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水産振興コラム
20243
船上カメラマンとして見つめた水産業
神野 東子
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ラスパルマス

ラスパルマスとは、アフリカ沿岸に位置し、7つの島から成るカナリア諸島のひとつであるグランカナリア島の県都だ。年間を通して温暖な気候が特徴で、島の中に砂漠地帯がある程カラっとしている。のんびり過ごせるビーチがあったり、味わい深い建物を眺めながら石畳を散策できたり、美味しいスペイン料理が味わえたりと、魅力あふれるリゾート地として人気だ。サハラ砂漠で有名なモロッコの近くなのだがスペイン領であることから、ヨーロッパ各地からの観光客が多い。アジア圏から遠く離れるため、アジア人の姿がかなり少ないのも特徴の1つである。そんなリゾート地が一体なぜ今回のコラムのタイトルなのかというと、なんと、日本の遠洋マグロはえ縄漁船の主要な寄港地なのだ。2023年5月に出港した三重県尾鷲市の第87長久丸が、ラスパルマス港に入港するタイミングである同年9月に撮影のため渡欧した。

(c) Toko Jinno

羽田からパリ、マドリードを経由し、約30時間に及ぶ移動時間を経てラスパルマスにたどり着いた。気付けば聞こえてくるのはスペイン語ばかりで、目に入る景色も見慣れないものばかり。到着が深夜だったため、辺りは真っ暗。港の向こうの丘陵地に点々と灯ったオレンジ色の暖かい光に島の人々の息づかいを感じ、何だかほっとした。翌朝港へ着くと、港の向こうの丘陵地には外国の風情溢れる色彩豊かな建物が並んでいた。そんな中、港に日本のマグロ船が数隻係船されていることに感動した。何カ国もの船が係船されているが、日本語で書かれた船名が真っ先に目に飛び込んでくる。日本のマグロ船が、遠く離れたラスパルマス港で出港準備をしているなんて、何だか不思議であり、何だか誇らしいような気持ちにもなる。冬のクロマグロ操業に備えて、9月、10月頃に日本の遠洋マグロ船が相次いで入港する。三重県尾鷲市の長久丸だけでも、第87の他に第1、第11、第21の各長久丸が入港した。目的は、船の点検・整備や、燃料・食料の補給だ。青い海と青い空、そして強い日差しの中、汗を流しながら作業が進められていく。現地スタッフと連携しながら整備や出入港をする船員さんたちを見て、世界の大舞台でお仕事されているんだな、と改めて実感した。出港前の試運転に同乗させていただき、約1年の航海をこの船内で過ごすのか、と想像しながら撮影した。美しい景色も厳しい景色も、嬉しい瞬間も頑張る瞬間もこの船と一緒なのだ。漁をしながら地球をぐるりと一周して帰って来るなんて、何だか冒険みたいでワクワクする。そんな事を考えていた私だったが、長時間のフライトが効いたのか、途中酔ってしまった。酔い止めも飲んでいたのに…。3時間ほどの乗船で酔ってしまう私とは裏腹に、どんなに暑くても寒くても、どんな荒波も乗り越える遠洋マグロ船の船員さんたちは、まさしく屈強でかっこ良いと思う。

(c) Toko Jinno
(c) Toko Jinno
(c) Toko Jinno

日本漁船のラスパルマス港への入港は、1950年代末(昭和33年頃)から始まったようだ。高度成長期を支えた昭和の船たちが、ラスパルマス港へも入港していたのだ。マグロ船もトロール船も最盛期を迎える1970年代(昭和45年頃)には、何と日本人学校まであったのだという。それだけ多くの日本人が遠洋漁船に乗り、世界を股にかけて生活していたのだ。日本とは文化も肌の色も違う現地の人たちとどんな関わりがあり、一体どんなドラマがあったのだろう。現代の私が日本とは違う現地の雰囲気に圧倒されていると、港近くの、大きなサボテンや大きなアロエが佇む緑地に建てられた記念碑と出会った。多くの日本漁船がラスパルマス港に入港したことで、街が栄えた事への感謝を表す石碑だった。最盛期には、船員のための保養施設や日本食のレストラン等もあったようなので、日本漁船の入港が現地の経済発展に貢献していた事を伺える。また、ラスパルマスには親日の人が多いのだ。滞在中に私も肌で感じたほど。いかにも南の島らしい穏やかで優しいラスパルマスの人たちと日本人との間に、ほっこりするような、笑顔になるような交流が、きっと65年ほど前からあったのだろう。思わぬところで出会った記念碑から、半世紀ほど前の日本の遠洋漁船の漁師さんたちの心意気に触れられた気がして、嬉しかった。

(c) Toko Jinno

さて、9月のラスパルマス港は出入港が相次ぎ、フォークリフトや車たち、船を出入りする忙しそうなスタッフたちで賑わっている。船員さんたちにとっては、久々に陸にいられる貴重な時間。それぞれ作業の合間を縫ってしばし羽を休める。中には、現地の運転手さんと数十年来の付き合いをされている方もいて、まるで家族のようだった。あまり言葉を交わさなくてもお互いの事が分かる、というような雰囲気だ。お休みの日は、海を眺めながら美味しいスペイン料理を食べたり、買い物をしたりして過ごす。大西洋のハワイといわれるだけあり、島全体をゆったりとした空気が覆っていて、街ゆく人の表情も穏やかだ。スペイン語が主流で英語を話せない人も多いが、お店の人が「Thank youって日本語でなんて言うの?」と片言の英語で聞いてくれたり、好きな日本のアニメを教えてくれたりする。現代の日本だと同調することが求められて窮屈だったり、周りと自分とを比べて辛くなってしまったりする事が日常茶飯事だが、ラスパルマスの空気感や人々からは、自分を保つことの大切さを教わったような気がする。日本人の持つ繊細さはかけがえのないものだが、ラスパルマスの空気感のようにゆったりと自分を大切にできた方が、海の青さも波のきらめきも、より美しく感じるだろう。

(c) Toko Jinno

船が全盛期の頃の日本の船員さんたちはここで何を感じ、何を思ったのだろうか。どんな思いで長い航海を乗り切り、どんな思いで現地の人と接したのだろう。歴史を辿ると、日本の人々は遙か昔から海を越えることに憧れを抱き、あらゆる手段で数多の先人たちが冒険に挑んできた。海を越え旅をして、様々な文化を持つ人々と交流し、歴史を紡いできた。そんな中で培われたのが、日本人の優しさなのかもしれない。荒んだように見える今の時代だが、この優しさだけが太古の昔から現代まで変わらず受け継がれているものなのかもしれない。半世紀前にラスパルマスを訪れ、今も現地の人々に感謝されている漁師さんたちも、遙か昔に海を越えた日本人も、海を越える思いや現地の人と交流する思いは同じだったのだろうか。灼熱の太陽の下サボテンの横に立つ石碑を思い出すと、怯まずに海を越え、異文化と向き合った半世紀前の漁師さんたちから、エールをもらえるような気がする。60年以上の交流の歴史を持つ美しくあたたかい島を背に、現代を生きる何隻もの日本のマグロ船が、遙か北の地、アイルランド・アイスランドへ向けて旅立っていった。

(c) Toko Jinno

第13回 へ続く

プロフィール

神野 東子(じんの とうこ)

神野 東子 (c) Toko Jinno

荒々しく、時に優しく、自分の仕事に誇りを持つ漁師たちの生き様に惚れ込み、同行して撮影する船上カメラマン。釧路市生まれ。海とともに生きる漁師たちのさまざまな表情を追いかけると同時に、魚食の普及や後継者不足解消に向け、学校と連携した講座等を行う。富士フイルムフォトサロン札幌、豊洲市場内「銀鱗文庫」、豊海おさかなミュージアム等各所で写真展を開催。