魚の価値最大化へ挑戦
「変化の時代」乗り切る工夫
細い体ながら力強く定置網の網をたぐり寄せる田中碧流(たまる)氏の様子を、草野正氏(JF五島漁協組合長)が静かに見守る。「まだ10代なのにすっかり一人前の漁師ですね」と声をかけると、「そう見えるかい。まだまだだけどね」と、草野氏はうれしそうに目を細める。
田中氏は、滋賀県で中学を卒業した3年前、「魚が好き」と漁業就業フェアの参加を経て五島に来た。人付き合いが苦手だった息子の決断を心配した父親も大手企業を退社し五島に赴任。つい最近まで漁協職員として働きながら見守っていたが、漁師としての息子の成長ぶりに安堵し滋賀に帰郷した。
—— 漁業のない日中は何しているの?
田中「ゲームですかね」
—— 定置網の仕事は楽しい?
田中「楽しいですよ」
穏やかな笑顔で淡々と質問に答える。物おじすることはなく、無駄口もたたかない。話を聞く間も周りの作業に目を配り、「ちょっとすみません」と仕事に戻る。指示される前に自主的に次の作業に向けた準備をこなしていくさまに新人漁師のイメージはない。
今年40歳の元田学氏は、大阪の鉄工所勤めを辞めて家族で五島に赴任した。環境のいいところで子育てがしたいとの思いに加え、趣味の釣りも満喫できる魅力があった。鉄工所勤務からの転職なら漁業の力仕事も苦にはならなかっただろうと思いきや、「いやいや。最初は船に乗っているだけで疲れてしまって。使うところが違うので筋肉痛がひどかったですよ」と当時を振り返り笑う。
草野氏が社長を務める (株)三井楽定置の歴史は古い。特に赤瀬漁場は、江戸時代、マグロ大敷網として始まり、昭和20年代には、網の規模から日々数万尾のブリが獲れると “東洋一” の定置網漁場としても知られた漁場だ。
しかし、漁協自営だった2000年代前半は赤字が続く状況に追い込まれた。そんな地元の優良漁場を何とかしなければと、草野氏は地元漁業者に声をかけて赤瀬漁場、高崎漁場を承継。若い時、小型中層式定置網で培った網の構造・仕立て技術の経験から、シケにも潮流にも強い細い糸を使った網(五島式底建網〈細糸仕様〉)を導入し、定置網経営をV字回復させた。
東洋一の名をほしいままにしてきた三井楽定置網だが、今はただ来た魚を獲るだけでは終わらない。すべての取り組みに共通するのは獲れた魚の「価値最大化」だ。温暖化の影響なのか夏場はメイチダイが増えるなど、獲れる魚の組成も変わっている今だからこそ、草野氏は「獲れた魚の価値をいかに引き出すかが重要になる」と話す。
例えば、大型ブリが大量に揚がった時は「3,000本あっても鮮度を優先し船上で〆る」ことに注力する。活魚にニーズのある魚は生かしたまま運搬船に積み替え消費地の長崎市まで最短で運ぶ。養殖種苗として需要のあるカンパチの幼魚は蓄養し、契約した養殖業者に販売する。夏場に価値の低い痩せブリは区画漁業権を取得したイケスで養殖し、年末の需要期に出荷する。餌は定置網で獲れたばかりのイワシなど。脂乗りを含め品質のよさが評判となり指名買いも入るという。
ブリは、乗組員が魚倉から網で丁寧にすくい上げ、イケスに移していく。「あがり!」「2つあがり!」。あがり1つが10尾で、2つになれば20尾。漁労長がそのかけ声をもとに数をカウントし、イケスの魚を把握していく。
ただ、すべての魚の価値を最大化できるわけではなく、漁獲の多いアイゴなどはやむなく放流している。ただ、そのアイゴについても草野氏は、「かつて養殖マダイが普及する前には、アイゴは神戸などから引き合いがあり、キロ2,000円で売れるほど需要があった」という。今は藻場の食害をもたらす魚として有名だが、アイゴ=邪魔者という短絡的な見方はせず、その「価値」を見極めようとしている。五島市も、藻場保全の必要性も踏まえ、アイゴの利用促進のための予算を検討中だ。
結果にこだわり
藻場造成に注力
水産業の先進地といえる五島は、藻場造成にも積極的だ。7月に開催された「五島市ブルーカーボン促進協議会」(2021年に発足)の勉強会には、県や市、地元漁協や漁業者らも集まり専門家の話を聞きながら、島内各地域の磯焼け対策実践モデルの成功例だけでなく失敗例も共有。かつてのホンダワラ、ヒジキが繁茂する沿岸線を目指した活動の結果、22年にはJブルークレジットとして12.1トンが認証され、24年には約27トンを申請するまでになっている。
そんな磯焼け対策を縁の下で支え、島内藻場対策の横展開に寄与しているのが「磯焼けバスターズ」。OBを含め潜水ができる漁師らで組織され、磯焼け対策の対象地区でウニ駆除や、食害魚の侵入を防止する仕切り網の補修などの指導や手伝いを請け負っている。隊長を務める竹野義昭さんは、「かつて漁をしていた漁場の磯焼けが進んでいる。かつての磯を取り戻したい」とバスターズの役割を担う。
現役で素潜り漁などを行う40代の山本幸治氏も藻場の変化に危機感を覚えている。「まだまだ対策はこれからだが、藻場対策が自分事でない漁師仲間もまだ多い。もっと仲間を増やして藻場を取り戻したい。そのためにも結果を出していきたい」と、結果にこだわり藻場造成に力を入れている。
inコラム思い出ジャーニー
取材と取材の間、同行した長谷成人 (一財)東京水産振興会理事が、「行ってみたいところがある」と言う。「五島市の福江島巡りにちょうどいい」と同意したどり着いたのが、日本一美しい浜の異名をもつ「高浜海水浴場」だった。
この海水浴場こそ、長谷理事が高校生時代の夏休みに過ごした思い出の場所。当時いた親戚も家もすでになく記憶だけが頼りだったが、車を降り、夕暮れの白浜を見渡した長谷理事は、「小山に囲まれた白い砂浜と岩場。ずいぶん変わってしまったような気もするがたぶんここだと思う」と51年前に時を戻る。
「ここには出合ったことのないきれいな海とたくさんの生物がすむ岩場があったんですよ。その衝撃が海に関わる仕事をするきっかけになったなあ」と当時の記憶に思いをはせていた。水産庁長官まで務めた長谷理事に水産の世界へ進むきっかけを与えた場所。新たな若者が、海や水産業への関心を抱かせる場所であり続けてほしい、浜を眺めながらそう思う。
(連載 第29回 へつづく)