和歌山・太地町での食の思い出
~クジラからサンマの丸干しまで~
1982年というと、今からもう41年も前になる。僕は青森県の県営浅虫水族館のオープンに向けて、約1年間、和歌山県の太地町で民宿暮らしを続けていた。当時、日本で最北端の地でイルカのショーを披露させるために、太地でバンドウイルカを入手し、水族館の開館に向けて訓練をしていたのだ。
その頃の太地町は、町中が独特な匂いに包まれていた。JRの太地の駅からバスで民宿に向かい、バスを降りた瞬間に動物の脂のような匂いに包み込まれた。それもそのはず、当時はまだ最後の南氷洋での捕鯨船、第三日進丸を母船とした捕鯨船団が残っていて、太地町からも多くの方々が乗組員として活躍していた。また、沿岸捕鯨も盛んに行われていて、僕のいる間も港にマッコウクジラが運ばれ、あっという間に解体されていた。その解体後のクジラの脂の匂いがその元になっていたのだ。
そんな太地町でも様々な水産物にお目にかかり、賞味した。
お世話になった民宿でも、毎日のようにミンククジラの刺身が出され、時にはとろけるような尾の身に舌鼓を打った。冬季にはイルカ漁が盛んに行われ、早朝の市場にはイルカたちが水揚げされ解体されていた。そんなシーンも、もう見られなくなってしまっている。懐かしい思い出である。イルカの中でも今でも忘れられないのが、スジイルカの刺身だ。腹側の脂の部分と赤い肉の部分を、クジラのベーコンのように薄くスライスしたものを、生姜醤油でいただく。脂と肉部分が口の中で溶け合い、もう極上の生ベーコンといったところで、たまらない美味しさだった。腸などの内臓を茹でたものをスライスして生姜醤油でいただく「うでもの」も他ではなかなか食べられないだろう。
もう一種、太地町で忘れられない魚がいる「ヨラリ」だ。定置網によく入っていた。ヨラリと聞いて、ピンと来た方はかなりの魚通ではないだろうか。標準和名クロシビカマスである。スーパーなどに鮮魚で並ぶ体は真っ黒で、大きな口にはするどい歯が並び、ちょっと怖そうな深海魚といった風貌である。しかし見た目は悪いが煮付けにするとたまらない。小骨が多いので、細かく骨切りをした後に煮付けるのだが、ほどよく脂が乗りご飯が進む。民宿では秋から冬にかけて、ヨラリの煮付けがよくお膳に上った。毎日ではあきるだろうとの心遣いか、この時期はムツと交互で出されたものだ。お皿には、いつも一緒に煮た薄切りのコンニャクが数枚添えられていた。その当時はヨラリといえば煮付けしか知らなかったのだが、後にヨラリの干物を、太地の漁協スーパーで発見した!腹開きにしたヨラリが干物になっていた。焼くと脂がじわじわと染み出し、生では柔らかい身も締まって、素晴らしい干物となっていた。太地を訪れた際には、是非探してお買い求めいただきたい一品である。
そのヨラリ、大阪・海遊館で生きているものが展示されていた。その姿は市場に並んだ黒い魚ではなく写真のようにメタリックに輝くカッコいい魚だった!残念なことに死ぬと体が黒くなってしまうのだ。
そして、外せないのが「ゴンドの干物」。太地町の鯨屋さんのHPによると「クジラのバラ肉をスライスしたものを塩でもんで干し上げたもの。」網で焼いて細く切ったものをマヨネーズ醤油に七味を落としたものをちょっと付けていただくとお酒が進む。
太地町での思い出は、いつまでたっても僕の心の中に息づいていて、大阪・海遊館に勤務するようになってからは、青森よりは近くなったので干物の撮影もかねて何度か足を運んだ。しばらくぶりに訪れた太地の町は、相変わらずクジラの町だ。太地町に入る橋の上にはザトウクジラのオブジェが、橋の欄干にもイルカが、くじらの博物館の建物の道路に面した壁には、大きなクジラの絵が描かれ、マンホールの蓋にもクジラがいる。クジラの供養塔に向う坂道からの太地の漁港は相変わらずでこぢんまりとしていて、当時を思い出させてくれる。しかし、以前は普通に入れた市場は、過激な団体による不法行為を防止するためであるのか、仕切りができて入れないようになっていた。
太地町や隣の那智勝浦では、お祭りなどの時になると、サンマ寿司を各家庭でも作っている。それぞれの家庭で、少しずつ味付けが違う、柚子が入っていたり、山葵がはいっていたりと。サンマ寿司で使われるサンマは、あまり脂肪の乗っていないほうが良い。北の海で餌をたらふく食べてよく太ったサンマの群れが、南下を続け紀伊半島沖にたどり着く頃には程よく脂肪が抜け、サンマ寿司に適した素材となる。そのままではあまり美味しくないが、丸のまま干しあげると、話は違ってくる。身はカチッと締まり、うま味が凝縮され、程よく残っている脂肪分がたまらない旨さとなる。それが南紀や三重の名物、サンマの丸干しなのだ。
太地町ではあまり干物を天日で干している風景は見たことがなかったのだが、同じ和歌山県の那智勝浦にサメの鰭を干している風景を撮影に行った帰りに寄った太地町の漁港で、丸干しとなっているサンマたちに出会った。漁港の小屋の軒下に逆さに吊るされたサンマたちは澄んだ瞳をしていて、自分たちが泳ぎ回っていた遠くの海を見つめていた。僕はいつも陽の光を浴びて干されている干物たちを見ると、そのいきいきとした顔から干物たちの会話を聞いてしまうのだ。目の前で逆さになったままのサンマたちは「北海道沖から三陸を経て、幾つもの漁網を交わしてようやくここまで来たのに、ついに丸干しにされてしまったのか…」と。