水産振興ONLINE
水産振興コラム
202511
進む温暖化と水産業

第52回 
ルポ 青森から世界へ(青森・深浦町㊦) 
地方と水産業の未来

中島 雅樹
株式会社水産経済新聞社
インタビュー ①
(株) オカムラ食品工業 岡村恒一社長
写真1

危機感が生んだ広い視野
「うまいサーモン手軽に」追求

先例にとらわれず、必要とあれば青森サーモン®の養殖にバージ船や海外製イケスなどの導入を躊躇ちゅうちょしない積極的な事業展開をする (株) オカムラ食品工業だが、青森市内にある青森本社社屋は極めて質素なつくりだ。東証スタンダード市場上場企業らしいきらびやかさがない分、同社の事業に対する明確なポリシーを感じることができる。同社はなぜ、青森を拠点にしながら海外で卸売・加工事業を展開し、日本で1万トン級のサーモントラウト養殖を目指すようになったのか。海洋環境の変化に水産業全体が翻ろうされている中で、日本の水産業の可能性を実践で証明し躍進を続ける同社の岡村恒一社長(64) に一問一答で話を聞いた。

——— 水産業を通じて日本も世界も俯瞰ふかんしているように感じる。そんな事業展開に行き着いたきっかけは。

岡村社長 大学を卒業後、父が創業した魚卵の加工などを行う今の会社に入社したが、毎年、原料不安に悩まされる状況にがく然とした。事業計画さえも立てられない環境に、「安定した原料を確保するには海外から直接原料を買い付けるしかない」と思い立ったのが今につながる。買い付けの経験はなかったが、とにかく海外を回り、商社や問屋が相手にしないマイナーな海外の企業との接点を重ねる中で、トラウト卵を確保したのが大きな一歩だろう。ベルリンの壁崩壊後には極東でマス卵の手当てにも奔走し、原料確保が軌道に乗っていった。今思うと無謀な部分もあったが、直接、海外の原料にアクセスするスタイルが自分の中ででき、世界に視野を広げるきっかけになった。

世界の和食普及に好機

———  卸、加工で海外マーケット進出も果たしたのは。

岡村社長 2008年のリーマン・ショックで世界のマーケットが変わり、日本でも13年の大規模緩和(量的・質的金融緩和)から一気に円安が進んだことで「輸入していては利益の出ない時代」となったのが大きい。ちょうどアジアに日本の回転寿司が進出し始めた頃で、今後は日本の和食文化とともに刺身用水産物のマーケットが世界に広がると考え、シンガポールに超低温冷蔵庫を設置したのが海外での事業の始まりだ。予想通り寿司文化はアジアに広がり、超低温冷蔵が必要なマグロを含め、アジアで日本発の刺身用水産物が売れる仕組みができた。そのモデルを今、マレーシア、台湾、タイ国で展開し、毎年売り上げで20%伸びている。

———  サーモントラウト養殖を始めた経緯は。

岡村社長 ノルウェー産の大暴落を機に、サーモンマーケットが広がり始めた02年ごろ、取引のあったMusholm(ムソン)社のオーナーから「会社を買わないか」と打診を受けたのが始まりだ。ムソン社の養殖ノウハウを使うことで、採算性の高い国産の品質のいいサーモンをつくる方法はないかと、17年に青森・深浦で養殖に挑戦した。幸いにも、当時の深浦町長が情熱をもって新しいチャレンジを応援してくれた。地元の水利権など難しい課題の解決にも、チームを作り対応してくれた。農林水産省の補助金を活用し弘前大学、深浦町との連携で試験養殖もでき、青森で養殖ができると確信した。以前から知り合いだったホリエイの堀内精二社長という頼もしいパートナーに恵まれたことも抜きには語れない。

規模とおいしさを両立

———  最初から1万トン規模の養殖を目指したのですか。

岡村社長 サーモン養殖を始める際に大切にしたのは「おいしいサーモンを誰でも手軽に食べられて、企業にとっても採算が合う持続可能な養殖」だった。採算性のある養殖には1万トン規模が必要だった。しかも、国産というだけで食べてくれるほどマーケットは甘くない。飼料臭さは皆無で、味が濃く、脂が程よく乗っているおいしいサーモンを徹底して目指した。今年のテレビ番組で「青森サーモン®」が超一流寿司職人全員から高い評価を得たのを見て、取り組んだ姿勢が間違っていなかったことを確信した。

———  今年、ラトビアのサーモン養殖会社を連結孫会社化した狙いは。

岡村社長 国内にもまだ大きなマーケットがあるが、世界にもまだマーケットは広がる。現在、デンマークで4,000トンのサーモントラウトを養殖しているが、これ以上ライセンスが増える見通しはない。その点、ラトビアに養殖の実績はないが、バルト海に面した国の中で凍ることもなく、水温、水流含めデンマーク型養殖に非常に適している。政府も養殖を推進しており、1万トンの養殖ライセンスも取得できた。来年には世界マーケットを視野に生産を開始する。

本気のサステイナブルに

———  これからの養殖についてどう考えますか。

岡村社長 養殖にとってサステイナブルは、もう避けて通ることはできないテーマ。単に売るための環境対策ではなく、海に負担をかけない本気のサステイナブルな養殖に取り組まなければいけない。温暖化のリスクも卵から垂直統合の養殖を進めることで回避は可能だが、今、局所的な線状降水帯など予測できない状況も少なくない。そうした温暖化リスクにしっかり向き合ってリスク分散もしていくことが成長を進めるカギになる。


インタビュー ②
(株) ホリエイ 堀内精二社長
写真2

定置網の可能性は無限大
温暖化による急潮対策急務

岡村恒一オカムラ食品工業社長の盟友で、独自に定置網漁業や水産加工業を進化させているのが、深浦町に本社を構える (株) ホリエイの堀内精二社長(62) だ。建設・不動産業を事業の柱としながら、水産事業では定置網漁業で早くから網に入ったクロマグロだけ逃がす仕組みを網に導入し、輸出にも挑戦するなど水産事業を新たなステージにもっていく手腕をもつ。激変する海洋環境の中で、どう定置網漁業を営もうとしているのか、これからの課題を含めて尋ねた。

———  定置網で温暖化の影響を感じますか。

堀内社長 私が考える温暖化のいちばんの影響は、魚種の変化などではなく、潮の流れが速くなっていることだ。近年では、潮が速すぎて10日も水揚げできない日もある。特に、関西から北陸を横断し韓国へ抜けていく台風は、通過から1~2日経過後に青森まで急潮をもたらす。現在、そうした西日本で起きた潮流がどう青森に影響するのかの指標となる情報や予測が整備されていない。何とか情報を共有できる方法はないかと、真剣に思う。

———  輸出に力を入れたきっかけは。

堀内社長 主力のマグロ以外に、夏の網でブリが大量に揚がるが、オフシーズンのブリはキロ50~100円にしかならない。それを何とかしたいと思い立ったのが米国向け輸出だ。新型コロナウイルス前の話だが、IT企業のグーグルが視察にきて、クロマグロの放流など資源管理などに積極的に取り組んでいる当社の定置網をみて、24時間食事を提供していた社員食堂で「ぜひホリエイのブリがほしい」と言ってきた。
ただ、米国は海産哺乳類保護法(MMPA)に基づき、クジラやイルカが混獲されるリスクのある漁業で獲られた水産物の輸入を規制している。そこであえて、地元の漁業調整委員会でうちの網は一切混獲しないという厳しい公的なかせを課してもらった。県庁や水産庁の協力も得られ、今は日本で唯一米国に定置網の水産物を輸出できている。

———  堀内社長が今、定置網漁業で課題と感じていることは。

堀内社長 一つ挙げれば、労働力を取り巻く環境だ。今は「特定技能」制度を活用してインドネシア人を雇用しているが、非常によく働いてくれている。しかし、そんな労働者が家族を呼び寄せて長年働ける環境がない。例えば、インドネシア人だと運転免許一つ取れない。日本とインドネシアが国際免許の条約を結んでいないためだが、外国人が人口の少ない地域の産業を支える戦力になっているのに、車の免許も取れないのはおかしい。

———  定置網漁業など水産業の将来をどう思いますか。

堀内社長 当社の売り上げは、建設・不動産が8で水産は2。だが、私が社長として関わる時間は圧倒的に水産が多い。私自身、水産業には可能性があると思っている。日本では水産業は衰退産業みたいに言われているが、ビジネスとしてみた場合、まだまだできることはたくさんある。それを実践するだけで十分に成長の余地はあると思っている。

写真3
盟友でもある岡村社長(左)と堀内社長が見据える水産の未来は可能性に満ちている

連載 第53回 へつづく

プロフィール

中島 雅樹(なかしま まさき)

中島 雅樹

1964年生まれ。87年三重大卒後、水産経済新聞社入社。編集局に勤務し、東北支局長などを経て、2012年から編集局長、21年から執行役員編集主幹。