識し、筆者も含め関係者は志を高く取り組みたいところである。

連載 第8回 へ続く

プロフィール

道田 豊(みちだ ゆたか)

道田 豊

1958年広島市生まれ。1981年東京大学理学部地球物理学科卒。現職は、東京大学総長特使「国連海洋科学の10年」担当)、東京大学大気海洋研究所特任教授。博士(理学)。海上保安庁水路部に16年勤務した後2000年に東京大学海洋研究所助教授。その後同大気海洋研究所教授、副所長等を経て、2024年から現職。2023年からユネスコ政府間海洋学委員会議長を務めるほか、海洋調査技術学会会長、日本海洋政策学会副会長など。専門は海洋物理学、ここ20年ほど海洋政策に研究分野を拡張。